ちはやぶる 1
人など一切立ち入らない森林。高く立ち並ぶ木々が囲む。
彼と同じ髪色、同じピアスをあちこちに施した男が、一人の青年の首を捕らえている。
「悪いなデイダラ」
彼はその光景を僅かに離れた場所から眺め、言った。
「俺は自分が思っていたよりも、心が狭かったようだ」
青年は彼の言葉に耳を傾けつつ、自身の首を掴む男の手を引きちぎろうと爪を立てる。
離れた場所で傍観する彼が小さく瞳を動かすと、それが合図であるかのように男が反応した。男は青年を捕らえた腕を軽々と宙に持ち上げた。青年の足はついに地を離れた。青年は先とは比べものにならぬ程もがいた。
「…、…リーダー…!」
青年が狭まった喉から絞り出すように叫ぶ。大きな声はもう出ない。
青年の訴えなど眼中に入れず、彼は瞳をゆっくりと閉じた。その合図で、青年を捕らえた男の背後に魔像が現れる。
魔像は、青年の口から生の塊をずるりと、引きずり出した。
青年の青の瞳が見開かれた直後、男が青年を解放した。魔像が消える。あれ程男の腕に爪を立てていた青年の指先はピクリともしなくなり、だらりと垂れ。彼が無感情に見つめる先で、青年は重力に従い崩れ落ちた。
「陽が沈んできたな…」
彼は低い声でそう言った。
夜が近づき鬱蒼としてくる森の中。青年は冷たい土の上。うつ伏せになったまま、動かなかった。
―――――――――――――――
イタチは我等が暁のアジト、会議部屋に居た。もう少しでいつもの話し合いが始まるのだ。誰よりも先にここへ到着した彼は、少し前まで自室にいた。今このアジトに実体でいるのはイタチと鬼鮫のみ。
おそらく他のメンバーは他国から幻影の姿でこの会議部屋に現れる。しかしそう思っていたのは、僅かな時間の間だけだった。
メンバーがいつまでたっても姿を現さないのだ。
「イタチさん」
いぶかしむイタチの傍に、どこからか近づいて来た人影。相方の鬼鮫だ。彼もイタチと同様、メンバーが集まらないことを不思議に感じていたようだった。イタチが軽く肩をすくめると、鬼鮫は眉を下げた。
「リーダーからの連絡もありませんし…」
二人は不審に感じながらも、その場で待機することにした。
鬼鮫が岩で出来た床に座し、愛刀の鮫肌を静かに床に下ろすと、イタチも胡座をかいた。二人が無言であればある程、アジトの静けさが伝わってくる。外から見れば岩の塊に見えるこの建物、内はとても広い。天井が高く、音がよく反響する。壁では蝋燭が作る影が揺れている。
「立場が立場でなければここも…落ち着きますよねぇ」
鬼鮫は苦笑して言う。自分達の境遇を嘲笑うかのようだった。イタチは黒の瞳をただ広い空間に向けるのみで、返答しない。それが日常であり、鬼鮫は相方の態度には慣れている。構わず喋り続けた。
「こういう場所を見つけるのってリーダーの仕事なんですかね」
鬼鮫はこの場にいない男の姿を思い出す。といっても、メンバーを召集して会議を開く時、リーダーと呼ばれる男はいつも幻影だった。稀に実体を見る機会もありはしたが、あまり鮮明に容姿を覚えていないのが事実である。
「かもな」
イタチはここにきて初めて口を開く。漆黒の髪が少し揺れた。
鬼鮫が次に何かを言おうと口を動かしかけたその時、部屋に変化が起きた。
「あ、イタチと鬼鮫がいるよ」
「見レバワカル」
平らな床から不気味に二種類の声を発する存在。二人だった空間に突如として現れたのはゼツである。普通の人間なら驚くところだが、イタチにも鬼鮫にも、その光景は日常。
「集合の時間はとっくに過ぎてますよ」
鋭い歯を見せて笑う鬼鮫の言葉に対し、ゼツは唸る。そして白い方が答えた。
「急遽会議は中止になったみたいだよ」
イタチは眉を寄せた。「なぜだ」と言わんばかりである。その表情を見たゼツは、"ゼツのみで"会話を始める。
「知らないんだね」
「ソリャソウダ…俺達モ知ラナカッタンダ」
「じゃあ教えとく?」
「アァ」
それを黙って見守る鬼鮫。イタチは睨んでいた。
意見がまとまったらしいゼツは、変わらず腑抜けた口調で言った。
「デイダラが殺されたんだってさ」
無駄に空間に響いた。一拍置いて、鬼鮫が口を開く。
「メンバーが一人死んだだけで会議は中止になるんですか?」
一般論である。暁に限る話だが。
ゼツが少し笑った後、今度はイタチの声が大きく響いた。
「まだ何かあったんだな」
すると、ゼツが更に笑った。鬼鮫が口をへの字に曲げる。
「鋭いね…さすがイタチ」
ゼツは散々勿体ぶった挙げ句に床の中に消えていこうとした。イタチが瞳を朱に染めて睨んできたので、ゼツは困った顔を作る。
「デイダラの死体食べに行きたいんだもん〜」
おどけた口調で言っても、発言の内容に問題がありすぎて可愛くもなんともない。
しかし鬼鮫が制止の声をかけた。
「私達もついて行きますよ」
直ぐ様イタチは彼の言葉に反応する。
「"私達"って。俺も含まさってるのか」
鬼鮫は愉快そうに笑った。
「貴方の方が行きたそうな顔してますしねぇ」
