一言贈る
オイラは自室で背中を丸め粘土をこねていた。その部屋の扉が数回ノックされたかと思うと、勢い良く開けられた。
「ちーっす」
やかましく相方は侵入し、オイラの隣にどっかり座り出した。そんなに珍しいことでもなければ作品作りに集中したいオイラは無視して手元の白い粘土だけを見つめた。
「先ぱ〜い」
そんなオイラが気に食わないのか奴はその身体をこちらに預けてきた。なので目にも止まらぬ速さで顔面にパンチをお見舞いしてやった。仮面をしているから痛いのはオイラだが、そんな態度を表せば奴は図に乗る。…でもこっそり痛めた拳を擦った。
「ホント粘土好きっすね」
粘土を細くしたり潰したりするオイラの手を奴はジロジロ見つめ、感心するように頷いている。
「…トビ」
オイラが鬱陶しそうに睨めば奴は「はい?」と間抜けに返した。
「何しに来た。うん」
そもそも奴は何の用があってオイラの部屋に入ってきて、何の用があってオイラの隣に腰を下ろしたのだ。邪魔なので早々に帰ってほしい。
と思っていると、奴はオイラの肩に腕を回してきた。
「先輩、今何時かわかってます?」
回された奴の左腕、というか左手がオイラの胸元を撫で始めた。
「深夜二時」
オイラはとにかく奴の動作を無視し質問にのみ答えた。
「そうそう。ご丁寧に"深夜"まで付けてくれてありがとうございます」
奴の左手が今度はオイラの左肩から腕へ滑り、脇腹を撫でる。
「何が言いたいんだ?うん」
それでもオイラは無視して粘土作成に勤しむ。
「仮眠とらないんすか?」
お前はオイラの寝込みでも襲うつもりだったのか。
オイラが奴を一瞥すると、その顔は仮面で隠れているがへらへら笑っているのだろう。
「僕と遊んで下さいよ」
奴の左手はオイラの腹を触り、そのまま太股に滑っていく。そこでようやくオイラはそれを制止させた。
「気持ち悪ぃし」
奴の左腕を骨が軋む程握った。そしてあらぬ方向に曲げようと力を入れ始めたその時、左腕は急にするりとオイラの手から抜けた。
あれ、オイラ力抜いてねぇのに。
「デイダラ先輩、遊んで下さいよ」
奴のいつもの馬鹿みたいな声音が若干静かだった。オイラの手から逃れていた左腕は気づけばまた背に渡っていて、余る右手はオイラの粘土を触る手を掴んだ。つまり密着してしまったわけである。
「いい加減離れろ!」
いつ何時奇襲されるかわからぬ身ゆえ、夜中だからといって熟睡できるわけはないのが現実。しかしなぜわざわざ夜中にこんな奴の遊び相手にならなければならない?
それほど広くない部屋に野郎二人が密着すれば、それはもう異常だ。
「先輩!目瞑ってくれません?」
こいつは先程から何を一人盛り上がっているのだ。意味がわからない。オイラが身体を後ろへ引き下げると奴の腕は更にきつく腰を抑えた。
「何でだ」
オイラは接近する奴の仮面を平手で止める。奴は「僕、顔見られたら恥ずかしいっ」などとほざいている。照れているのかさっぱり判断できないが、声音は普段通りになっていた。
「オイラが目を瞑ったらてめぇは何をするんだ、うん」
オイラの腰にある奴の手は相変わらずだが、右手がオイラの顎に触れ、その親指が口内に入り込んできた。
「あはは、可愛い口」
質問を無視する上に人の顔を勝手に弄って笑いやがって。
"手袋越しだが噛み千切れるだろうか"と目論んだが、親指はどんどん入る面積を増やし喉に迫ってきた。
「ぅえっ」
顔を歪め思わず嘔吐(えず)いたオイラは両手で奴の肩を叩いた。
「じゃあ目瞑って?」
従うのはかなり癪だったが、吐き気から早く逃れたい気持ちのせいでオイラの瞼は素直に閉じた。すると奴の親指は口から抜き出されたので安心した、が、直後違うものが再び押し入ってきた。自分の舌にぬるりとした感触が伝わり、それが奴の舌なのだとすぐにわかった。
「……んっ…」
しづらい呼吸の中うっすら目を開けると、画面いっぱいに奇っ怪な模様が広がっていて。
「…てめぇ!」
無理矢理奴の口から逃れ、力の限りを次の蹴りに込めた。しかし一撃は奴の首に当たる手前で止められる。
「自分から足開いてくれるなんて…」
トビはオイラの足首をしっかり掴んでいて、こちらとしては開脚の姿勢で停止させられているのでつらい。そして奴はというと、オイラの足を更に開かせ、しかもオイラの身体をゆっくりと押し倒した。いや"押し倒した"という言い方は乱暴に聞こえる。"寝かせた"の方が適しているかもしれない。
「遊んでくれる気になったんすね」
