夢小説 ジョジョの奇妙な冒険 | ナノ




あーあ、逃げちゃった。




「え〜、……。うわ、小さい……。ていうか弱そう……」


えっ、嘘、待って。
これって本当の本当に、中学生の吉影さんなの……!?

目が覚めたら隣にいるはずの人がおらず、代わりに小さな少年がすやすやと眠っていた。
まだ夢の中で、寝惚けているんじゃないかとも疑ったが、間違いなくこれは現実だった。
穴が空くほどに見つめても消えなかったので幻ではない。布団越しに、そっと肩に触れれば確かな感触があった。温かい―――生きている。
小さな吉影さんが今ここに生きている。その確かなぬくもりに感動してしまったのはどうしてなのか。そのまま調子に乗ってジロジロと観察を始める。


「わぁ……。やっぱり綺麗……どの角度からでも隙のない愛らしさ……。しゃ、写真撮っても怒られないかな……!?」


異常事態にこんな事をしてはしゃいで許されるのかは謎だが、だからといって記憶の中だけの輝きにしてしまうのはもったいないし……。ええい、撮っちゃえ。
枕元の携帯を手に取り、何枚か連写した。任務完了です。勝手に撮ってごめんね吉影さん。普段横暴なんだから私にもこれくらい許して下さい。
重力に従ってさらりと流れているふわふわの金髪。
そこからちらりと覗くのは、端正な顔立ち。とっても綺麗だ。

それにしても西洋の絵画に出てくる天使みたいだと思う。実際、中身は天使とは真逆なのだけれど。まあそれも逆にギャップがあっていいかもしれない。
ともかく、この美しさは必ずや形にして残さなくてはならないレベルだ。眩しい。
キラキラと射し込む朝日を受けて輝く金髪は紛れもなく大人のあのひとのものと一緒だけれど、この子……吉良少年はちょっとクセが強めのようだった。ふわふわで可愛い。
閉じられた瞳を縁取る金色の睫毛。まるでお人形さんのような繊細さを感じさせてとても美しいと思う。
服は……何でか昨夜吉影さんが着てたパジャマを着ているようで、とてもブカブカだ。

ひええ、体小さいんだなあ……!
総合評価、可愛すぎて無理です。

ゴツさのかけらもない愛くるしい吉良少年を目に焼き付けておくため、今のうちに食い入るように見つめておく。
不意に彼がモゾモゾと動き出した。


「んん……。……えっ……あ、あれっ……」
「……あ、起きたんですね。おはようございます。私が誰だか分かる?」
「……知りませんけど」
「……ですよねー。ま、そうなるか……ちょっとショックだけど……。あ、驚かせてごめんね、私危ない人じゃないよ!」
「……」
「……」


吉影さんは縮んだ上に記憶まで一時的に昔に戻っているようだ。それが分かったのは良い収穫だったが……。
見つめあったままお互い固まってしまった。こんな意味不明な状況でもパニックに陥らないあたりはさすが吉影さんだなぁと思うけど、それにしたってこんな時はどうするべきなのか分からない。気まずい空気の中、先に切り出したのは吉良少年だった。怪訝な顔で、しかし淡々とした口調で聞いてくる。


「あの、あなたは何なんですか。どうしてぼくの家に知らない他人が……。それに父さ……父と母は?」
「私は……そうだなー、大人の貴方の恋人だったんだけど今言われてもピンと来ないよね、ごめんね。ちなみにご両親は今、いらっしゃらないの」
「……」


探るような目で私を見つめる吉良少年。「この女、頭がおかしいんじゃあないのか?」という心の声が聞こえてくるような錯覚がする……。そんな冷たい眼差しをしていた。悲しい。
でもまあ、信じられなくとも無理はない。もとより警戒心の強い人だから。
だけど私にはいいアイデアがあった。


「そんなに信じられないのなら、そこの机の中を見れば分かるよ。あなたが切って集めた爪瓶、今の―――『1998年』の分まで入ってる筈だから。あっ、言い忘れてたけどここ、きみからすれば未来の世界になるの」
「嘘だ」
「じゃあ棚、見てごらん」


