夢小説 ジョジョの奇妙な冒険 | ナノ




アシスタントさんのおしごと





「…え、本気?真面目に?冗談じゃなく?これを、私が…?」
「ハァ…まったく、何度も聞き返すなよ。ぼくが、こと漫画に関して本気じゃなかったことが一瞬だってあるか?」
「ないけど…でも…」


露伴に呆れ返った目線を寄越されたなまえは、大きくため息をついた。
呆れてるのはこちらの方だというのにこの男、随分な態度ではないか。

テーブルに並ぶのは、いつだかなまえが好きだと話したブランドの紅茶に、小ぶりだが、キラキラしたフルーツたっぷりの上品なホールケーキ。
今日のティーセットはちょっとばかり奮発しているなとワクワクしたなまえだったが、要は彼女にこの「依頼」をするためのご機嫌取りという訳だ。
なまえは若干げんなりしながら、露伴邸に来たことを早くも後悔し始めていた。
出された紅茶に角砂糖をふたつ落とし、ぐるぐるとかき混ぜると、露伴へじっとりした視線を返し、言う。


「だって、いきなり『バニーガールの衣装』を着ろ、なんて言われたら誰だって驚きますって…」
「きみにしか頼めないんだよ。いいだろ。その衣装を着て座ってるだけでいいんだから。簡単なことじゃあないか」
「そういう事じゃなくてですねーっ…」


出された衣装を着て、座っているだけ。
単純で簡単な仕事ではあるけれど、なまえにとっての問題はそこではない。
そこらのお店や美術館に同行しろなどと露伴に半強制的に誘われた時は、いつも流されるままにホイホイついて行ってしまうなまえであったが、今日の依頼は訳が違う。
漫画の作画資料用のスケッチという純粋な目的のためといえど、恋人でもない男性の前で際どい格好を晒すということには女子としてどうしても躊躇いがある。
簡単に頷いていいことではなかった。
露伴の漫画は大好きだけれど、それとこれとはまた話が別というものだ。
ティーセットの並ぶテーブルに置かれた、場違いな真っ赤なバニーガールの衣装をちらりと一瞥し、なまえは微妙な気持ちになった。


「なんというか、今日は一段と急な依頼で…。あのー、いつも思ってたんですけど、こういうの、正直ちょっと困るというか…」
「なに、勿論バイト代は払うさ。だから安心してぼくの漫画の糧になるといい。なぁ、きみにとっても悪い話じゃあないだろ」


口元へ運んでいたティーカップを止め、露伴の聞く耳持たなさにほとほと困り果てたなまえは静かに目を伏せる。
沈んだ顔で固まるなまえに、露伴もさすがにマズイと思ったのだろうか。
しかし何と声をかけるべきか分からず、どうしたものかという顔でそわそわしていたが、ついぞ適切な言葉は見つからなかった。
困り果てた露伴は、誤魔化すように、切り分けたケーキをいそいそと差し出してお茶を濁すことにした。


「ほら、まあ…食べるといい」
「…どうも」


テレビで大々的に特集されていた、今、女性に人気だという可愛らしい見た目のフルーツケーキ。
実は午前、開店と同時に女子の群れの中に男一人で並び、やっとの思いで露伴が買ってきたものだ。
こんなことなら担当の編集者にでも頼めば良かったと内心憤ったが、そうしたらそうしたで、こんなオシャレなケーキを誰にあげるんだと余計な詮索をしてくるに違いなく、露伴は結局黙って女子の列に並び続けるしかなかった。
そんな苦労があったとはプライドの高い露伴は決して口にしないため、なまえに知られることはないのであった。

かちゃりとフォークを手に取ったなまえを、露伴がじっと見つめる。
パッとしない表情でケーキを口に運ぶなまえ。
ケーキの感想より先に、その口からは小さなため息がこぼれた。


「はぁ……」
「……」


笑顔が見られると思っていたし、だからこそ女子の列だって恥を忍んで並んできたのに。
露伴はなんだか面白くなくて、ついまたキツい物言いをしてしまう。
責めたいわけではないけれど、これが露伴の性分なのでどうしようもなかった。


「…なんだよ。どうせきみ、家にいたってゴロゴロしてるだけなんだろ。ぼくの役に立てるなんてずっと有意義な時間の使い方だと思わないか?余計なお世話かもしれないけどなぁ、時間は大事にした方がいいと思うぞ、ぼくは」
「ええー…?まあ、暇なのは本当だけど…。家でどう過ごそうと私の勝手じゃないですか」
「この岸辺露伴がわざわざ心配してやっているんだぞ。人からのアドバイスは素直に聞き入れるべきじゃないのか?」
「はぁ…」


