風の匂い
辺りはすっかり暗くなっていた。
任務の帰り道、オイラは笠を手で押さえながら空を見上げて歩いていた。
月は少し欠けている。その周りにある雲はこの遅い時間には珍しく入道雲のようにモクモクと広がっている。風は穏やかだ。
オイラの少し前を背格好が低く猫背のような状態で地をズルズルと這って進んでいる相方が月明かりに照らされてよく見える。足元の雑草逹を踏み、それについていく。
お互い終始無言だ。
「オイラこの風が好きだ、うん」
もっとも、この独り言が辺り一面に響いたことによって、今までお互い無言だったことに気づいたわけだが。
そして独り言だ。もちろん前を歩く奴からの応答は無い。
いや…しかし、独り言と言っても辺り一帯に響く程の大きさで喋ったのだから奴の耳には十分届いているだろう。
でも応答は無い。
「この風の匂い、秋になってきたってかんじだな?旦那」
そう、今この世界、夏が終わろうとしているところなのだ。
「肌寒くなってきたしな…うん」
"かまってちゃん"じゃないが、わざと奴が反応するようなセリフを言う。旦那は身体が傀儡、「肌寒い」なんて未知の世界だろうと思ったから。
「そうだな」
短い返事が返ってきた。
ヒルコの状態だから声が低く聞き取りづらかった。
そうだな、って、適当な返事だ。こっちの話をたいして聞いていない。無感情な淡々としたトーン。
(つまんねぇの。不機嫌になるとかなんかねーのか)
「風の匂いもわかんねぇなんて」
(つまんねぇよ)
「アジトに戻ったらまたすぐ違う任務があるからな。さっさと準備しろよ」
戻ったらすぐ任務。怠けている暇は無いようだ。
旦那はそれきり、アジトに着くまで何も喋らなかった。
───────────────
「尾獣の情報を集められるだけ集めたら村は好きなようにしろ」
暁のリーダーであるペインは幻影のような出で立ちでオイラ逹に一言言うと、すぐその姿を闇に消した。
任務先の村はそれほど小さくない。アートさせるにはもってこいだ。
(十八番持ってくか、うん)
オイラの芸術で、一撃で塵にしてやる。
そう考えると身体がうずき、口元も上がってくる。
「粘土も補充した。旦那行こうぜ、うん」
本当に起爆粘土の予備を用意しただけで、全く休んでいない。まさにぶっ続けだ。だが先程のことを考えると早く出発したくてたまらなかった。
しかし、「さっさと準備しろ」とぬかした当の本人は、ヒルコから出たり入ったり、よくわからない動作をしていてとにかく準備ができていないらしかった。
「サソリの旦那、なにしてんだ、うん」
その動作が純粋に不思議だった。見たところ傀儡のメンテナンスをしているわけでもなさそうだ。
「これで行く。出発するぞ」
そう言って旦那は本体の状態でオイラの横を通りすぎた。
ヒルコから出た旦那の容姿は、赤い髪の少年。声もこっちが地声なのだろう。
「何でヒルコを置いて行くんだ?うん」
ヒルコは防御型で攻撃の幅も広く、あちこち仕込みに毒もある。利点は多い。本体よりヒルコの方が便利そうなのだが。
「俺の勝手だ。お前が理由を聞く意味あんのか」
自分より年下の眼が冷たくこっちを睨んでいる。正確にはかなり年上なのだが、やはり見た目のパワーというものは強い。
などとぼんやり思っていると、旦那はさっさとアジトを出て行ってしまった。
結局さっきの妙な動作はなんだったんだろう。
外は先程とはうってかわり、真っ暗でほぼ何も見えなかった。月も雲に隠れたようで明かりが無くなり、頬をうつ風は強めだ。
長い髪が視界を覆って鬱陶しい。粘土が乾燥してしまいそうだ。
予定の村に近づくにつれて風は一層強くなっていき、自分の身長の何十倍もある高さの木々がザワザワと騒いでいた。
眼に砂埃が入ってきてしまった。
「つっ…」
しかもなかなか取れず、痛い。生理的な涙が出てきた。
「天気荒れてきたな、旦那…」
うつむいて眼を擦りながらそう言った時、急に頭をガッシリ掴まれ、その手に従うように地面にかがまされた。