不服そうなイタチと、現状を面白がる鬼鮫は、ゼツの後をついて行くことを決め、会議部屋を離れた。
―――――――――――――――
コンクリートで囲まれた一室、簡素なベッドに横たわる彼女は、寝ているようにも死んでいるようにも見える。普段飾りとして青の髪に付いていた薔薇は、今は無い。暁の衣を掛け布団のようにしている彼女の身体は、至る所に包帯が巻かれていて。綺麗な顔にもガーゼが貼られている。その処置の下、皮膚は火傷でただれていた。
外を包む激しい雨の男が、薄暗い部屋にまで届く中、彼女のいるベッドに近づく足音が、ゆっくり、コンクリートの床を伝う。
「…小南」
かつて彼女と共に戦場を生きていた彼は、今はその時の容姿と異なる。唯一、橙色の髪は綺麗なままだったが、瞳は輪廻を描く。身体中は痛々しい程にピアス。声は無機質。
ペインはそっと、眠る彼女の頬を撫でる。そして彼女の白い手を、冷たい掌で包む。
「死ぬなよ…」
自分より更に死体に見える彼女を、彼は見つめ、懇願するように呟いた。その背は実に頼り無く、"神"と謳う者とは思えぬ程、弱き存在だった。
「外は今日も雨だ。お前が起きないと、止まないぞ」
昨日も雨。一昨日も雨。
雨隠れの里に雨を降らせるのは気候ではない。彼が雨雲そのものであり、しとしとと、空を濡らしている。
小南だけを視界に入れていたペインの眼は、ふいに何も無い空間を睨む。丁度その位置に、奇妙な空気の歪みが出来る。渦を巻いて現れたのは、仮面で顔を隠した男。
「そう泣くな。"民が崇め奉る神様"とやら」
男はペインに皮肉をぶつけ、小南のいるベッドに近づくと、彼女の顔を覗いた。
「大丈夫だ…死にはしない」
男はそう言い、鼻で笑った。彼の態度で、ペインは更に眼が鋭くなる。
男は懐かしむように思い出す。小南と青年の、闘いを。
「しかしまぁ、お前も小さいな」
失笑しながら呟く仮面から、ペインは視線を外す。その眼を自身の掌にやり、血の気の失せたそれを睨む。
「……会議を中止にしたままだった」
そして顔を上げた彼はそう言った。
―――――――――――――――
よく成長した立派な木ばかりが立っている森は、少しばかり景色が暗い。サソリは、今はヒルコの中に収まっているが、ヒルコから出てもあまり明るい空は見られないであろう、と思った。
それに暗いのは空だけでない。
「戻って来ないなと思ってはいたが」
土の上に転がる死体。
この存在によって辺りが一層暗く見えるのだ。
ヒルコの尾で死体を軽くつつく。反応無し。サソリは静かに溜め息を吐いた。ただの忍の死体であれば放置するが、ここにあるのは彼の相方の死体。
「どうするか…」
持って帰ろうか否か。悩む彼はしばらくその場に固まった。
「サソリ…」
呼ばれて初めて背後に人間がいることに気がついたサソリは、素早く声の主を見る。見知った衣のメンバーが立っていた。先頭をきっていたのはゼツで、その後ろに鬼鮫、そしてサソリを呼んだイタチがいる。
「お前等、揃って何の用だ」
ヒルコがつっけんどんに問うと、ゼツが笑う。
「デイダラ食べに来たんだ」
するとヒルコの中でサソリが小さく笑う。
鬼鮫がゼツより前に出て、死体の傍に膝をついた。指を死体の首元にあてがい、脈が無いことを確認する。イタチも鬼鮫の横に来た。
「今更そんなもん確かめなくても、見れば死んでるってわかんだろうが」
毒づくヒルコを一瞥したイタチは、目を伏せる。鬼鮫は肩をすくめた。
「身体が綺麗に残ったまま死ぬなんてらしくない。デイダラを殺した相手は余程強かったんでしょうか?」
鬼鮫のその言葉に、後方にいたゼツが「あれ」と呟く。
「言ってなかったっけ?」
「言ッテナイナ」
「何が」と返す鬼鮫に、ゼツは言う。
「殺したのはリーダーだよ」
沈黙。鬼鮫は目を大きくさせ、イタチは変わらず無表情。サソリの反応など、ヒルコしか見えない他者は知らない。
彼等が黙っていると、突然脳に伝達される声。
『今から会議だ。集合しろ』
暁のリーダーであるあの男の術であり、メンバーはこの通信のおかげで、離れた場所にいても一つの地に集合出来る。
各々がしっかりと命令を耳に入れた後、最初に口を開いたのは鬼鮫だ。
「噂をすれば…ですねぇ」
敵が接近してきそうにない森林であると判断した彼等は、その場で印を組み、幻影で会議に参加することを選んだ。
彼等が会議部屋に現れると、そこには既に他のメンバーが待っていた。
ちなみに全員幻影の姿だったが、彼等は長い付き合いのため、どの影が誰であるかは瞬時に判別する。
二人、いない。
「揃ったな。話を始める」
普段通り仕切るペイン。しかしメンバーは黙っていなかった。
「おいリーダーよぉ、」
ペインの話を遮ったのは鎌を背負う幻影、飛段。おだつ彼の口調は、いつもの彼以上に場から浮いた。
「デイダラ殺ったってマジかよ?」
大きな声で発せられた質問は、おそらくメンバー全員が聞きたい、核心に迫るものだった。
続