なくしたもの 1

―アンタは共感してくれるか?―


人間の身体というものは皆、だいたいの構造は同じだ。どんなに屈強な肉体を持つ男だろうと、痩せ痩けた女だろうと、人間としての急所など変えられない。
脳はとてもデリケートだ。身体全てに動作を伝達するという重大な役目を負いながら、僅かばかりの衝撃ですぐに崩壊するのだ。
…とか、なぜ俺がいきなりこのような話をするのかというと。

殴ってしまったのだ。

「デイダラ……」

「大丈夫か」とは言ってみたが、その言葉の返り言を期待してはいなかった。なぜなら冷たい岩造りの床に横たわる奴の頭部からは血液が流れ続けていて、すっかり意識は通常のそれとは異なっているからだ。
どくどくと、いつ止まるのだろう。

「……、旦那…」

奴はとてつもなくか細い声で俺を呼び、床に手を付け、のっそりと身体を起こした。

「……そう、すると思ってたぜ…」

ブツブツと独り言のようなものを呟いている。耳に入った声を頭で反芻すると、俺に向けた言葉なのだろうということがわかった。

俺は意図して殴ったわけではなかった。
奴が攻撃してきたので、防御の一貫のつもりで腕を振り上げた。しかもその手に己が造りし槌を握って。
一般人と違い、忍は攻撃の一つ一つに多少チャクラが籠る。威力は並みではないのだ。俺の一撃を避けなかった奴は、頭部に衝撃を受けた。即死せずに済んだのは、俺が咄嗟に力を弛めたためか。

「デイダラ、」

俺はそれなりに必死だ。なぜなら今の出来事に関しては本当に予定外だったから。
この程度の攻撃は奴なら回避すると思っていたし。

なんて、俺の思考は対する相方によって中断させられる。
舌打ちが聞こえた。それはそれは奴はご立腹。目付きなど先程までとは比べものにならない程冷たく、鋭い。俺の言葉は奴に届いていない可能性が高い。

「…っ」

俺が眉を下げる目の前で、彼は足をよたよたさせ、両手で血塗れの頭を抱えた。つらそうに顔を歪め、唇を噛みしめる。

「………、」

額から頬へ口へ流れる血を一切無視し、奴は喋る。いや、正確に言えば喋ろうとしただけに終わった。
奴は膝を折ると、そのまま昏倒した。

「おい!」

俺の叫びは高い天井に飲み込まれた。


―――――――――――――――


「普通、槌で殴れば死ぬぞ」

デイダラの部屋、呟いたのは漆黒の流れるような髪を鬱陶しそうに払うイタチだ。簡素なベッドに力無く横たわるデイダラの側に奴はいた。
先程まで色々と治療が施されていたらしいが、その手に関しイタチより詳しい俺はしかし、治療が終わるまで部屋の外にいた。

「じゃあそいつは普通じゃねぇな」

二人から離れた壁に背を預け、俺は悪態をついた。イタチは俺を一瞥したが何も返さなかった。

思い返してみても、なぜ奴が俺に攻撃をしかけてきたのか思い出せない。多分大した事では無かったのだ。いつもの喧騒だ。

「…負い目を感じているのか」

イタチが訊ねる。
返答に迷う俺は、奴の言葉通りだった。普段からデイダラとは「気に食わない」を理由に殺し合いをしてきたが、先程も述べたように今回は殺意は無かったのだ。

俺が返事をしないと判断したイタチは、小さく息を吐いて部屋を後にしようと歩き出す。

「俺は行く。側にいてやれ」

扉が閉まる直前、奴は俺にそう言った。

「………」

そうだ、礼を言うのを忘れた。


そうして俺がしばらく扉を見つめていると、後方のベッドから呻き声が聞こえてきた。

「うぅ…」

振り返ると、デイダラが上体を起こしていた。
俺は静かに奴に近づいた。

「おい…無事か」

奴が無事でないことは頭部の包帯で痛々しい程承知しているが、声のかけようが無いものだから。

「……ん…?…」

すると奴は実に緩慢な動作で、辺りを見回したり、手を開いたり閉じたり。発せられる声ものんびりとしている。
碧眼の焦点が俺に定まったところで初めて、俺の存在に気づいたらしい。

「……オイラ頭打ったのか?…」

後頭部をさすりながら気だるげな眼をする相手に、俺は少し悩んだ後言った。

「悪かった」

しかし謝罪の言葉は奴の耳に届いているのか否か、無反応である。奴は何度か瞬きをして、頭を傾けた。そしてこう言うのだ。

「お前、何か悪い事した?」


俺は些か不審に思った。
先程俺が殴ったことを水に流してくれているのかと訊かれれば、そうではない気がする。

「それよりこの包帯、お前がしてくれたのか?うん」

奴は奴の訊きたいことを優先するべく、俺の言葉を軽くいなした。
更に違和感が生じる。俺のことを何度も「お前」と言う点にだ。侮蔑の念よりかは、初対面の者に対して呼び名代わりに使っているような、そんな感覚で。