完璧に自分の意見を通すつもりでいる露伴に、なまえは返事ともため息ともつかない曖昧な声を漏らした。
バニーガールの格好なんかしたくない、なんの得もないし、恥ずかしいし、何より面倒くさい。
だがこうなってくると、露伴の頼みを断る方が、なまえにとっては正直もっと面倒くさかった。
一度言い出したら聞かない露伴の意志の強さは、なまえもよく知っていた。
というか、知りすぎていた。

どこまでも不遜で強引、自分の感じるがままに動く露伴と、面倒くさがりゆえに他人に流されやすいなまえ。
露伴の無茶な要求を最初は断ったとしても、最終的にはなまえの面倒くささメーターの針が振り切れ、いつも露伴の言うがままだ。
なまえにとっては不本意な形ではあるけれどこれはこれで上手くいってしまうからこそ、二人のよく分からない関係はこうして未だに続いているのだ。

もそもそとケーキを咀嚼するなまえと、それをじっと見つめる露伴。
露伴が買ってきてくれたケーキは確かに美味しくて、なまえはなんだか段々と申し訳ないような気がしてきてしまう。


「……」
「……」
「…あの、あまり見られると食べ辛いのですが」
「……美味いか?」
「え?ああ、ケーキはもちろん美味しいですけど…」
「フーン……へぇ…そうか…そりゃ良かったなァ……」
「……」


つまらなそうに投げやりな返事を寄越す露伴の様子に、なまえはますます居たたまれない気持ちになる。
…別の人に頼んだら、と言おうかとも一瞬考えはしたが、この男にそんな不躾な依頼を聞いてくれるような知り合いの女性はいないだろう。
そう考えると何だか気の毒に思えてきて、もう自分が協力すれば良いか…となまえまで段々と投げやりになってくる。
居心地の悪い空気に耐えかねて、今日だって先に折れたのはなまえの方だった。
最後に残ったイチゴまで食べ終わると、ご馳走さまの代わりに露伴に告げてあげる。


「……ああもう、いいですよっ。着ればいいんでしょ!そのかわりスケッチするなら手早く済ませてくださいね!それが約束ってことで!」
「よし!それでこそだ!やはりきみは『いい』ぞッ!!ぼくのアシスタントに相応しい!!」
「なっ…!?いつ私がアシスタントになるなんて言いましたか…」
「もう似たようなもんだろ。実質アシスタントだ」
「なんかやだなあ。困りますよ、そういうの」
「おい、イヤとか言うな。むしろもっと喜ぶべきだろ。この岸辺露伴の役に立てるんだからな」


アシスタントなんか死んでも雇いたくないと思って今まで一人で漫画を描き続けてきた露伴。
今までもこれからもそのスタンスは変わることがないと信じていた。
しかしなまえは(アシスタントというよりは被写体だとか、露伴専用便利屋だとかいう言葉の方が近いが)、露伴にとって近くに置いておくことが苦痛ではなかったので、せっかくだから「アシスタント」という立場を与えてやることにした。
他人をあまり寄せ付けない性分の彼からすれば、最大の好意の証である訳だが、なまえはそんなことはよく分かっていなかったのであった。
悲しいかな、もともと分かりにくい岸辺露伴の優しさも好意も、なまえの前だと尚更空回りなのである。





*******


 < なまえ視点 > 





全身鏡の前で、よろめく足取りでくるりと一回り。
真っ赤なレザーのコスチュームはピタリとフィットして、私のボディラインを浮かび上がらせていた。
お揃いの生地で出来た真っ赤なウサミミカチューシャはちゃんとピンと上を向いている。
首元に結ばれているのは黒のリボンタイ。
少し食い込む網タイツはちょっぴりキツいが、まあ許容範囲内。
…よし、特に変なところはない。
見た目がカッコいい代わりに歩きにくさが半端ないピンヒールも、我慢してちゃんと履いた。
着替えに少々手間取ったが、今の私はどこから見ても完璧にバニーガールだ。

うさ耳をピョコンピョコンと揺らして露伴先生の待つリビングの扉の前まで向かい、そこで立ち止まる。
深呼吸をするも、ちっとも緊張は収まってはくれなかった。


「ああもう、やだな〜…。帰りたい…」


やっぱり変じゃないかな。
露伴先生に笑われたらどうしよう。ガキっぽくて似合わないなァ〜、とか馬鹿にされたら嫌だ。
…漫画のためって言ったって、私、本当にこんな恥ずかしい格好して良かったのかな。