はじかれるように立ち上がり、棚の引き出しを開けた少年は、固まった。
爪瓶、爪瓶、爪瓶。1983年のものからぎっしりと並べられている圧巻の絵面。これには黙らざるを得なかったようだ。
確か彼がこの趣味(?)を始めたのは―――ええと、17歳ぐらいの時のはずだから、この子の歳ではまだ自分がこんなことをしている事は知らない筈であろう。でも、その病質的な行動にピンとくるものがあったらしく、傍にあった記録ノートを捲りながら次第に困惑の表情になっていった。
彼の小さな背中にそっと近づき肩に手をかけると、吉良少年は大袈裟なくらいビクリと硬直した。


「ねえ、分かりました?そういうことなの」
「で、でも、そんなことが……。意味がわからない……!ッ、お前、何かしたのか!」
「きゃっ……」


肩に置いていた手首を強く掴まれ、顔をしかめた。


「いたた……、何もしてませんよ。最初に言ったじゃないですか、私は吉影さんの味方だって。もー、勘弁して下さいよ」
「どう考えても怪しいのはお前だろう。ぼくの恋人?ふざけるんじゃあないぞ。恋人なんてものこのぼくが作るワケがないからなァ……」
「ちょっ、痛い痛い痛いー……、よ、吉影さぁん……」
「名前で呼ぶなッ、馴れ馴れしいんだよ」
「……。」


苛立ちを露わにしながら敵意丸出しでこちらを睨む吉良少年に困惑したが、普段の吉影さんの凄みに比べたら怖くも何ともなかった。私より小さいし。くりっとした大きな目が可愛らしいし。子猫がぼわぼわに毛を逆立てて怒ってるくらいのものだ。
困った子だなぁ。まあ仕方ないか、捻くれてる人だったし、今は多感な時期なのだろうし。ここは私が落ち着いてリードしてあげないと不安だろう。
下手に刺激しないよう、両手首をキツく拘束されたままで話しかけてみる。


「私は吉影さんの恋人ですよ。うーん、どうやって証明しようかな……あっ」
「……?」
「あなた今、私の手首を掴んでいるよね?ねぇこれ、何で?」
「拘束するために決まっているだろう。何をされるか分からないからな」
「それだけじゃないでしょう」
「……なんだ?意味の分からない事を言うな」
「……吉影くん。モナリザは好き?」
「ッ!?!?」


―――『モナリザ』。その単語を聞いた瞬間手首を解放すると羞恥に満ちた表情でこちらを伺い見た。「どこまで知ってるんだこいつ」とか考えてるんだろうな、なんとなく分かるぞ……。フフフ……。
しかしやはりというべきか、私を拘束したのは、ただ単に手首に触りたかったっていうのもあったのだろうと踏んだのだ。正解だったみたいで良かった。


「ねえ、吉影くんたらおませさんですね?いきなり女の人の手首に触るなんて」
「う、う、うるさい」
「そんなに触りたかったのなら別にいいんですよ、好きなだけしても。ほら、見て」


彼の前に両手を差し出すと、案の定大人しく手を見つめた吉良少年が可愛かった。やはり気になってしまうらしい。
普段から吉影さんに念入りな手入れをされている、私のこの両手。どこまでも彼好みに育てられているこの手に、吉良少年だって弱いはずである。これが私の対吉影さん専用兵器なのだ!

