夢の話

「夢って…いいものよね」

美しい流し目をこちらに寄越しながら、青の瞼をちらつかせる彼女。夕空に照らされたその人は俺を見ながらも更に先の空を見ているように思えた。

ところで「夢」とはどういったことを示しているのだろう。生き物が目指す目標のことを言っているのか、はたまた睡眠中に見る幻のことを言っているのか。
俺が押し黙っていたために彼女は言葉を続ける。

「夢の中は素敵だわ」

どうやら後者だったようだ。

彼女はうっとりしたように微笑み、両手を胸にあてた。

「ペイン…ペインは夢を見るの?」

俺は言葉の意味をいち早く察し、答える。

「俺は見ることは出来ないよ」

すると小南は目を伏せ「やはり」と呟く。

だが、この身体が夢をもし見るのなら。それは俺…長門の夢であり、弥彦の夢なのだろう。


「もしもの話だけれど」

そっと彼女が言う。

「夢のことが現実になるのだったら。あなたはどんな夢を見るの?」

まるで幼い少女が発するような台詞を、大人の女性の魅力を醸し出しながら吐いた。なんとも面白可笑しいがしかし、俺にとっては正に素敵な言葉であった。

「…平和な世界、では在り来たりか」

なんと言おうか迷った末、俺は常日頃から彼女に呟いているものしか言えなかった。
彼女の反応をやたらと気にする自分に少し笑った。

「別に良いと思うわ」

彼女の反応は想定外のものでもなかった。小南は俺をよく知っていて、俺は彼女をよく知っている。何をするとどんな反応が来るのかは多少見当がつく。(それでも彼女の反応が気になるのは、……)

「でも」

彼女は俺を見つめる。

「もう少し自己中心な夢は無いのかしら?」

なんと。

「貴方は優し過ぎるわ、いつも皆の事を考えて。」

口調は別段きつく咎めているようではなかった。

「一度でいいの。自分の利益だけ求めて、夢を言って」

俺を気遣う彼女らしいことを言う。しかし俺は無表情なりに戸惑った。
純粋に己の思うことを言って良いのか。

「小南が生きていてくれたら…」

それでいい、んだけど。
彼女が俺の言葉を聞き終える前から憤慨したように見えたので、語尾は無意味で単語にもならないものに終わった。

「もう一回説明しましょうか?ペイン…」

心なしか、いや確実に語気が先程と違う。怒らせたか?
だが考えてみろ。小南の生死は世界の全ての者には関係の無いことだ。世の人のことより自分のみの利益であり、よって別に……。
こんなことを口に出したら殴られるかもしれない。

「…すまん」

「謝らなくても良いのに」

彼女は視線を橙色の空に戻した。
雨隠れの夕焼けは他の里よりは劣る美しさだが、この里にずっと居る住民はここの夕焼けが最もだと語る。

「…そろそろ夜になるわね」

小南の髪色は雨隠れに同化するので、闇夜では更にだ。彼女が見えなくなってしまう。機嫌を損ねたままなのは嫌だな。

「小南の夢は?」


昔から俺は鈍感な性格のせいで弥彦と小南を困らせたことが多かった。優しさ溢れる小南はそれを打ち明けはしなかったが。


「私のは言わないわ」

彼女は僅かに考えた後、口角をつり上げて言った。
なぜ。

「聞いたら貴方笑うもの」

俺の心を読み取ったのか否か。彼女は理由を付け足した。

「…そんなことは無いと思うが。そんなに酷いのか」

俺は疑問符を送る。彼女が「酷い」というワードに対し微妙に眉を動かしたのを俺は見逃さなかった。
まずい、か?


「フフ…。私は中に戻る」

小南はそう言うや否や足早に奥に引っ込んだ。先程まで俺の隣に立っていたというのに。
やはり怒っているのか。


―――――――――――――――


翌日、雨隠れから遠く離れた森。
俺は、"ペイン"でなく長門である俺自身は、痛めつけた身体の調子が悪かった。本来赤い髪は白く損傷し、あちこちの骨が目立つ。
咳き込む俺は一人でその空間にいた。いつも傍にいる小南はそこにいなかった。薬を調達してくるとか言っていたな。俺の痛み止かなにか。

「ごほっ…」

吐血は日常茶飯事といったところ。
俺の操作で"ペイン六道"は動いているわけで、俺がこうして具合が悪いとその時働いている"ペイン"に影響が出る。戦闘時は操作に集中するのだが…、今はどうやら外は静かだ。

少しくらい休めても…。


―――――――――――――――


こちらは雨隠れ。雨は小降りのまま変わる気配は無い。
小南は闇医者から薬を受け取ったところだった。その後"ペイン六道"がいるアジトへ赴いてみる。
屋内外がいっしょくたになったような階、ここで普段から――昨日もそうだ――雨隠れ全体を監視する。そこへ着いた。
雨で濡れた衣を手で叩いた。

不意にコンクリートで覆われた冷やかな部屋を見渡す。

「ペイン…?」

小南が見つけたのは、コンクリートの壁によしかかり座り込む彼であった。
小南は急ぎ足でペインに近づき、床に膝をついた。

「ペイン」

呼び掛けに応答しない彼は、ピクリとも動かず俯いたままだ。
小南は表情を曇らせる。
長門に何かが起こったことを示しているのは明白だった。といっても彼女しか知り得ないことだが。

「ごめんなさい弥彦…、私は長門を看て来なきゃ」

小南は動かない彼の頬に手を滑らせる。そして名残惜しそうに手を離す。
しかしその手は彼に掴まれた。小南は僅かに驚く。

「……すまない小南。ちょっと…休んでいただけだ」

そう喋る声も、彼女の目の前にいる彼から発せられている。

「……長門、大丈夫なの?」

小南は彼をじっと見つめて訊いた。
ペインは重たい瞼をこじ開けるようにしながら、首のみを億劫そうに縦に振った。

「調子が悪くてな……"コイツ"を"一人動かす"のも辛かったんだ」

そう言う彼は自らの身体に指を差す。声は小さい。
小南は安堵の息を吐いた。

「心配かけないで…」

そしてしなやかなその身体をペインの身体に預けた。


「…小南、これが弥彦の身体だってこと、いつも考えてくれてたんだな」

ペインは優し気に小南を見た。小南は顔をペインの胸元に寄せたまま動かない。

「ありがとう」

ペインは両腕でゆっくりと小南を包んだ。


「……弥彦も長門も、同じくらい大切だもの」

顔を衣に埋めてくぐもったその声は、彼には届かなかったようだった。


「俺の夢、」

ペインは唐突に、静かに喋り出したので、小南は顔を上げて彼を見た。

「やっぱり小南が生きていてくれたらそれでいいよ」

彼は笑っていた。
小南は眉を下げる。

「変更する予定ないわけね」

「あぁ」とペインは言った。

「もういいわよ…」

小南も口に手をあてて小さく笑った。




「そうだ…結局小南の夢は秘密のままなのか?」

ペインがおもむろにそう訊くと、小南はこう答えた。

「ずっと二人を好きでいられますように」

ペインはきょとんと瞬きをする。

「願い事になってるぞ」

「貴方の指摘する所はそこなの?」




fin.


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