でも着替えたからには一回先生に見せなきゃ、帰れない。
とりあえずこの扉の向こうへ行かなくてはならなかった。
うだうだしてるより当たって砕けて、こんな茶番はさっさと終わらせてやるのだ。

コツコツとノックをして、目の前の重たい扉を押し開いた。
かつん、と鳴ったヒールの音に気付いた露伴先生が、手にしていたスケッチブックを閉じてこちらを振り向いた。
もう逃げ出すことは許されない。
ええい、ならばせめて堂々としていよう。
どうにでもなってしまえばいいんだ…!


「おっ…お待たせしました〜…!」
「オイオイなまえ、待ちくたびれ…おおっ、なんだ、似合うなぁ!!」
「ひぇっ」


ソファに腕組みをして座っていた露伴先生は、私を見るなり目を輝かせ、こちらへ寄ってきた。
驚いて思わず後ずさりしたが、すぐに背中がひやりとした感触にぶつかりハッとした。
後ろは扉、前には先生。
そうだった、退路は既に己の手で絶っていたのだ…!!
迫り来る先生から逃れる術を持たない私は、ただ間抜けな棒立ちのままその場で固まっていたのであった。


「きみ、清純そうな顔してる割にこういうのもハマるんだな…。なんていうかギャップがいい。こうも似合うとは思ってなかった」
「えっ。そーですかね…」
「ああ、ぼくの想像以上だぜ。自信を持っていい。きみ、バニーガールの才能あるぜ」


バニーガールの才能とは一体…?
想定外の意外な反応に、思わず薄い対応をしてしまう。
戸惑う私を、先生はジロジロと無遠慮に眺めたおすと、手にしたスケッチブックにしきりに何かをメモしていた。
熱心なことである。


「ふんふん…なるほどなぁ…なかなかイイじゃあないか〜っ。サイズもピッタリだな、うん、凄くイイぞ。完璧なバニーガールだよ」
「わぁ…。露伴先生に褒められるなんて変な感じ…」


これは嘘。本当はホッとした。
いつもの調子で意地悪にからかってくるものだと覚悟していたから、逆に私が面食らってしまったのであった。
というか、珍しくあんまり素直に褒めてくれるものだから、むしろ正直なところ少しときめいた。着て良かったなって、思っちゃった。
…不覚だけど!
それだけなら、私の中で露伴先生の株が急上昇だったのに。
だがしかし残念ながら、あの露伴先生がそれで終わるはずなんかなかったのだ。


「いい事を思いついたぞ。せっかく買ったんだし、これっきりなんて勿体ない。今度からその格好で給仕するか?」
「し・ま・せ・ん。…本来おかしいんですからね、家の中でこんな格好…」
「そう言うなって、似合うって言ってるのにさあ」
「…あまり面白くない冗談を言うようなら帰りますよ」
「おい、こんなことで怒るなっての。褒めてるんだぜ、ぼくは」
「ああもう〜っ…、嬉しくないんですってば!訳わかんないこと言ってないで手を動かして下さいよっ」
「さっきからぼくの手は一度だって止まってないぞ」


うわ、本当だ。器用だなぁ…。
私とくだらない雑談をするその間ですら先生の手はスケッチブックの上を走り続けていて、素直に凄いと思った。
それはそうと露伴先生、今あなたは上げた株を自分で再び下ろしましたよ…。

先生の家にお呼ばれする度にこんなアホみたいな格好するなんて地獄以外の何者でもない。
というか何故客人の方が家主をおもてなしするのだ。訳がわからない図だ。狂っている。
万一そんなフザけた約束を取り付けられようものなら、私は二度と露伴邸に来ることはないだろう。
呆れ半分に先生を見上げるも、やれやれとでも言いたげに軽くいなされた。


「そんな顔するなって。ぼくは『可愛い女のコ』を描かなくっちゃあいけないんだ。なまえはフツーに可愛くしてればいいんだよ。まずは笑ってみてくれ。笑顔、笑顔」
「ええと…。…こ、こう…ですか?」
「そうそう、中々いいぞ。少し首を傾げて…そう!そのまま…」
「あっ……は、はいっ……」


