青年は乙女
俺は早朝、自室で己の身体をメンテナンスしていた。
毒も仕込んだし、完璧だ。
そう思い上から組織の衣を纏おうと、襟元を掴んでバサリと一振りした。こういうサイズの大きめの服やマントは、なんとなく着る前に上下にバサバサ振りたくなる。で、俺はそれをしたわけだが。
カサッ、と、何かが衣の隙間から落ちた。
「?」
袖に腕を通しながら床に目をやると、そこには一枚の紙切れが横たわっている。二つ折りにされたそれを俺は拾い上げた。
―――――――――――――――
定期的な会議が今日も始まった。ヒルコに収まりながらリーダーの話を聞いていた。
俺は自分の立つ位置から右側にあたる人物をチラリと窺う。俺の視線に気づかず、相方のデイダラは金の髪の毛先を弄っている。女か。
今度は左側を窺う。こちらは小南と思われる幻影が背筋よく立っていて、俺の視線に気づきはしたが無反応だった。
「サソリ、聞いてるか」
リーダーが突然こちらに向かって声をかけてきた。奴は俺が話を聞いていないと解釈したらしい。
「聞いてる。四尾が逃走を図ったんだろ」
そう言って俺が会議にしっかり参加していると証明してやると、リーダーは「あぁ」と返して満足したようだ。
俺は話は聞いているのだ。一言も聞き逃しはしない。だが目線はあちこちへ移動していて、自分でも落ち着きが無いとは思った。
会議終了後リーダーの幻影が消えるのを見計らってから、デイダラは話しかけてきた。
「アンタ、どうした?うん」
その目はくりくりと俺を見つめる。しかし例え目が愛らしくとも、奴の人を小馬鹿にしたような表情が気に食わない。奴としては自分がそのような顔をしているとは思っていないのだろうが、俺は気に食わないのだ。
とは言え、気にかけてきた相手に今の俺の悩みは最適だ。
「これを見ろ」
俺は朝に自室で発見した紙切れをデイダラに渡した。奴は受け取ると黙読し始めた。紙切れに書かれた文はとにかく長かったのだ。
奴が大人しく紙を見ているしばしの間、俺は会議部屋の高い天井を見たり、未だにその場に残って話し込む角都と飛段を見たり。そういえば既にこの場には角都達と俺達しかいない。
「…………旦那これ、何」
読み終えたデイダラは文面を睨み、まるで
"この世の物ではない何かと遭遇してしまった"かのような表情をしていた。
「なんだ。てめぇが書いたんじゃねぇのか」
「はぁっ!?」
デイダラが大きな声を出すものだから角都達がこちらを見た。俺はデイダラに「冗談だ」と言っておいた。
「シャレになんねーぜ…うん」
奴は紙切れを俺に投げてきた。ので俺は再度読み返した。
文面はこうだ。
『なぜ私はこのようなものを書いているのか、自分でもわからない。だがこの胸の内を貴方に伝えたいがため、密かに貴方の衣服に文を忍ばさせてもらった。願わくば応えてくれれば……。』
手の平サイズの紙に、細かだが丁寧な字で書かれている。
デイダラはむくれていた。先程の冗談がそんなに気に障ったのだろうか。俺が黙って奴を見つめると、奴は腕組みをしてこう言った。
「それ、ラブレターみたいなやつだろ」
しかしちょうどその時、部屋は静まっていた。部屋に居る者全て――まぁ俺とデイダラ以外に角都と飛段しかいないが――が聞いていた。デイダラは恥ずかしそうに頬を赤らめる。飛段が鼻で笑った。
俺は紙切れを睨む。
「阿呆が。俺達の立場を忘れたのか?」
その言葉は間抜けな相方に向けたものだったが、当の本人は俺が手紙を書いた奴に言ったと思っている。「そうだぜ!」とか言っていた。
「…なぁ、俺にも見せろよ」
俺がげんなりしていると、飛段がこちらへ近寄って来た。角都は先程の位置のまま地図とにらめっこしている。大方角都が行き先を決めかねている間、暇だからこちらの話題に参加しにきたのだろう。ちなみにデイダラは近寄る飛段を睨んでいた。
俺は紙切れを飛段に渡す。なんだか大分よれてきていた。構わず奴は黙読。
「………」
「……………」
「…………」
静かだ。
先程デイダラが読んでいた時もそうだったが、誰かが読み始めるとなぜか皆静かになる。
「……ラブレターだ」
紙切れから目を離した飛段は真っ先にそう言った。デイダラを見ながら。デイダラは微妙な表情をして唇を噛んだ。この餓鬼は
"ラブレター"という単語に抵抗を感じているらしい。
「角都角都、ラブレターだぜ!あ、角都の年代的に恋文ってやつか」
飛段は愉快そうに角都を呼んでいる。角都はシカトだ。確かに奴の反応が一番まともだと俺は思った。犯罪者が紙切れ一つでこれ程まで騒ぐ必要など無いのだ。
「これサソリが貰ったわけ?妬いちゃうなぁデイダラちゃん、ククッ」
「てめぇ!!」
しかし今時の若者はおそらくこういった類いのものに敏感なのだろう。意味も無く盛り上がりやがって。
「それ、棄てとけ」
俺は関わらないでおこう。紙切れの差出人が誰なのか不明で、受取人が本当に俺かどうかもわからないなんて、鵜呑みにしても時間の無駄だ。いや…だがこの俺の懐にブツを忍ばせるとはかなりの手練れ。そこらの忍ではない。もしかすると果たし状だったのか。俺の命を取りに来たというのか。