毎日きちんとケアされてるので、触り心地も抜群である自負がある。ゆっくりと吉良少年の手を握り包み込むと、彼は小さく息をのんだ。初々しいその反応に微笑みながら手の平の柔い肉を押し付け、ムニュムニュとさする。彼の手はすっかり熱くなっていた。顔は伏せられているから表情は見えない。ただ、されるがまま。―――抵抗は、ない。


「吉影さんはいつもね、こうやってするととても喜んでくれるんですよ」
「……」
「あ、私たちのことについて少しお話しするね。どっちからってワケじゃあないんだけど、妙に気が合っちゃって付き合っててね」
「……」
「吉影さんの好きなところは……頑張り屋さんなところ。一人でも前向きにしてるところかな。尊敬してるの。あと多才でカッコいいよ」
「……」
「吉影さん、不器用なんだけどね、とっても優しいんだ。まあ滅茶苦茶怖い時もあるけど……、私のことを自分なりに大事にしようとしてくれるのが嬉しい。それと……」
「……おい、お前」
「お、お前って……。もう少しお手柔らかにお願いできないでしょうか……。あ、みょうじなまえっていう名前なの、私」
「……じゃあ、お姉さん」
「お、お姉さん!?きゃーっ!」


お姉さんって!うわあああ!お姉さんって呼ばれた!!か、か、か、可愛いーッ!!!
デレデレと悶絶する私を静かなる引いた目で見つめてくる吉良少年、うーん、冷たい!でも吉影さんらしくていいや。
名前では呼びたくないけど、おばさんという歳ではなく、消去法で選んだ末の二人称なのだろうけど別にいい。まだ反抗的でいたいのだろう。


「もう分かったからいい。それより今日は何曜日なんだ」
「?土曜日だけど、どうしたの」
「さっき1998年って言った、となるとぼくは32歳の筈だな。仕事は休みなのか」
「うん、土日は休み。安心してね、あなたの望む平穏な生活を送れているから。毎日なんだかんだで満足そうよ」
「……」


そう聞いた瞬間、吉影くんの目に穏やかな光が宿った気がした。33歳の自分は、両親もおらず、仕事は土日休みで、あんなにも望み焦がれた平穏な生活を送っている……。それを知って少しは安堵できたのかもしれない。未来にちょっとの希望があるのだと。不自由な少年時代を耐え忍ぶ価値は確かにあるのだと。


「……ね、ご飯にしようか」
「……」


返事も頷きもしなかったが、吉影くんは黙ってついてきてくれた。








*******








今日ほど最低限の料理の勉強をしていて良かったと思った日はない。


「はい、お待たせしました」
「……頂きます」
「どうぞどうぞ、召し上がって下さい」


目玉焼きにサラダ、野菜ジュースなどなど……シンプルでスタンダードなものを用意した。普段吉影さんが作っている朝食の再現だから、口に合わないということもないだろう。


「どうかなぁ」
「まぁ、問題ないな」


冷たいなー、もう。まあ中学生なんて捻くれの最全盛期だし、皆こんなもんか。
とりあえず拒絶されなくて良かった。


「私は、吉影くんと一緒にご飯が食べられて美味しいですよ」
「……」
「普段は割とイチャついてる方なので、たまに食べさせ合いっこしたりしてるんですよー。あっそうだ、あーんとかしようか?なんちゃって」
「食事中にペチャクチャ喋るんじゃあない。怒られるぞ」
「あ、お行儀悪かったね。ごめん」


そっか、食事中に話すと怒られるのね。悪いことをしてしまった。
まあその「怒る人」は、もうここにはいないのだけども。
ご飯の間はとても静かで、普段は吉影さんとお話ししながら食べていたのを思い出して寂しくなってしまった。








*******








吉影くんの服があまりにもブカブカだったので着替えてもらった。と言っても私のシンプルなシャツとズボンになのだが、今回は仕方ないだろう。吉影さんの服じゃあ全部サイズ違いだから。


「さてと。どうしようか?篭ってても気が滅入るだろうしお散歩でも行く?」
「……」


無言で頷く吉影くんの手を取り、二人で公園に来た。私の手だけは気に入ったのか、繋いだ手を振り払われなかったのは幸いだった。
それにしても平和である。ここの公園は庭園が綺麗なのだ。ゆっくりゆっくり吉影くんの歩幅に沿って進む。時折歩みを止めながら、花の香りを楽しんだりして。
会話は依然として少ないけれど、それでも不思議と心地良い時間だった。


