狂犬病 1
飛段がアジトの通路に仁王立ちしていた。壁に寄りかかるでもなく、中央に。
デイダラは彼の正面に立っていた。好きこのんでそうしているわけではなく、通路の先へと進むために。
「邪魔だぞ飛段」
デイダラは眉間の皺を深くさせ、低い声を出す。
しかし飛段の眼は虚ろであった。注意の呼びかけが聞こえたかどうか怪しい。デイダラは更に表情を険しくさせた。
「おい!邪魔だっ…」
しかし怒声は虚しくも飛段のくしゃみによって遮られることとなる。
ぶぇっくしょん!!
二人の距離は二メートル程。
デイダラは咄嗟に両腕を上げ顔を覆った。その防御は人間としての反射である。
「ヒャハハ…!…お前も…」
灰色の髪を振り乱して彼は大声で笑い、何かを言いかけ、そして膝から床に崩れた。
デイダラは突然の彼の行動に圧倒されてその場から動けなかったが、不思議に思って床に倒れる飛段を覗く。指でうつ伏せの身体を突いても応答無し。
「死んだのか?うん」
訝しげな声を上げるデイダラは状況が呑み込めずにいた。
それでもまず始めにとった行動は、クナイで飛段の首を斬ることだった。「何か知らねぇけど、とどめはオイラが」と呟く。
そして彼もおもむろに、
ぶぇっくしょ!
飛段と同じことをした。
それだけではない。デイダラは急に全身の倦怠感を感じた。今の今までなんともなかった通路が寒い。
(風邪か……?)
症状はあまりに突然だった。
―――――――――――――――
ペインは薄暗い広間で、会議をするべくメンバーを待った。待ったと言っても姿は幻影だが。
「ペイン…人が集まらないわ」
その横で同じく幻影で存在するのは小南である。彼女は広間を見渡すが、他のメンバーが現れる気配が無かった。
ペインは無表情ながら声に怒気を含ませる。
「小南…紙分身で奴等の様子を…」
その時、何者かが煙を巻いてそこへ来た。
「ゴホっ…すみませんねぇリーダー」
現れた彼は厳つい巨体とは相反する弱々しい声で謝罪の言葉を述べた。それは会議に遅れたことに対してなのか、それともその調子の悪さに関してなのか。
「鬼鮫。イタチはどうした」
ペインはひとまず人を集めることを優先し、鬼鮫の具合については聞かなかった。しかしそれも無意味に終わったというか…。
「イタチさんは身体の具合が良くないようですよ…」
鬼鮫は口元に手を当てながら咳を抑えた。加えて話の内容も芳しくないものときた。
ペインは無言だった。
タイミングを図ったか知らないが、ゼツが地から生えてきた。彼は普段と変わらぬ様子で喋り出す。
「やっほ〜。」
そこへ訪れた理由は会議に交わるためではなく、寧ろ会議中止の知らせを告げるためだった。
「皆ろくに動ける状態じゃないみたいだよ」
小南はゼツを一瞥した後、己の幻影を消した。それをペインは見つめ、鬼鮫に向かって呟いた。
「イタチの様子を見てやれ」
小南に続くように彼もまた幻影を消した。
そして咳き込む鬼鮫、地と一体化するゼツのみ残された。
―――――――――――――――
「ゲホ、ごほ」
暁の象徴の模様が刻まれた衣を羽織りながら咳をするデイダラに、ヒルコの中でサソリはもの凄く嫌そうな顔を作る。
彼等はデイダラの部屋にいた。部屋から出て来ない相方を連れ出しにサソリは出向いたわけだが、相方の具合はどうにも優れないようだった。
デイダラは覚束ない足取りで扉を押し開け、「行くか」と呟いた。ヒルコは溜め息を吐き、尾をデイダラの前に出した。
「てめぇ…外で倒れるつもりなら……」
デイダラは憤慨した様子でヒルコの尾から離れる。
「倒れやしねーよ、うん」
そう喋る彼は鼻をぐすぐすと鳴らし、くしゃみを一発した。熱は無いようだし、もの凄く辛そうには見えないが、かと言って確実に万全の体調ではない。