「…棄てていいのか?うん」
デイダラは紙切れを見つめて惜しそうに言う。
(何なんだお前は。さっきは疎ましそうな顔してたくせに)
「可哀想だな」
今度は飛段だ。これまた残念そうな表情で言う。
(何なんだお前等は。こんな時だけ団結するな)
俺は紙切れの正体が気になっただけであり、別に中身自体に興味は無かった。「可哀想」などと言われても対処の仕様が無い。
「知るか」
ということで俺は自室にそそくさと逃げたのだった。後ろでデイダラが俺を呼んでいたが無視した。
―――――――――――――――
サソリの旦那が紙切れの件を放棄したので、なぜかオイラと飛段で差出人探しをすることになっていた。聞くところによると角都は一人で賞金首狩りに行き、飛段は本当にやることがなくなったらしい。
「ラブレターね…。懐かしいな」
灰色の髪を手ぐしで後ろへ流しながら飛段が呟いた。片手には紙切れが握られている。
オイラ達はアジト内、メンバー共通のフロアのような場に居た。古びた大きめのソファーや古びた木製の机などがある。無駄に広さはかなりある。そして一緒にソファーに座っているわけだが、互いの間は人が三人座れる程離れている。理由は聞くまでもない。オイラが敢えてコイツから離れて座ったのだ。嫌いだから。
「ハハ、こんなもん書く女って馬鹿だぜ」
奴がオイラに言ってきた。まるで多くの恋愛経験を積んだ男のような言い方である。いや、奴は実際にそうなのかもしれないが、オイラは知らないわけだし。
「そうだな、うん」
適当に返事した。
飛段が真顔でこちらを見る。
「…サソリが差出人のこと受け入れたら、お前どうする?」
またわけのわからないことを言うものだ。
少し間を置いた後オイラは「別に…」と呟いたが、その"間"がいけなかったようだ。
「サソリって見た目あれでも歳食ってんじゃん。実は結婚してたりするかもよ」
奴はどうにかしてオイラに嫉妬心を抱かせたいらしい。やかましいことこの上無い。
「どうでもいい、うん」
奴は目を細めて不満そうな態度をとる。
「お前餓鬼の頃好きな女とかいなかったタイプ?……あ、今も餓鬼か」
「表へ出ろ…!」
何がタイプだ。女に構ってる暇があるなら作品作りに全てを費やすに決まっているだろうが!そしてオイラは餓鬼ではない!
とか、色々考えたが結局オイラはすぐ手が出る。せっかく離れて座っていた距離を無視し、近づいて飛段の胸ぐらを掴んだ。
奴は頭が若干後ろへ反ったまま喋る。
「やめろよ。今はサソリの話をしてるだけだっての」
そして手に持つ紙切れをオイラの眼前に差し出してくる。
オイラはゴミを捨てるような勢いで奴の衣を離した。
「素直じゃねぇよな…お前はホント。サソリがいざどっかの女とデキたら文句たらたら言うんだろうに」
「言わねぇ!オイラに関係無い!」
飛段が次の言葉を発しようと口を開いたその時、薄暗い通路から何者かが歩いて来た音がした。その者はソファーに座ってもめるオイラ達を見て足を止めた。
「デイダラ、丁度いい。サソリは何か返事していたかしら」
暁で唯一の女性である小南だった。
今オイラに何か訊いたな。
「…何の返事だ?うん」
オイラがそう訊き返すと、
「手紙の返事よ」
紙切れのことを言っているらしかった。飛段は咄嗟に紙切れを背に隠して「マジ?」と目を丸くさせた。
しかし、
「薬を調合してほしいのだけど…なかなか直接言いづらい種類だったから。紙で伝えようと」
彼女の口から出た真実は、今までのオイラ達の思考を一蹴するものだったのだ。飛段は先程と同じ顔で「薬?」と呟いた。
「でも返事が来ないから読んでないのかと思って。デイダラ、宜しく言っといてくれる?」
そして彼女はそれだけ言うとオイラの返しも待たず通路を歩いて行った。
後には阿呆みたいな表情の飛段と自分が残されていた。
「………………」
「……………」
「紛らわしい書き方しやがって…」
飛段は紙切れを睨んだ。そして続けて言う。
「………、いやでも小南は女なんだぜ、その気がある可能性も…」
しかしまだ奴は色恋沙汰に持っていこうとしていた。横でオイラはソファーの背もたれに身体を沈め、深い溜め息を吐いた。
どっと疲れた。
「デイダラ、安心したのかぁ?」
奴がオイラを見て笑った。
「うるせぇ…」
なぜこれ程に疲労がたまったのか。
それはずっと飛段に言われる前から思っていた"己の考え"を消そうと力んでいたからだった。
"旦那がもし紙切れの相手と付き合ったら"
旦那に紙切れを渡されたあの時にすぐ思ったのだ。しかしくだらない、と頭の片隅に追いやった。
だが脳はその思考で埋め尽くされたのだ。
「良かったな、オイ」
飛段が紙切れをクシャッと丸めて、天井に向かって高く放り投げた。
「…………はぁ…」
オイラの女々しい思いも、一緒に丸めて捨てられた気分だった。
fin.