唐突に仕事モードへ切り替わった露伴先生につられて咄嗟に言うことを聞いてしまったが、モデルのお仕事というのはやってみると想像以上に恥ずかしいものだった。
露伴先生の真剣な眼差しに少しだけドキリとしつつ、私は媚びるような笑顔を貼り付けて可愛こぶりっ子を続ける。
いい笑顔を維持することに全神経を注ぐも、うっかりすると顔が引きつりそうだ。
なんとか気合いで誤魔化すも、変に力んでしまって頬の筋肉が痛い。
鉛筆がスケッチブックの上を走るさらさらとした音を聞きながら、私は一人己の表情筋と格闘し続けていた。

今まで散々スケッチされたことはあっても、こう本格的なモデルの真似事をすることなど初めてだ。
…だから、見られることになんてまるで慣れてなかった。
身体中にグサグサ刺さる視線に、なんともいえない気持ちに襲われながらも、次々と出される指示に一生懸命従っていった。


「うーん、そうだな…気取ったポーズで得意げな顔してくれるか?」
「わ、難しい注文が来た〜…。こ、これでいいですかね」
「ああ、問題ない。ちゃんと止まっててくれよ」
「はいはい」


だって、露伴先生のためになることは、ひいては『ピンクダークの少年』のためになるのだ。
漫画のいちファンとしては、役に立てて素直に嬉しいというのもまた事実。
だからいつもちょっとくらいのワガママや無体を許せてしまうのは、大体それのためだった。
最高の作品が見られるのなら、これくらいの労力は惜しまない。
最初は嫌だったけど、露伴先生はこの格好を褒めてくれたし…今は当初程の抵抗感はなかった。
いざ着てしまえば案外なんとかなるものらしい。

露伴先生の視線の先には私がいて。
私の視線の先で、鉛筆が紙の上を踊る。
優雅に、リズムよく、滑らかに。

その様子に興味を惹かれた私は、先生に問いかける。


「ね、ちょっとだけソレ見せて下さいよ。どんな風に描かれてるのか知りたいです」
「ん?ああ、別に構わないが。」


下からスケッチしていた露伴先生の隣にしゃがみ、手元を覗き込むと、そこには既にたくさんの「私」がいた。
今描いたものだけじゃない、多分先生が日頃からちょこちょこ描いていたものだ。
よく視線を感じることはあったけど、まさかこんなにたくさん描いていたとは。

ティーセットを前に微笑む、お淑やかな女の子。
台所で料理をする、艶やかなポニーテールの後ろ姿。
ソファで丸まってスヤスヤと寝ている無防備な女の子は、よく見るとズレた襟元からブラの肩紐が見えていた。…こんな所まで描かれると恥ずかしいのですが…!?
黒髪を風に揺らし、どこか遠くを見ている女の子。…こ、この服、先日先生と花見に出かけた際に着ていたものだ。いつスケッチしたのやら。
どれもこれも、まるで生命そのものを閉じ込めたんじゃないかってくらい繊細で生き生きとしている。
白と黒の世界の中で感じる、圧倒的な彩り。
こんなの、露伴先生じゃなきゃ絶対に描けない。

…先生には、私がこんな風に見えてるのかなぁ。
素敵だった。
自分じゃないんじゃないかって位、素敵な女の子だと思った。
みずみずしく圧倒的な美を目の前に、私の口からは、ほぅ、と陶酔のため息が漏れる。


「どうだ?なかなかだろ」
「……」
「なまえ?」
「……はい、とても…。とても魅力的です。もし差し支えなければ、後でコピーして頂きたいのですが…」
「なんだよ、そんなに気に入ったか?いいぜ、後でコピーして送るよ」
「ありがとうございます。先生は、やっぱり凄いんですねぇ」
「これぐらい当然だ」


先生にとっては当たり前でも、やっぱりこれは凄まじすぎる。
私もちょこっと趣味程度に絵を描くこともあるが、先生のはどこか次元が違うのであった。


「満足したか?次は後ろからだな。適当にポーズをつけて、顔だけぼくの方へ振り向いてくれ。悪戯っぽい感じで」
「はい、こうですね」


立ち上がり、気分を切り替えれば再び私はモデルになる。
休む間も無くスケッチブックの上を行き来する露伴先生の手。
高速で忙しなく動き続ける先生の右手の凄まじい仕事ぶりを目の前にし、私は漫画家・岸辺露伴を尊敬する。





