首輪はいらない
「以上だ。解散」
リーダーが話を終え、参加するべく集まったメンバーがいるアジト内部の一室は少しざわついた。相方に「今日はなにをする?」と面白そうにしている者や、「長かった」と首を捻りながらリーダーの話に文句を言う者など、それぞれ好きなことを喋り出したのだ。その雑音をぼんやりと耳に入れながら俺は壁を見つめていた。鬼鮫は愛刀の布をいじっている。
ひとまず自室に戻ろうかと一歩を踏み出した、その時。
ワン!
石造りの広い一室に何かが響き渡った。雑音を出していたメンバーも一斉に静まる。そしてまた、
ワン!
メンバーの顔を見れば、眉間に皺を寄せる者もいれば笑顔になる者もいる。俺はもちろん前者だった。
「…え、何」
灰色の髪を後ろへ流した男は心底不思議そうに言葉を発した。いや、メンバーは全員この場にいて、そのほぼ全員が飛段と同じ感想を持っただろう。
「犬ね」
紅一点の彼女が誰に言うでもなく答えた。自分を納得させたいのか薄く頷いている。飛段は「犬?」と単語を繰り返した。彼の相方が「無知め」と罵る。
「犬くれぇ知ってるっての!そうじゃなくて…、」
「なぜこの場にいるのか、だな」
飛段が言葉を紡がないので素早く俺が繋げた。飛段は力強く頷いた。
犬の鳴き声が聞こえることは理解したが、その本体の姿が見当たらない。まあ、己の耳がどの方角から鳴き声を拾ったのかはわかるのだから大体予想はつくが。
「てめぇトビ!結局捨てて来なかったのか、うん!」
小柄の金髪は声を張り上げて仮面を睨んだ。
やはりな。
「だって可哀想じゃないすか!!」
仮面は泣き真似をしながら、問題の鳴き声の主を懐から取り出した。小型犬にしては随分大きな鳴き声だったな。
犬はトビの両手にちんまり収まっており、垂れ耳も相まってか悲しい表情をしていた。
「小っちぇな」
飛段は犬のサイズに肩を落としている。大型犬が人の懐に収まるとでも思っていたのだろうか。そしてそのままトビに近より犬を見つめ始めた。この場にいる理由を知る気など忘れているようだ。
「ここがどこだかわかった上でそんなものを連れて来たというのか?」
犬と戯れる相方を睨みながら角都はトビを攻めた。トビは頭を掻きながら軽く笑って誤魔化す。
「貴様…今すぐその犬を失せさせろ」
角都はトビの不真面目な態度にご立腹だ。確かにそれもわかる。犯罪者集団が決して明るくない話を繰り広げる場で、犬は。忍犬ならともかくトビが連れて来たものは一般的な、ただの犬だ。暁に相応しくない。
トビが返事をうやむやにしようとするので、角都がズンズンと犬に接近して来た。しかし角都の手が犬に触れる直前、リーダーが言葉を発した。
「一度拾った犬を捨てるな」
それも、なんだか声がでかい。普段の無機質な低音は多少怒りを帯びていた。角都も思わず険しい表情を作り、目的を果たすことなく手は下げられた。そして鼻を鳴らしておそらく自室へと消えていった。
他のメンバーも各々驚きを見せていた。小南は無表情だが。
「お前が責任持って飼え」
リーダーは周りの視線を一切気にせずトビに言い放った。デイダラは驚愕していた。
「やったぁ!!」
トビは犬をかかげながら回転して、喜びを表している。その横では飛段が「犬よこせ」とこれまた愉快そうに騒いでいる。
「大丈夫なんですか、こんなんで…」
鬼鮫は呆れながらその光景を見た。
「名前!名前付けてあげなきゃっ」
トビは鬼鮫の冷めた眼を無視しながら飛段に言った。相当はしゃいでいる。
飛段は唸った後リーダーを見て、指を指して「何かねぇの?」と案を求めた。リーダーは飛段の桃色の眼を真っ直ぐ見据えた。
「チビ」
迷い無き彼の声は室内によく通った。再びメンバーは驚きの視線をリーダーに向けた。飛段は腕組みをして犬を見つめた。
「そのまんまだな」
それ以上は何も言わないので異義無しとみなされた。トビはデイダラに犬を渡して「どうすかね?」と名前について訊いた。
「ち…チビで良いんじゃね…うん」
渡された本人は"犬の持ち方がさっぱりわからない"という様子で手を振った。それでもトビはデイダラの胸に犬を押しつけた。犬はされるがまま、デイダラの髪やら肩やら掴める箇所を掴んだ。
「テキトーだなぁもう。最初に見つけたのは先輩なのに」
デイダラにへばりつく犬を撫でながらトビは真相を明らかにした。どうやら犬を発見したのはデイダラらしいが、放置する彼に納得できずトビが拾ったようだった。
「いてっ。髪引っ張んな!」
トビが犬との出会いを一人語る横でデイダラは長い金髪を痛めていた。
―――――――――――――――
俺は自室で眼を休めていた。
岩の壁をいくつも挟んでいるので筒抜けという程ではないのだが、近くの部屋からの犬の鳴き声は鮮明だ。やり取りの映像は目に入らないが、音で何をしているのかなんとなくわかる。
「あーっ、そこ乗らないで!」
トビは悪戦苦闘しているらしい。今のところ状況としては、犬はトビの部屋で好き放題暴れている。デイダラは先程嫌がった様子だったので、犬の世話には不参加かと思っていたが…、
「だからそれをこうすりゃ良いんだって!うん」
彼も実際は面倒見が良い奴だ。