ヒルコは彼を部屋へ押し返し、己は通路に出て、扉を閉めた。中で彼が喚くが無視。
「足手まといだ…」
暗い通路で一人呟くヒルコ。
するとそこへ足音が近づいてきた。
「お前は無事か…サソリ」
明るい色の髪の下で雨隠れの額当てを光らせる彼は、実体である。
「リーダー…アンタ何やってんだこんな所で」
ヒルコはデイダラが扉を開けられないよう、ぴたりと張りついて立った。そしてペインが幻影でない姿でアジトにいることに多少驚いた。
「その扉の中…うるさいな。やはりデイダラもやられたか」
ペインはデイダラの部屋の扉を見つめ、中から叫ぶ声を聞きながら呟いた。
ヒルコは改めて訊く。
「だからアンタは何やってんだ、ここで」
ペインは彼固有の吸い込まれそうな瞳でヒルコを見る。
「厄介なことになった」
彼の返る言葉は会話として成立しないもので、ヒルコの中でサソリは「はぁ?」と間抜けな声を出すのだった。
ペインからの情報によると、組織内で何かが蔓延しているという。熱が出る者もおり、イタチや鬼鮫も例外ではなかった。角都は不明だが自室から出て来ない。飛段に至ってはイタチと同じく高熱を出しておきながら、アジトから出てどこかへいなくなったらしい。デイダラは先程の通り、まだそれ程酷くない。
一様にして風邪のような症状が出ているが、免疫力を高めている彼らが揃ってかかるのもおかしい。
「破滅だな………」
事情を知ったサソリはヒルコの中で項垂れた。
無事な者は、雨隠れにいるので菌が移らなかった小南、アジトにあまり長居しないため小南と同様のゼツ。サソリは身体が身体である。病気とは無縁だ。
「アンタは平気なのか」
ヒルコはペインを見つめ訊いた。
「俺は…まあ平気だな」
ペインは自身の身体を見、肩をすくめた。ヒルコは鼻を鳴らす。メンバーはペインという存在を詳しく知らないのだ。
「で…、俺達が奴らをどうにかしなきゃならんと?」
ヒルコは気だるそうに訊ねる。
「今何かが攻めて来たら暁は終わりかもしれないからな」
ペインは無表情にそう返した。それは冗談でもあり事実でもあった。残念だが全体が弱体化した今の暁に、敵襲をひらりとかわして返り討ちにする力があるかと訊かれれば、微妙だ。今まで負けた経験の無いペインが一人で立ち回ることは可能だが、仮に各国から攻撃を受けたら苦戦は避けられないという。
サソリはヒルコから這い出、巻物にそれをしまった。
「俺は言っとくが薬は作れねぇぞ」
赤い髪の少年の少し高い声が話を繋ぐ。
すると彼が塞ぐ扉の向こうからまた別の声が。
「アンタらの世話になんざなるか!」
咳き込みながら声を張るデイダラは弱みを見せまいと必死なようだ。サソリは扉を背凭れに腕を組む。デイダラがペイン達の話を聞いていたのは必然的であり、決して盗聴したわけでない。隔てるものは木の扉のみなのだから当たり前だ。
「オイラ達は呑気に寝てられる立場じゃねぇだろうが!うん!」
ペインは黙って聞き、僅かに首を縦に振った。サソリは舌打ちをして答える。
「ごもっともだが…弱ってんのは本当のことだろ」
イタチなどは特に、もともと病気持ちの身だ。高熱で追い討ちなどかけてしまっては死期が早まる。
やはり早く治すしかない。
「メンバー全員が万全の調子でいる方が良いだろう?」
諭すようにペインがそう訊くと、
「知るか!皆死ねばいい!!」
デイダラは乱暴に扉の向こうで騒いだ。失言である。
「…荒れてるな」
メンバーの言葉にショックを受けたか、組織リーダーは切なそうに呟いた。
サソリは扉越しの声を聞きながら眉間に皺を作る。
「…まぁとりあえずだ、誰が菌を撒き散らしたか調べるか」
するとペインは通路を見、こう言う。
「話では飛段らしいが…」
何かさ…いっつも事件の原因は飛段じゃない?
