強がり 2
角都に後ろ姿をずっと見られている。
確認こそしていないが、気配がそう言っている。
デイダラはその視線から一刻も早く逃れたくて岩の壁で囲まれた通路を走る。
息がとても荒かった。
端から見るとあまり進んでいないように見えるであろう程に足が重く、デイダラが通ってきた道には血が転々と落ちていく。
曲がり角でデイダラは何かにぶつかった。後ろによろめき、足が止まる。
「てめぇ、」
ぶつかったのは本体のサソリであった。
サソリに何か言われるのは面倒だ。そう感じたデイダラは「悪ぃ」とだけ言うとその場を去ろうとする。
「なにをしてそれを作った」
"それ"とはおそらく脇腹の怪我だ。やはり聞いてきた。
サソリは、当初はぶつかってきたことに対し不満を洩らしたのだが、相手を見た途端に眼の色が変わった。それも相手は自分の相方なのだ。
デイダラはサソリを無視して自分の部屋に戻りたかった。
しかしそれは叶わないようだ。
「デイダラ」
サソリは厳しく落ち着いた口調でデイダラを止めた。
「来い」
一言言ってデイダラがついて来ているか確認もしないままサソリは自室へ向かう。
デイダラもトボトボと歩きサソリの部屋に行くことにしたが、乗り気ではなかった。むしろ嫌だった。今は一人になりたい。しかしこの傷の手当ては自分ではできなかった。サソリはそれをしてくれるのだろう。
数分歩き、サソリの部屋に着いた。
デイダラがここに着くまでに幾度か立ち止まったことで時間がかかった。止まって呼吸を落ち着かせないと倒れてしまいそうだったからだ。サソリはわかっていたのか何も言わずその度待っていてくれた。
サソリは扉を開ける。ギィ、と軋んだ。
木材やら鉛やらニスの臭いが部屋中に漂っている。デイダラは顔をしかめた。
「クク…臭ぇってか?」
治療道具などを部屋の棚から引っ張り出しながら、サソリはデイダラのしかめっ面を見る。
「そこに寝ろ」
サソリの部屋にベッドなどの寝具は無い。しかし細長くわりと大きいソファーが二つあり、その片方を指差してサソリはデイダラに寝るよう促した。
「あぁ、それ脱げよ、邪魔だ」
デイダラに血まみれの衣を脱ぐよう指示し、サソリは注射を弄っている。
それを射つのか。針が太いぞ。と、デイダラは衣を脱ぎ捨てながら注射を睨む。
「のろい」
しばらく待ったがサソリはデイダラの動作の遅さに痺れを切らし、彼から衣を引っ張り身体をソファーに倒させた。
「痛ぇっ……」
デイダラはそれだけ言うと動かなくなり、ソファーから落ちた片手もそのまま眼を瞑ってしまった。体力が尽きたのだろう。
やれやれ、とサソリは彼の傷口に静かに触れる。
「刃物だな…」
しかも後に指か何かで傷口を広げた形跡もある。
「……飛段…くらいしかこんなことする奴はいねぇ…が、…」
サソリは気掛かりだった。
デイダラは相手の攻撃の特徴を瞬時に分析して戦闘に入る人間である。それも飛段の攻撃方法・パターンなど同じ暁のメンバーなのだから十分知っているはず。
…なのになぜ?