両手首は奴の右手に纏めて床に押し付けられた。体勢的に抵抗しづらく、両足の間には奴の身体がきているので、どうにも抗えなかった。
「デイダラ先輩?」
オイラは自分の上に乗る人間と絶対眼を合わせないよう首ごと横を向いていた。扉やら椅子やらが視界に入ったのでそれ等を見つめることにした。
「デイダラ先輩ってば」
奴はオイラの視界に映ろうと頭や手を大きく動かしている。
「デイダラ先輩ー」
しかしうるさい野郎だ。何度呼ばれようがオイラはお前のことなど見ない。
「…デイダラ」
オイラは椅子を睨みつけた。
「トビ!!」
次には奴を見上げていて。オイラは自分が必死の形相になっていることに指摘されるまで気づかないのだ。
「やっと僕を見てくれた」
トビの仮面は奴の鼻から上を隠していて結局眼が合うはずはないではないか。
しかしながら奴にはオイラの顔が見えるという。
「困らないで下さいよ」
奴の長い指に頬を撫でられる。オイラの心臓は未だ速く脈打って、息が荒れていた。
「でもそんな顔してくれるんなら僕、ずっと呼び捨てでいきたいなぁ」
トビがオイラの名を呼び捨てにしたことで割りと安定していたオイラの精神はとても乱れた。耳から入ってきた先程の声がずっと頭の中で回り続けている。
別に普段メンバーから呼び捨てにされるたびこのような事態に陥るわけではない。"相方"に呼ばれる、ということが決め手なのだ。しかも体勢が体勢だし。
間抜けだ。奴の思う壺ではないか。
「うぜぇ…お前…」
顔を手で覆いたくとも、封じられていて叶わない。なのでひたすら先程と同じように椅子を睨む。いや、いっそ目を瞑り何も見ない方が良いかもしれない。
「ハハ、すみません」
オイラの首筋を舐め始める野郎はどうせ反省などしていない。「うわぁ髪邪魔臭いな」とかなんとか呟いて、すっかり調子に乗ってしまっている。
「先輩、やっちゃって良いっすかね?」
頭上に音符を浮かべる様子ではしゃぐトビはいつもの三倍うざい。
というか今更こちらの意見を採り入れる気など無いはずだ。もう話しかけないでほしい。
「あのぅ、先輩。聞いてほしいことがあるんすけど、」
なんだよ鬱陶しいな本当に!
と、返答しようとしたその時、部屋の扉がノックされた。
「デイダラ、俺だ」
オイラもトビもそれなりに、いや結構驚いた。扉の向こうに立つのはイタチで、素早いノックだった。
「…な、なんだ?うん」
平静を装いたかったがオイラはどもってしまった。トビはカサカサと虫のような動きでオイラの上から身を引き、ベッドの陰に隠れていった。
「早朝五時から会議がある。遅れるなよ」
イタチはわざわざ連絡しに来たらしい。オイラは短く礼を言った。すると扉の向こうの気配はすぐに消えて足音も離れていった。
…ふぅ。
「行きました?」
トビは細長い手足をベッドにどう隠そうか格闘していて、変な姿勢になったまま訊いてきた。オイラはその光景を横目で見ながら頷いた。奴は「ビビったぁー」と言って脱力したのかベッドに頭を乗せている。
「懲りたか?もうオイラの部屋から出ていけ。うん」
オイラが勝ち誇った表情でトビにここから去るよう促すと、奴は項垂れてしばらく間を置いてから「はい」と返事した。仮面はいつの間にか元通りに装着されている。
「お邪魔しました…」
そして肩を落として扉のノブを手に取った。
「トビ」
しかしそう呼ぶと、奴は嬉しそうに振り返った。
「続きしたいんすかッ?」
ああ全く懲りてないのだな。
「違う」と一蹴すると再び項垂れた。
「さっき何言おうとしてたんだ?うん」
イタチが扉の前に来る直前、トビは何か言いかけていた。
「…あぁ、やめときますわ」
しかし言う気が無くなったらしい。あのタイミングでなければならなかったのだろうか。それともあまり重要でないことだったのだろうか。
オイラが「いいのか」と仮面を見つめたが、奴は扉に向き直った。
「また遊んで下さいね!」
楽しそうにそう言って部屋から去っていった。
そんな大きな声を出すんじゃない。誰かに聞かれるだろうが。
後には静寂がオイラを包んだ。やけに静かに感じて放置されていた粘土を見ても物寂しい。
「結局アイツのペースにのまれた…うん」
時計を見れば奴がここへ来てから三十分は経っていた。そんなに長い間奴と戯れていたのかと思うと恥ずかしくなってくる。
とりあえず会議までの数時間は寝ることにしよう。
最後に奴が言おうとしたことが少し気になってしまうのも、アイツのペースにのまれたせいだ。
「好きです、なんて言ったら引くだろうな…」
今頃奴が自室で頭を掻いて悩んでいるなどとは知らず。
fin.