「天気が荒れてきたんじゃない……。これは術だ」
その手の主、サソリの旦那はそう言うや否や、傀儡を口寄せする巻物をもう片方の手で懐から取り出した。
どうやらこの風は目的地付近に警備として付く忍の術らしい。
「風遁の忍か…。おそらくただの強風じゃない…。なにかしらの仕掛けを俺逹に向けた後、そいつはどっかから攻撃してくる」
「待てよ旦那、勝手にどんどん話進めんな、うん」
こっちは砂埃が未だ取れずに試行錯誤していて周りなど見れたものではない。
眼を開こうとすると激痛が走り、反射で閉じてしまう。
「村自体に忍はいねぇから、って油断してたな。警備がいるとは…」
至って冷静に旦那は呟く。そして今多分こちらを見てきた。よく見えないが。
「……………おい、お前さっきからなに眼こすっ…」
その時何者かの殺気を感じた。旦那も感じたようで、言葉をとぎり傀儡を口寄せし、立ち上がった。つられて自分も立ち上がったが、眼が薄くしか開けられない。
強風は止まない。
殺気を感じた先には誰もいなかった。
「なんだ……?」
旦那もだんだん周りが見づらくなってきたようで、眉間に皺が寄ったことがわかる。
「…………村まで走るぞ、強行突破だ」
「はっ!?おい旦那…」
旦那は何か閃いたのか知らないがいきなりこの風の中走り出した。慌てて追う。
しかし、足元がフラフラする。真っ直ぐ走れない。
(なんだこれ)
よたよた足は遅くなり、ついには近くの木にもたれ掛かって座りこんでしまう。
「デイダラ!?」
遠く前方で旦那がオイラを呼んだが、反応ができない。
旦那は強風の中を抜けた先にいるのか、こちらに戻れないようでただオイラを呼んでいた。
意識が飛んだ。
───────────────
目が覚めると眼の痛みも身体のふらつきも綺麗さっぱり取れていた。
(んだよ全く…うん)
自分が意識を飛ばしている間に、強風は収まったようで木々も何事も無かったように立っていた。
そして旦那とはぐれたようだ。近くに誰かがいるような気配はまるで無い。
掌で粘土を取り出し鳥を作った。印を結び乗れるサイズにし、高く空へ飛んだ。旦那の姿を探す。
しかし真夜中、暗くて何も確認できなかった。
ひゅう、とまた穏やかな風が自分の後ろから吹いてきた。髪がさっきとは違い、そよそよとなびいた。
(またオイラの好きな風になった、うん)
少し先に目的の村が見えた。鳥を勢い良く飛ばし、付近まで来たところで着地した。先程の警備の影は少しも無く、静かな時が流れていた。
それもそのはず、村人は全て地に伏していた。
足や腕が千切れている者、眼球が潰れている者など、状態は様々だがどの死体もとにかく絶命しているようだ。
これでは自分の芸術もつまらなくなる。
村を爆破するのは止めだ。
大方旦那が尾獣のことを問い詰めた後に皆殺しにしたんだろう。忍でもないただの村人を殺してもあまり意味はなさそうだが、暁である自分逹に関わった以上記憶を消すということも含め、殺した方がいいというかんじだろう。
………オイラの楽しみを奪うなよ。そしてオイラ来た意味皆無だ。
(…じゃ、オイラはもうここに用は無いな…うん)
また村の外へ歩き出す。
一体旦那はどこへ行ってしまったんだ。
まだ夜は明けそうにないことから時間はそれほど経っていないはず。
宛もなく草を踏み分けていく…。
「おい」
しばらくするとザッザッと音を立てて後ろから何かが小走りで近寄ってきた。振り向くとそこには…
「サソリの旦那!オイラ結構探したんだぜ、うん」
旦那の姿を確認できた途端心なしか顔の筋肉が緩んだ。
「てめぇ、それはこっちのセリフだ。さっきの強風でてめぇはモロに敵の術中に落ちたんだよ」
なんだと。
…ということは先程の眼の痛みや身体のふらつきは術によるものだった、と…。
「警備の忍はあの風そのものだった。人間のチャクラを風から感じた…。あの村によそ者が近づけねぇようにする足止めだ」
そしてオイラは眼に砂埃が入った時からまんまとそれに引っかかった、と?