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次の日になって、デイダラは自分の部屋に戻っていった。サソリの部屋を出る直前、「ありがとな…うん」と疲れた息遣いで言っていた。
サソリはこの件についてはもう忘れることにした。
が…。
あれからデイダラが自室から一度も出て来ていない。
これではサソリが忘れても意味が無い。
…というか…サソリは呆れていた。
「犯罪者ともあろう忍が喧嘩に負けたぐらいで引きこもるとは…」
サソリは肩を落としボヤいた。
すると横から口出しが。
「それを本人に言ったらどうだ?」
イタチが挑むような口調でサソリを見ていた。
お前は何を知っているんだ、とサソリは睨む。
近日このアジトで尾獣に関する話なんかがあるらしく、三日程前からメンバーはほぼ全員ここで寝泊まりしていた。
そして現在、そのリーダーからの話が始まろうとしていたので、皆広間に集まり各位置に立っているのである。
ゼツとデイダラだけがまだ配置に着いていない。
「時間だ。話を始める」
時間が決まっているらしく、リーダーは集まっていないメンバーを気にすること無く話を進めていった。
リーダーは長々と"ここはこうしろ"、"あの忍はマークしておけ"などと指令を下している。サソリは相方のことは頭に入れないようこの話に集中した。
話が終了しメンバーが各自解散し始めた時、サソリはイタチが視界に入ったことで先程言われた言葉と挑む眼を思い出してしまった。イタチはサソリを見たりはせず、鬼鮫と何か話した後姿を消した。
サソリはそれを何も考えずじっと見ていた。
すると、おもむろに地面からボコボコと緑色の物体が現れてきた。
「ゼツ……リーダーの話は終わっちまったぜ」
サソリは礼儀と思いそれだけ言っておいた。
広間に残っているのはサソリと角都と飛段、そして今来たゼツだ。
「うん。知ってたけど面倒だったんだ」
ゼツの、愛想がわりと良い方、もとい白ゼツが言った。リーダーの話が面倒でわざと集まらなかったらしい。サソリは、なんて奴だ…、と落胆にも似た感情を浮かべる。
「デイダラノ奴ダメダッタナ」
ふいに黒ゼツは聞き取りづらい喋りで呟いた。
デイダラの名が出てきたことで一番反応したのは飛段だった。飛段は何も無い壁を睨みながら確実にゼツの言葉に耳を傾けている。角都も聞いていないようで聞いているのだろう。
「デイダラが、なんだと?」
サソリは黒ゼツの意味深な発言に突っかかる。
「ナニモ喋ラナイカラ俺達モヨクワカラン」
何もわからない状態でなぜ"駄目だった"と判断できるのだ、とサソリは不思議だった。
「サソリ、面白いから見てきなよ」
そして白ゼツはサソリに楽しげに言う。
何が面白いんだ。
サソリはまた不思議に思う。
とりあえず言われた通りデイダラの部屋に行くことにし、その場から消える。
その時サソリは、消える瞬間飛段が自分を鋭い眼差しで見ていたのを感じた。
広間から大分離れた所にデイダラの部屋はある。
サソリは通路を一人歩きながら、あの日デイダラと角でぶつかった時のことを思い出していた。
思えばあの時、デイダラは酷い顔をしていた。
自分に会ってしまったことを後悔していたんだろうな。
なんだかこっちまで後悔してくる…。
そうこうしているうちにデイダラの部屋の前に立っていた。
扉を開けた。
サソリは開けた直後に、断りを入れるのを忘れていたこと気づく。
「………デイダラ」
サソリは部屋に踏み入る。
程良いサイズのベッドの上には目的の人物が膝を抱えて壁によしかかり、じっと動かない。
部屋全体は暗く、何だか、重い。
サソリは丸く縮こまっている彼を見つめた。というより目が離せなかった、の方が適切か。
額当ては床に投げ捨ててある。
金髪は絡んで荒れていて、ベッドには僅かに引き抜いたらしい彼のそれ。
暁の衣もあれからサソリがリーダーに頼み新調してもらった物があるが、サソリがその時手渡した、綺麗に畳まれたままの状態で、一度でも着た形跡は無い。それも床に置いてある。
デイダラの表情は膝に顔を埋めているからわからないが、サソリは、