その後少しの間二人の話し声が聞こえていたが、突如トビが大声で叫んだのを境に静かになった。
一体どうしたのだろう。
…数分後、俺の部屋の扉はノックされた。俺がゆっくりとした動作で訪問者を迎えると、そこには犬を腕に抱えた男が立っていた。咬まれたらしい金髪の損傷は同情する。
「どうした」
彼が斜め下を見たまま喋らないので俺は用件を訊いた。しかし俺に助けを求めるのが癪なのか、彼は答えない。仕方なく俺は彼の腕に体重を任せる犬を優しく取り上げた。きっと流れ的に、犬が怪我をしたのだろう。
見たところ外傷は見当たらなく衰弱しているようでもない犬を俺がくまなくチェックしていると、デイダラはそれをじっと見つめた。
「棚から落ちた」
そしてやっと喋った。
トビの部屋の棚がどれ程の高さなのか知らないが、その程度なら多分大丈夫な気がする。犬という動物は人間より着地が上手いのだ。
そして予想通り、いくら触診しても手の中の犬から怪我など見つからなかった。
このまま返そうと思ったが、デイダラは緊張したような雰囲気を醸し出して犬を見ていたので、少しからかいたくなった。
「もう諦めた方が良い」
俺が実に残念そうな声を作ってそう宣告すると、デイダラはショックを受けたようだ。彼は大きくなる目と反対に「えっ」と声は小さかった。
「やはり拾ってくるべきじゃなかったな」
俺が締めくくり犬を彼に返すと、犬は彼の口を舐めた。
「今からでもさっさと外に捨ててきたらどうだ」
犬を抱き締める彼に助言をし、俺は扉を閉めようとした。その間ずっと黙っていたデイダラは、俯いてのろのろと来た道を戻っていった。
「……………」
閉じかけた扉を開き、俺はデイダラの背中を見つめた。想像以上に彼は真に受けてしまったようだ。軽い冗談だったのに。
「デイダラ…」
そしてあんなに落ち込むと思わなかった。なんだか可哀想になってきた。犬を抱く小さい背中はとても愛らしく面白いが…そろそろネタばらしをせねば犬にも迷惑かもしれない。と思っていると、デイダラより向こうからトビが通路を小走りで来た。「先輩!」と結果を確かめるべく犬に触れている。そしてデイダラと何かを話した後、仮面を下に向かせた。
その一連の流れを扉の隙間から見つめていた俺は、今更"嘘です"などとは言えなくなっていた。真実を述べて彼等二人に恨まれることを恐れているわけでもないし、場の空気を読んでいるわけでもない。
犯罪者である人間が果たして、面倒を見られなくなった動物をどうするのか、気になったのだ。
切り捨てるのか、それとも。
彼等の声は聞こえなくなった。
―――――――――――――――
一週間も経った頃、俺はあの犬がどうなったのかわからなくなった。あれから全く犬の姿を見ていないし鳴き声も聞いていない。しかし鬼鮫の話によると、昨日偶然通路で会ったデイダラはリーダーの付けた名で犬を呼んでいたらしい。
「意外と彼はトビよりも動物好きなんですねぇ」
鬼鮫は呆れながらも愉快そうに目を瞑る。俺は「そうだな」と返した。
ワン!
鬼鮫は目を開け、俺は周りを見た。
「あ、デイダラ…」
するとちょうどデイダラの部屋の扉が開かれ、彼が出てきた。こちらに気づいたが目を逸らした。
「例の犬はどうしました?」
鬼鮫は興味半分に犬について訊いた。俺は"捨てたらどうだ"などと言った手前、その質問を口から出すことはできなかった。なので丁度良い。
「昨日死んだ…、うん」
デイダラは目を合わせないまま一言言った。鬼鮫は「え?」と笑顔をやめた。俺も同じ。
先程あの鳴き声を、聞いたばかりだ。
「何で死ぬツラを見せるんだろうな。うん」
デイダラは呟いた。
なぜ彼は捨てなかったのだろう。一瞬で散ることを求める彼にとって、ゆっくりと動かなくなる生命など美しくないのだ。なら犬を死ぬまで飼っていたのはどうしてだ。彼が飼い続けることを期待していたのに、疑問が浮かぶ。
デイダラは俺を見た。俺の顔が余程険しかったのか彼は言った。
「トビが大事そうだったから、大事に…したかった」
恥ずかしそうに口を尖らせている。
「優しいですね」と言う鬼鮫の言葉は正に当てはまるな。彼の動物への愛は予想外に大きい。例えトビが"捨てる"と言っても結局デイダラは犬の死を見届けるつもりなのだろう。
「ちゃんと埋葬したか?」
俺が安堵に似た溜め息を吐いてそう訊けば彼は「あぁ」と返事した。
そしてデイダラはアジトを出て、起爆粘土に乗って空へ行った。
「犬…いやチビは彼等に飼われて幸せでしたかねぇ…クク」
消えたデイダラの影を見つめて鬼鮫は笑った。俺は"ついた嘘はあながち嘘じゃなかったな"なんて不謹慎な考えを巡らせ、少し黙ってから口を開く。
「幸せだったか否かはわからないが…。また犬や猫がこうして外に捨てられていれば、多分トビはいくらでも拾って来るな」
全く、犯罪者の思考はわからん。
しかし微笑む俺がいた。
「ところで…さっき犬の鳴き声聞こえましたよね?」
そう、不可思議なそれはそのままだ。
しかし霊的な現象ではないし、怖れる必要は無い。
「チビだ。きっとな」
彼等も、あの鳴き声を聞いただろうか。
あと、俺は遂にあの時の嘘を伝えることは無かったのだが、トビの仮面の下はそれを見抜いたのだろうか。
fin.