そう言ったのは誰だったか…。
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「ナルト!」
そよそよと木々が揺らめき、葉がひらひら舞う、景観は他里よりも美しいと思われるここは、木の葉の里。
淡い桃色の髪をなびかせ、少女は少年の名を呼んだ。少年は小道の長椅子に仰向けに寝転び、空を見つめていた。
「なんだってばよ?サクラちゃん」
少年は澄んだ碧の瞳を少女へ向けた。少女は自分も長椅子に座るべく、少年を起こして端へと追いやった。そして手に持っていた茶筒を少年へ渡した。
「この前虫に刺されたとこ痒がって大変だったじゃない。ちゃんと治したの?」
少女は眉間に皺を刻みながら少年へ訊ねた。すると少年は手渡された茶を飲みながら何度もうんうんと返事をした。
「俺ってば回復速ぇからな、もう治ったぜ!」
二カッと白い歯を見せ笑う彼に、少女は溜め息を吐いた。そしてそよぐ風で乱れた髪を耳にかけ、「虫除け剤買いなさいよ」と呟いた。
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小南は雨隠れのアジト内にある書庫で医学に関する書物を探していた。本棚には巻物や本が雑多に収められており、それはジャンルごとに並んでいるわけでもなく、五十音順に並んでいるわけでもない。おまけに背表紙に何の表記も無い本もあり、目的の物を見つけ出すのは骨が折れる。
(サソリは何故薬を作れないの)
医療忍術を会得していない小南は自身の無力さを感じた。と同時に、暁内で唯一医学をかじりながら、薬が作れないとぼやくサソリへ不満を漏らした。
彼女は生身であるため感染する可能性が極めて高いという理由で、ペインから雨隠れを出るなと命令されている。その間、病に関するような情報を何かしら集めろとも命じられていた。
(そして何故よりにもよってメンバー全員が一つのアジトに集結する時に…)
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「何者かが我らを弱体化させるべく、タイミングを狙い病原菌を散布したんじゃないかと俺は踏んでる」
無表情のまま淡々とそう意見したのはペインである。彼はゼツから、病の種を組織へ持ち込んだのは飛段だと聞いたのだが、実際は敵の攻撃だったのではないかという予想を立てたようだ。
サソリは机に紙と筆を広げたもののそれらを放置し、傀儡の仕込み刀を研ぎながらペインの話を気怠げな目をして聞いていた。
「飛段を買い被りすぎだリーダー…」
サソリとしては、飛段という愚かしい男が外からうっかり菌を貰ってきてしまった、というケースが不本意だがしっくりきていた。
「それにしてもあいつら…」
二人はアジト内のこじんまりした空き部屋にいた。
あれからメンバーの一人一人に大人しくしているよう釘を刺したわけだが、角都は既に部屋から失せていた。もしかしたら相方を捜しに行った可能性もある。鬼鮫は相方の具合が良くなり次第出発すると言っていたが、ペイン曰く先程より更にげっそりしたように見えたという。元々青い鬼鮫の顔が一層青く見えたのだろう。デイダラは先程まで正常だったが、扉越しにウヒヒと笑いだし、何か訳のわからないことを言い出したため、サソリが殴って昏倒させた。
「最初こそただの風邪だと思ったが、どうやら違うみたいだな」
刀を横に置いたサソリは筆を持ち、メンバーの症状を紙に記しながら呟いた。ペインはサソリが使う机のそばにあった椅子に腰掛けながら訊ねる。
「薬は何故用意できない?」
「薬を調合する分の素材が足りねぇんだよ」
サソリはぶっきらぼうに答えた。金を寄越せと、遠回しに言っていた。
暁という組織が資金集めをしているのは昔からだ。しかし現在、金は立ち回りきれておらず、メンバーの戦闘具のための費用が回ってくることが減っていた。当然、薬のための素材も金が無ければ手に入らないこともある。
「なら薬は諦めよう」
金絡みとわかりあっさり引き下がったリーダーに、サソリは呆れたような顔をした。
「まあ、薬が効くかどうかも怪しくなってきたしな」
と、そんな時、部屋の扉が音を立てて開かれた。
そこへ佇むのは大刀を背負った男…鬼鮫だった。
続