「綺麗ね。吉影くんはどんなお花が好きなの?」
「特にどれってこだわりはない」
「花が咲いてる状態なのが、いいのね」
「ん」


庭園には私たちのほかに人はいない。静かな花園を、私たちは二人きりで歩いた。
奥まった所に来ると、道路を行き交う車の音なんかも遮断され、鳥のさえずりだけが心地よく響いていた。なんだか世界に誰もいなくなってしまったみたいな錯覚の中にいる。
薔薇のアーチの下を行くと、視界のほとんどが花と葉で覆われていた。


「とっても静か。絵本の中に迷い込んだみたいだね。ふふ、こんな不思議な状況だし」
「どんな絵本?」
「ん?それは、えーっと」


よく分からないところに食いついてきた吉影くんに、どう返答したものかと迷った。なんとなく言っただけだから深く考えてなかった。困ったなぁ。


「んん……。じゃあね、私がチルチルで、あなたがミチルのお話なの」
「青い鳥?」
「そう、それね。だからこの庭園は、幸せを探す旅の途中経過で立ち寄った場所なの」
「ふーん」


そろそろクリスマスだし、割といい例えが出せたんじゃないだろうか。聖夜の前日あの兄妹は、幸せの青い鳥を探す旅に出るのだ。
吉影さんがいきなり縮んだのも、私たちにも幸せを探しに向かうための試練が課されているからかもしれない。なんちゃって。


「私たち、ちゃんと青い鳥に気づけるといいね」
「お姉さん、大人のぼくといて幸せだったのか?」
「うん、私はあなたといられて幸せだよ。今もね」
「変なやつ」
「ええ……変って。酷いなぁもう」


光の遮られたアーチを抜けると、二人の間に再びあたたかな日の光が降り注いでくる。
一度も手を離さないまま、私たちは庭園を進む。








*******








お昼はサンジェルマンでパンを買った。
一緒にパンを選んでいると、このひとと姉弟になったみたいで何だか面白かった。全然似てない姉弟だけれど。
湖のほとりの原っぱにこしかけて並んで食べると、ピクニックみたいで楽しかった。吉影くんも、この頃になるとぽつりぽつりと話してくれた。
授業で勉強したこと、読んだ本のことなど。相変わらずの塩対応でもやっぱり嬉しいものだ。話せる相手が隣にいるというのは。
そんな変化にウキウキしていてつい、懲りずにサンドイッチを『あーん』してしまう。
無視されると分かっていてやっただけなのだったが、意外にも吉影くんは黙ってそれに齧り付く。

おやおや?デレ期か?吉影くんの凍り付いた心にもついに小さな綻びが?


「かーわいいー!!」
「うるさいぞ」
「ぎえっ」


……サンドイッチごと指を噛まれました。痛い。


「ああぁ……歯型ついちゃったよ。もう、こんなことしたら吉影さんに叱られるんだからね」
「ぼくが吉影だろ」
「そうだけどさ」
「じゃあいいだろ」
「そうなのかなぁ」
「大人のぼくのものは、未来のぼくのものということだ。やっぱり何の問題もない」
「あ、それもそうかも」
「……お姉さん、流されやすいやつだろ?そんなんじゃ騙されるぞ、悪い大人に」
「悪い大人に守ってもらってるんで、大丈夫ですよ」
「なんだそれ……」


呆れ顔の吉影くんにふふふと笑って、私もパンに噛り付いた。








*******








家に帰った頃にはすっかり夕方だった。
夕飯はどうしようか戸惑ったが、普段の夕食をなんとか再現できてこと無きを得る。お風呂には別々に入って、そして―――


「なんで布団が一緒なんだ!」
「え、朝ああいう状況だったから分かってたでしょう?毎日一緒に寝てるんだよ」
「もう1組あるだろ、布団。それを敷いてぼくはそっちに寝るからな」
「あれ、吉影さんが処分しちゃったからないよ」
「は?」
「私も最初は一緒に寝るなんて恥ずかしいって抵抗したのね。それで押入れ漁ってたんだけど、そしたら怒った吉影さんがもう1組あった布団を爆破しちゃって」
「爆破……?」
「あ、いや、捨てちゃったの。とにかく強硬手段に出られたので、これ以外の布団はうちにないのです」
「……お姉さんのことは間抜けだと思ってたが、もしかしてぼくまでバカになっているのか?嘆かわしいな……」