「酷いな」
思ったことを口に出した。
すると彼は顔をゆっくり上げた。
サソリはまた絶句。
もともと目元が黒くくっきりとしたデイダラの目は、隈が浮かび充血している。寝ていないようだ。顔色も青白い。
うつむいた状態から前方を見ているので仕方ないのかもしれないが、サソリを凄い眼で睨んでいる。本当に、ただの気のせいかもしれないが。
…白ゼツが言っていた「面白い」というのは彼の顔だろうか。
それとも、この不様に落ちぶれた姿全体だろうか。
「……アンタも俺が強がりだって思うか」
デイダラが発音良く喋った。体調の悪い人間の声とは思えない。
そしてサソリは驚いた。表情に全く変化は無いが、驚いたのだ。
「語尾のうぜぇアレとか、うぜぇ一人称はどうしたんだよ?」
サソリは嘲笑ってやった。デイダラがデイダラでないようで、戸惑いもあった。こう言えば口調がいつも通りに戻るだろうかと期待も込めた。
「俺の質問に答えろ…」
しかし彼は変わらず、いや先程より彼らしくなくなってしまった口調で言った。
「何だてめぇ…誰がその傷手当てしてやったと思ってんだ」
サソリも僅かに苛ついたので当たり気味に責めた。
「………………。………答えろ…」
デイダラはまた顔を膝に埋めた。
質問の答えをしつこく要求する肩が震え出す。
そして突如、嗚咽が漏れ始めた。
「……っく……」
息を押し殺して、鼻をぐすぐすと鳴らしている。
「おい…、誰も、てめぇのこと強がりだなんて」
今更質問に答えても遅かったのか?サソリが何を言っても震えは変わらない。
しかしこれは事実、誰も彼のことを強がりと言ったことは無い。
「…ぅうっ…」
デイダラは必死に指を噛んで嗚咽を押させている。
しかし、彼の目には今にも溢れそうな程涙が溜まっていた。
「…何で…」
震える彼は、「何で、何で」と疑問符を繰り返している。
「俺の…芸術は………芸術は…」
ブツブツ一人何か唱えている。
「負け…ねぇ……誰にも…」
滑稽だ、デイダラ。
本当に周りが見えていない。
お前は負けないのだ。
「デイダラてめぇは、相手が誰だろうと負けねぇよ、」
サソリはデイダラに語りかけていく。
嘘は言っていない。
デイダラの忍術はかなり厄介でほとんどの忍は勝つことは厳しいのだ。
あの写輪眼、以外は。
「今回は怒りか何かで状況把握できなかっただけだ、そうだろ?」
そう、怒りで混乱しただけ。デイダラは飛段に勝てる。
デイダラは敗北したことが余程ショックだったらしい。今にも飛段を殺しに行きたそうな眼をしている。
まあ、それもそうだ。デイダラはかつてイタチに負けたことで自尊心を失い、それから日々誰にも負けないような術を考え編み出して来た。
飛段との戦いでそれが無駄だったと信じ込んでしまったらしい。
デイダラが爪を立てて頭を掻きむしる。また金髪が抜けた。
"犯罪者ともあろう忍が喧嘩に負けたぐらいで引きこもるとは…"
サソリは先程自身が思っていた言葉を脳裏によぎらせた。
こんな言葉を今デイダラに言ったら彼はどうなってしまうのだ。
イタチはあの時これがわかっていたから、俺に非難するような眼を向けたのか。と、今やっとサソリは理解した。
「俺はイタチよりコイツのこと、わかってないってか」などと急に不快になった。
サソリのその不快感が、目の前でうじうじする男に向けられる。
「飛段は殺しても死なねぇぞ」
デイダラに吹っ切らせたかった。
飛段は死なないのだ。
故に、デイダラのこの敗北感は一生消えることは無い。
しかし、だからと言っていつまでも部屋に閉じ籠もっていても状況は打破できない。
「……」
デイダラは嗚咽しながら唇を強く噛み締めている。目を閉じた彼の頬を大粒の涙が伝った。
さっきは否定したが…。デイダラ、やはりお前は強がりなんだ。
別に、戦いで技能や体力が負けない、と強がっているのではない。
自分自身が精神に負けない、と無意識に強がっているのだ。
「デイダラ…疲れたろ、寝ろよ」
サソリは彼の痛んだ髪を優しく撫でた。
その強がりは、お前を弱くさせるんだ。
お前が負けないと信じる俺は、強がりなんだろうか。
fin.