所謂、後日談。
俺は現在、因縁深いその現場に立っている。
この場に、生理的に欠かせない事柄を完遂させるがため訪れし俺を、混乱させたのはあの野郎だ。野郎は俺と同じ用が有ると宣言し、用が済めば足早に失せた。
心底、意味不明だった。
まぁ、とりあえずその件は置いておいて。
俺は再び、生理的な事柄を完遂するため此処に立つのだ。
「やっべ、漏れる」
つまりはただの便所だが。
「ふぅ」
断っておくが俺は頻尿ではない。
用が済んだ俺は速やかに出口を抜け、いつもの陰鬱な通路に戻った。便所の臭いが衣服に染み付くことが嫌なのだ。「よっと」と軽い段差を越えると、首から垂れるアクセサリーが揺れた。金属特有の無機質な音が壁を走る。無意識にその音に耳を澄ましていた俺だが、何か異なる音も聞こえた。通路の向こうからだ。
(誰か来やがった)
まさか、野郎か。
俺は足音の主を注視していたが、終にそれは現れることはなかった。俺は僅かに首を傾げ、通路の暗い先を見つめた。
「何やってんだよ、うん」
「!!」
真後ろから耳へダイレクトに進入した低い声。振り返らずとも何者かは容易に判断出来た。俺は口を開いたが、どもった。
「お…お前なぁ」
とりあえず背後に立つな。驚いた。
俺がゆるりと目線を這わせると、少し低い位置に青の鋭い眼。此度の迷惑を詫びに来たのか、はたまた便所に用があるのか。…後者に決まっているか。
「飛段お前、便所掃除の当番替わってくれんのか」
野郎は言葉に期待を乗せて、しかし濁りきった瞳で言った。俺は眉間に皺を刻む。
「なんだ、そりゃ」
「違うなら退けよ、邪魔だ…うん」
野郎は溜め息を吐いて、肩を持ち上げた。よくわからないが、俺は便所の出口付近から数歩離れた。すると野郎が中へ。
「…デイダラ」
俺はつい呼び止めた。野郎は身体はそのまま視線のみ此方に寄越した。俺の言葉の続きを催促しているようだった。俺は暫し呆気にとられていたのだが、顔の筋肉を引き締め、野郎を睨む。
「この前の!何だったんだよ」
指をビシッと効果音が付く程突き出した。野郎は俺に指差されたことが気に食わなかったか、つまらなさそうな表情をした。
「この前って何」
返事はかなりつっけんどんである。しかし怒って良い立場にあるのは俺一人。野郎が逆ギレなど理不尽だ。
「なんつーか…何か、いつもと違う感じの時の」
言葉をまとめることが苦手な俺は、自分でも歯切れが悪いと思った。
野郎は目を泳がせた後、"サッ"と便所内に消えた。俺は「あ」と声を漏らし、便所内部を見渡せる位置へ移動した。便所の入口(かつ出口)に扉は無いのだ。
「ところでお前、何を始めようとしてんの」
俺が怪訝な表情を作り、そう質問すると、物置きから大分痛んだモップを取り出す野郎が苛立たしげに答えた。
「だから便所掃除だ。うん」
続いて手にするそのモップで床を擦り始めた。俺は出口の所でその様子を眺めていた。
(……何で?)
だが浮かんだ疑問を今は押し込めよう。解決すべき本題は先程切り出せたのだ。
「あの時、俺を何かに嵌めようとしてたんだろ?そうなんだろ?」
俺が問うたが野郎は華麗に無視を決めこみ、「汚ぇなー床」などと独り言を呟いている。
「デイダラ!」
なんとか言いやがれ、と、言おうとしたら。野郎が此方を見た。そして、モップが俺の顔面に飛んできたのだった。
「うぎゃっ」
まんまと直撃、は避け、咄嗟に上体を反らせた俺。モップの柄が背後でカランと鳴った。
「しつけーぞ、うん!あの時はオイラでありオイラじゃなかったんだ。飛段に迷惑かけた記憶なんざ残念ながら一ミリも残ってねぇよー。うん」
野郎は丸腰になった状態で喚いた。しかも究極に腹立たしい物言いである。互いに睨み合う。して、野郎は少し折れたのか質問してくる。
「…オイラてめぇに、何したんだよ?うん」
なので俺は「便所の場所訊かれた」と簡潔に答えたわけである。野郎の顔が途端に間抜けなものに変わった。
「はぁ?そんだけ?…うん」
野郎としてはその程度か。いや、俺にしても別に便所の場所を訊かれること自体は大したことではないのだ。問題はなんといっても…。
「お前が俺を変な眼で見てきたんだよ」
それに尽きる。俺を何かの罠に嵌めようとしていたことは見え見えなのだ。
野郎は困った表情になり、唸った。
「…よくわかんねぇが多分………あの時のオイラはてめぇのことが…」
そこまで言って野郎は口を閉じた。俺が続きを促すような目付きをしても変わらないようだった。
「なんだよ」
野郎は俺の横を過ぎ、先程投げたモップを回収した。
「掃除替わってくれよ飛段」
「そもそも何で掃除してんだよ」
「"皆様に御迷惑かけてすみませんでした便所掃除"だ…うん」
俺は完全にアウェイなのだろうか?
野郎の話すことの内容はわけがわからなかった。そして最終的に野郎はこう言った。
「飛段よぉお前、詳しい事は旦那に訊いてくれよ、うん」
―――――――――――――――
俺は便所を離れた。既に衣服は異臭まみれである。
結局疑問は何も解消されなかった。野郎は終始意味不明だし、俺は説明下手。わかったのは、野郎が便所掃除を命ざれる程にメンバーに迷惑をかけたらしいということだ。
…なんだか不毛であった。心から思う。
(寝よ…)
さっさと髪や衣服を洗ってしまおう。そして布団に飛び込もう。
俺は自室に入り、扉を雑に閉めると衣を脱いだ。
「やっほ〜飛段〜」
「おわっ」
なんとゼツが急に壁からこんにちわ。今日は驚かされすぎだ、俺。
「恥ずかしがり屋のデイダラの代わりに教えてあげるよ」
ゼツは他人の部屋に無断で侵入してきたことに対しての詫びは一切せず、話し出した。察するに先程の俺と野郎の会話を丸々盗聴していたようだ。
「記憶喪失だったデイダラは飛段が好きだったんだよ。多分ね」
て、…え?なんと?
「じゃあね」
俺が呆気にとられているうちに、気付けばゼツは壁の中へ消えていた。正に一瞬の出来事だった。
「……………」
…問題は解決…したのか?
…していない、絶対していない。
野郎は無邪気なふりをして俺を狙い討つつもりだったのだ。やはり侮れない。
いや…………多分、な。
「飛段って鈍感だねぇ」
「アレハ鈍感ヲ通リ越シテ阿呆ダ…」
fin.