げんなりとしながらも覚悟は決めたのか、大人しく私の腕の中に収まった。いつもは私がすっぽりと覆われているから、逆パターンだ。新鮮だなぁ。
ちょうどいい位置にある目の前の金髪にモフモフと顔を埋めると、強めのチョップをお見舞いされた。気難しいひとだ。
華奢な体を抱きしめ直すと、私の手に小さな手が重なって、ほんのり温かな気持ちになる。


「今日、どうだった?リラックスできたかな?ほら、中学生って毎日忙しいでしょ?息抜きになってたら嬉しいんだけど」
「お姉さんがうるさかった」
「えっ……。ご、ごめん」
「……でもお姉さんがヤバいやつじゃあないってことは分かったから、まぁ、信用してやってもいい」
「……!」
「ぼくもいつ元の大きさとやらに戻るか分からないが、その間」
「うん」
「まあ、うちに置いてやってもいいですけど。悪さをしないのならな」
「そっか。ありがとうございます」


謎敬語で話す吉影くんを、決して離さないようにギュッと抱きしめ、私はいつの間にか眠りについていた。








*******








夢の中の私は、いつもの大人の吉影さんと一緒にいた。美しく星の灯る夜空の下、四季折々の花が咲き乱れるという異様な光景の中、寄り添って、今日行った公園のベンチに座っている。優しく抱かれた肩が心地良く、もっとという風に擦り寄った。彼がいるから夜風も冷たくはない。しっかりと握られた手がいつも私を安心させてくれる。
私の膝に乗っている小さな青い鳥。それを空いた手で愛おしみを込めて撫でながら、吉影さんに語りかける。


―――ねぇ、私思うんですよ。

―――あなたがこのままでも別にいいかなって。戻らなくてもいいかなって。

―――いや、寂しいですよ?優しい年上の吉影さんに会えないわけですから、とっても寂しいのは本当です。でもね。

―――もしこのまま、あなたの人生をここからやり直せるのだとしたら。とうに諦めた筈の全てを、修復することだって可能な気がしてしまうんです。


髪に乗った桜の花びらをつまみ、ふぅ、と飛ばした。それでも絶えず花びらは降り注ぐ。あっという間に二人とも花びらまみれだ。目があって、苦笑した。
吉影さんの髪にも乗っているピンクの花びらを、髪を梳くようにして優しく払ってあげる。
輝く金髪に混じる桃色は、なんだかとても美しかった。


……彼の初犯は18のとき。だったらその運命を私は変えたい。
人殺しでない、殺人鬼でない吉良吉影なんて最早彼ではないのだが、でもそれでいい。そうなれるのならばそれがいい。あの事件さえなければあなたは殺人の快楽も知らず幸せに生きられたかもしれないのだから。
ならば今からやり直せばいいのだと考えた。縮んだ理屈は分からないが、これがまたとないチャンスだということは痛い程に理解している。

明日からどうしよう?とりあえず吉影さんにはのびのびと過ごしてもらって、ゆっくりとその傷を癒してほしい。私は傍にいて、それを支えていきたい。寂しい思いや苦しみの一切からはもう無縁でいてほしい。せっかくやり直せるのだから……。
……月曜日からは出勤日だな。会社になんて言おう。体調不良のため長期休養?……それとも失踪?難しいことは明日詳しく調べなくては。
貯蓄はかなりある筈だが、限りがある。仕事も探さなくてはならない。やることがいっぱいだ。正直不安は大きい。