「…いや俺じゃない、イタチだ」

果たして俺の言葉に対し、奴は決定打を打った。


「いたち…?…動物が治療できんの?」


開いた口が塞がらない。いや、口は開いていないが、俺の今の心情だ。

今すぐイタチを呼び戻して来よう。

そう決心し扉に向かう俺の手を、デイダラは緩く掴んだ。

「お前オイラの側にいてくれたんだろ?…うん」

俺が奴を見つめると、奴は「ありがとう」と言った。確かに言った。
気が触れたのだ。俺が頭を殴ったせいで。

「…離せ」

俺は奴の手を払った。奴が少し悲しそうな顔をしたが、反応する余裕の無かった俺は気にせず部屋から出た。


―――――――――――――――


薄暗い通路をしばらく駆けると、目的の人物はいた。曲がり角で鬼鮫と何か話しているが構わない。俺はつい先程別れたばかりのイタチに近づいた。奴と鬼鮫は此方に気づくと会話を中断した。

「デイダラは起きたのか?」

イタチは親切に訊いてきた。
しかし焦る俺はその質問を無視する。

「奴の脳には何の障害も無かったんだよな?」

俺は無表情を保つことが出来ているだろうか。俺の奇妙な台詞に、奴は眉を顰めた。

「まさかデイダラ、おかしくなったんですか?」

発言したのは鬼鮫。俺達の話に興味ありげにニヤついている。正に他人事だ。
俺が返答しようとしたその時、通路――俺が来た道――から足音がした。それは此方へ接近していた。予想するまでもなく足音の主は…。

「…あの…」

残念な青年は金の髪を揺らして立っていた。

イタチと鬼鮫はすかさず奴を凝視する。鬼鮫が「噂をすればなんとやら」とか呟いた。俺は口をへの字に曲げる。

「何かオイラ…迷惑かけたみたいだな。ゴメン…帰るから…」

…どこへ?
それはおそらく以心伝心していなくともわかる。この場にいる全ての者――残念な青年を除く――が思ったことだろう。

何を言っているのだ。もう訳がわからない。
俺がイタチを睨みつけると、奴は見開いた眼を通常の状態に戻してから口を開いた。

「確かに脳には傷は無かった…はずだ」

かなり不安定な声音である。横で鬼鮫は頬をポリポリと掻き、

「それでは、デイダラは心を入れ替えた…とか」

イタチと同様、不安定な口振りで言った。

「「それは無い」」

俺とイタチの声が綺麗に重なった。
それきり俺達は黙る。
一人状況が飲み込めず、三人を悩ませる原因が己であることすら知り得ないデイダラは、困り顔で頭を掻いた。その姿に邪気は少しも見て取れず、寧ろ純粋無垢な少年のようだった。暁の衣を身に纏ってさえいなければ、犯罪者には見えない。

「……本当にゴメン。じゃ……」

奴は手を軽く振ると踵を返し、此処を去ろうとした。俺は急いで奴の腕を掴み、捕らえた。俺の剣幕に奴は若干身を引いた。

「検査をやり直す」


―――――――――――――――


所詮仮住まいのアジトにはあまり医療設備は整っていない。それでも俺とイタチでなんとか調べ上げたのだ。
結果は互いに予想はしていたもので、

「明確な病名はよくわからんが…、記憶障害としか」

「言い様が無い」とイタチは締めくくった。俺も様々なケースを考えたが、やはりそれしか無いことを認めた。

研究室のような部屋で、イタチと俺は明後日を見ていた。
俺達から僅かに離れた椅子に、デイダラは座している。

「…ど、どうだった?うん」

物凄く遠慮がちにそう訊ねるデイダラは、心配そうな眼差しで此方を見ている。俺は半分閉じた目で奴を見返す。
俺が首を横に振ると、奴はより不安げな表情をする。

「自分の名はわかるか」

奴に声をかけたのはイタチだ。手元の雑多な医療道具を片しながら言っていた。デイダラは疑問符を頭上に浮かべ、答える。

「デイダラ」

どうやら己を忘れてはいないようである。俺は少し安堵した。
イタチが続ける。

「俺と彼の事は」

「彼」とは多分俺のことだ。イタチは一瞬此方を見やった。
デイダラは無言だった。
イタチはここにきて初めてデイダラに症状を伝えた。かなり渋い顔で。

「お前は記憶をどこかに棄てたな」

いや…症状を伝えたことになっているのか怪しいが。デイダラは理解しきれないまま困惑した。

「オイラ…えぇと…」

多分訊きたいことは腐る程あるのだろう。まとまらない考えを必死に整理しているようだった。
イタチはそっとデイダラの横まで来て、しゃがんだ。

「俺はイタチだ」

自己紹介から入ったらしい。デイダラは閃いたような顔をする。

「この人が鼬…?人間だったのか」

イタチは俺を見た。俺は目線を反らし壁を見つめた。

「それで…、彼がサソリだ」

イタチは俺を指差して言った。デイダラが俺の名に対してまた「人間なのに蠍なんだ」とかほざく。俺がデイダラを睨むと、奴は怯えた。

「わ、わかった。覚えとく、うん」

イタチは会話を打ち切り、立ち上がると、俺を残して扉を開けた。

「サソリ、デイダラの記憶を拾うんだ」

俺に忠告も残して。

なんだか先程と同じような展開に、溜め息を吐いたのは俺だけだった。


俺が招いた、最悪な日常の幕開けだ。







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