それはなんだかとても…
「間抜け」
思考を先取りされたようにその単語を口に出された。しかもアジトを出発する時受けたあの冷めた視線より何倍も冷めきったそれをもらいながら。
確かに迂闊だったが砂埃などいちいち警戒していられないではないか。
「俺は傀儡だからあんなもん引っかからなかった」
どうだ、いいだろ。とでも言うような口振りだ。
だがオイラがそれを望むと己の美学を否定することになるのでもちろん賛同しない。
「しかし…S級だなんて名ばかりだな、デイダラ?」
さっきから目の前にいるコイツはどうやらオイラに説教しているらしかった。口調はいつもの淡々としたものより重い、というか、責める暗さだ。
急に恥ずかしさが込み上げてきた。
「餓鬼が。」
説教には日頃の鬱憤を晴らす気も混ざっているのか、もう悪口の域だ。
オイラは溜め息を吐いた。
すると奴の眉がピク、と動いた。
顔が「反省してないだろ」と言っている。
「悪かった、うん」
オイラが少し挑発する時などは心底どうでもいいといった反応をするくせに、なぜこういう場面ではしつこくネチネチと苛立ちを露にするのだ。
(めんどくせぇな…うん)
そしてまた溜め息。
奴はそれに呆れたのかドスドスとオイラを押し退けアジトに向かって歩き出した。
居心地が悪くなる。
別の話題でも振ってみるか…。
そこで、ふと、疑問が浮かんだ。
「よくこの広い林の中、オイラを見つけられたな、うん」
感心したように言ってやると、前を歩く足がピタリと止まった。
「………………………………風に乗ったお前の匂いだ」
「へ?」
すっとんきょうな声が出てしまった。
いやしかし、いきなり意味不明だ。
「………旦那?」
追求しようとしたら旦那は察したのか喋り出した。
「今日てめぇ"風の匂いもわかんねぇなんてつまんねぇ奴だ"みてえなこと言っただろうが!だから風に乗ったてめぇの匂いを辿って探したんだよ…」
バツが悪そうに。
あのことを根に持っていたのか。"つまんねぇ"はオイラは口に出していなかったはずだが正解だ。
「ヒルコに入ってるよりこの方が匂いがよくわかんだよ」
こちらは何も聞いていないのに出発前の不可解な動作の種明かしをする。実に投げやりな口調である。
つまり傀儡も匂いを感じるのだ。
(オイラの話、しっかり聞いてやがった)
凄く嬉しくて、面白くなってきてしまう。
たまたま本体で歩き、風の匂いでオイラを見つけた。
大人げない意地がオイラを救ったのだ。
「……っへへ」
押さえられなくて声が出た。
「てめぇ……殺されてえのか」
本気で睨まれたが、もうその顔すら面白い。
「…………お前、ホントよく表情変わるよな、うぜぇ」
そう言うが本当に心から、というかんじはない、な。
足取り軽く奴についていく。
「オイラ、この風が好きだ、うん」
今度は笑顔で独り言。
「うるせえ」
短い返事も抑揚がある。
この風の匂いが、好きだ。
fin.