―――とても大変なことだとは分かっています。でも私、ちゃんと頑張れますよ。他でもないあなたの為ですからね。また、大人に成長したらいつか、私のこと撫でて下さいね。


頭を振って積もった桜の花びらを落とすと、髪がぐしゃぐしゃになってしまった。それを見かねたのか、隣から伸びてきた手が私の髪を手櫛で甲斐甲斐しく整えていく。身を委ねれば、ふんわりと幸せに包まれてしまう。
吉影さんと一緒にいることは、私の幸福だった。

黙って私の言う事を聞いていた吉影さんは、静かに口を開いた。
私は吉影さんの方を向いたのだが、なぜか表情がよく見えない。顔があるはずのそこには、暗くぽっかりとした暗闇があるように見える。
おかしいな。変なの。まるで人間じゃないみたい。人間の形はしているのに、しかし真っ黒な怪物のようだと感じた。


―――なまえ、ありがとう。だがね、そこにわたしの幸福はないんだ。

―――わたしは救済を求めちゃあいないよ。それに勘違いしないでくれよ、わたしは別にカワイソーなヤツだから殺人をしているワケじゃあない、単純に趣味だからさ。それに。

―――きみに出会ってからの記憶も丸々消えたわたしになってしまうのだろう?せっかくの気持ちを無下にして悪いが、それだけは嫌だからね。それからこれだけは言っておきたいんだが……。


語る真っ黒な吉影さんが、私の膝元の青い鳥を手で追い払ってしまった。
あ、と声を上げたがもう遅い。小鳥は吉影さんに怯えるように飛び上がると、逃げるようにどこかへ消えてしまった。
どうしてこんなことを?せっかく幸せになれそうだったのに。
私が抗議しようとするより早く、吉影さんの形をした闇に体を強く掻き抱かれ、息が詰まる。


―――『この』わたしを捨てるなよ。人殺しのわたしを。罪にまみれたわたしを。吉良吉影はこのわたしだ。わたしの人生はただ一つ、ここにしかない。そこに何の恥もなければ後悔もない。やり直したいとも思わない。

―――フフ。わたしと関わったからには、最後まで付き合ってもらうからね。わたしを愛するということは、どういうことなのか……分かってるんだろ。

―――きみも同罪だ、なまえ。


そう告げられた瞬間、目の前の真っ暗な暗闇に唇を奪われた。


―――まったく、何勝手に幸せになろうとしてるんだい、きみは。わたしを置いて行こうとするなんて酷い子だね。そんなの許すわけがないじゃあないか。


気づけば視界は一面夜闇の比じゃない程に黒く染められていた。
あんなに満開だった美しい花々も、一切の光も全て失う濃厚な暗闇に呑まれている。何もない……。
暗闇からの口付けで、酸素さえも奪われていく。苦しくてもがくも手は空を切り、何の手応えもない、恐怖。


―――……ぁ、……かは、……っ。


息が……出来ない。闇に呑まれて溺れていく自分の体が、ひどく恐ろしかった。
吉良吉影の住む世界はこんなにもとても冷たくて暗いのだ。

薄れゆく意識の中で思ったのは、心細くて冷たくて寂しい……恐ろしいこの空間に、やはりあなたを一人にはしたくないということだった。
もはや人間の形すら成さなくなった、私を吸収しようとするかのように包んでいる暗闇の怪物。
しかし必死に探れば、かろうじて人の形を残した場所が見つかった。これは、きっと―――。
―――私は吉良吉影の手を握る。








*******








「……。」


目がさめると、ほぼ裸の大きな『吉影さん』が私の胸元に顔をうずめて、赤ん坊のようにすやすやと寝息を立てていた。
私が貸していた服は、彼の体格には小さすぎて破れている、まあそれもそうか。


……そっか。戻ったんだ。そっか。


安堵か、それとも。
何故だか切ないような涙が滲んできて、私はぱちぱちと瞬きを繰り返す。
枕元に灰色の羽が落ちていることに気付いて、微妙に不安な気持ちになった。

……枕の詰め物からたまたまひとつ出たってだけだよね?そうに違いない。深く考えるのはよそう。

それをそっとつまんで、見えないようにくずかごに入れた。


「あーあ……」


重い体でのそのそと布団に戻ろうとすると―――突然伸びてきた腕に布団の中へと引きずりこまれる!


「ぎゃー!!な、な、なに!?」
「フフフフフフ。おはよう、なまえ……んっ、ちゅ……っ」
「ッ……ぷはっ!びっくりするじゃないですか!」
「すまないね、でも丸一日なまえと会えなくてとっても寂しかったんだ。なまえも一緒の気持ちだと思ったんだがね」
「……っ、それは、もちろんですけど」
「だったら、いいじゃあないか」
「そう、ですね……」


怠惰に二度寝を貪りながら、頬をくっつけあったり髪を弄ったりして、触れ合う。確かにこういう瞬間は、幸せだと感じた。それは間違い無いのだが。

大きなお家、温かなお布団。吉影さんの作る美味しいご飯に、私を抱きしめてくれる逞ましい腕。ゆったりと流れていく、穏やかで優しい愛すべき日常たち。
本来の姿に戻ったこの家には、そんなたくさんの幸せが満ち溢れていたことを改めて知った。

『青い鳥』は、旅に出た先ではなく元いた家にこそ青い鳥がいたのだと分かる回り道の物語。それに照らし合わせて考えるならば、私も彼も、これこそが本当の幸せということになる。
だけれどあの時私の膝の上に乗っていた可愛らしい青い鳥は、吉影さんの手によりどこかへ追い払われてしまっていた。

今この家に、本当に青い鳥はいるのか?
私には分からない。








*******








M県S市杜王町。別荘地帯の広がる勾当台。
そこに建つとある大きなお家には、平凡な大学生の女の子と、平凡な会社員の男性が仲睦まじく暮らしていました。

二人はお互いに惹かれ合い、心から愛しあっています。
男の名前は吉良吉影。自分より一回り年若いこの恋人を大層可愛がっていました。
恵まれた容姿に、物腰柔らかで気品に溢れた態度。色々な才能に溢れていても驕り高ぶることもなく、目立たないようにと振舞うような、争いを好まない優しい性格。
まるで王子様のような、誰もが憧れる、とても素敵な人でした。
そんな王子様の趣味は、女性を殺すことでした。


「わたしたち、なんて幸せなんだろうね。なまえもそう思うだろう?」
「ええ。吉影さんの傍にいられれば、私は幸せです。それだけで良かったんです。ふふ……そうでしたね、危うく大切なことを忘れるところでした。気づかせて下さってありがとうございます、吉影さん」
「多くを求めてはバチが当たる。ずっとここで、わたしたちはこのままでいればいいんだよ」
「今ある幸せを大切にして過ごせばいいんですね。うんうん、大切な心がけです」


二人は暗闇の中で身を寄せ合います。
幸か不幸か、距離が近すぎて互いの姿しか見えません。だから周囲が深すぎる暗闇だろうと恐怖を感じる事はありません。足元がボロボロ崩れる崖だろうと、それに気付くことすら、出来ません。
とても危うい、まやかしの幸福の上でフラフラとバランスを取っています。

本当は、この暗闇にも終わりがある筈でした。
しかし二人は歩むことすらやめてしまったため、ついぞ幸せなエンディングを迎えることは叶わなかったのです。






1998年、12月。やがて冬が過ぎ、春が来れば、人々の新生活が始まります。
小学生は中学生へ。中学生は高校生へ。
杜王町にあるぶどうヶ丘高校にも、たくさんの生徒が入学してくることでしょう。その中には黄金の精神を持った、立派な青年たちもいます。
街を愛する心と、真っ直ぐな強さを持つ青年たち―――名前を、東方仗助、広瀬康一、虹村億泰と言いました。


1999年。やがて杜王町に奇妙な運命の夏がやってくる事は、幸せそうな今の二人には知る術もないことです。








―fin―








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