*******





「ふぅ。大方こんなもんか。あー、あと座りポーズだな。せっかくだし描いとかないと」
「ふー……。座りですね。どんな感じで?」
「そうだな…ええと…」


今の私ならどんな要求にも応えられる気すらしますよ!
勝気な眼差しで、露伴先生の次の言葉を待つ。


「…よし。次は床に足を投げ出して座るんだ。片手は床について、もう片方の手はグーにして、そうだな…顎の下に添えて。…そう、そんな感じだ。飲み込みが早くて助かる。あ、視線は逸らすなよ」
「こう、ですね。分かりました」


はいはい、露伴様のお望みのままに〜。
なんちゃって。

かなり気分が乗ってきていた。
言われるがままに床に腰を下ろしてポーズを決めると、冷たいフローリングが網タイツ越しの足に触れてひやりとしたが、今は気にならない。
下から笑顔で見上げると、再び真っ直ぐな眼差しが私の全身へと注がれた。
絡みつくようなその視線が私の細部までもを丁寧に捉え、そしてスケッチブックに刻みつけていく。

ああ、今、露伴先生に見られている。
余すとこなく、際どいバニーガール姿の私を見られ、観察されている。
そう意識した瞬間、ぶわりと全身が熱を帯びたのはどうしてなのだろう。
まさか私には見られて興奮するという変態趣味の素質でもあったというのか。
どうしようもなくドキドキする胸を無視して、いい笑顔を浮かべることだけに神経を集中させようとする。
これは仕事なんだから、私も真面目にやらないと先生に失礼…だよね。
そうだ、きちんとしないと。

ふと手を止めた先生が、少し躊躇いがちに口を開いては閉じてを繰り返した。
何か言いたいみたいだが、今更一体何を躊躇することがあるんだか。
ここまでさせておいて、水くさい真似はナシでいきたい。


「どうしたんですか?先生」
「なっ、…何がだよ。ぼくは別にどうもしてない」
「そんなソワソワしてる癖に、とぼけなくていいですよ。まだ何か注文があるんでしょう?この際だし私も出来る限りの事はするので、どうぞ言ってください」
「じゃあ言うが…。ちょっと…『露伴先生』って、言ってみてくれないか」
「え」


…なんじゃそりゃ。
いつもそう呼んでるじゃないか。先生の意図がまるで分からない。
とはいえ、やると言ったからには実行するだけだけれど。
きちっと決めたポーズはそのままに、私は先生の名前を呼ぶ。


「…露伴先生」
「もう一回」
「…ろ、ろはん、せんせい」
「……ああ」


何故か返事はしつつもフイと視線を逸らされた。
こ、これで良かったのだろうか。
もしかして…ダメだった?

……?
なんだか知らないけど、どうもいたたまれないというか、落ち着かないというか…。
モデルをしている時とは違った種類の恥ずかしさに襲われた私の頬はみるみる赤く染まっていき、顔を隠したい衝動に駆られる。
でもだめだ、頑張らなきゃ…!
私の頑張りが『ピンクダークの少年』のクオリティの向上に少しでも繋がるのなら、手は抜けない。
私は露伴先生の、最高の漫画を読みたい。
そのためならこの笑顔だって、恥ずかしい格好だって、先生に見せられるのだから。
覚悟を決めた私なら、いつもより大胆になれるのだ。


「まだ何か、ありますよね」
「……いや、十分だよ。他になんて、何も―――」
「……露伴先生。言って」
「……」


少し考え込んだ露伴先生は、まごつきながら再び口を開いた。
次の指令が下される。


「なあ、おい、くだらないことだが、きみが言えって催促するから言うぞ。…なまえ」
「何です…」
「呼び捨てに出来るか」
「……ろはん?」
「もう一回」
「ろはん。」
「…可愛いじゃないか、きみ。ちょっと舌ったらずなとことか……けっこう、うん、なんていうか、こう……いいぞ。」
「…遊んでますよね!?」


待て待て待て、とんでもない!
この人私をおもちゃにしていたのでは!?
何!?名前を呼べって!もう完全に漫画と関係ないよ!!

ふざけるな感が一気にマックスに達した私は、つけていたウサミミを床に叩きつけた。
乱暴な振る舞いだが許してほしい、私もいっぱいいっぱいだったのだから…!


「前言撤回です!私は帰ります!それじゃ!」
「あっ、おい!なんだって言えって言ったのはきみだろ!?それにそんな格好で外出たら近所に噂されるぞ!分ったなら待つんだ!なまえ!」





*******





乱心して露伴邸から飛び出していこうとした私は、露伴先生によって取り押さえられたのであった。
今はこうして大人しく椅子に座らされ、ぶすくれた顔を先生の前に晒している。
それもそのはず、大体こんな不安定なヒールで走ったところで勝算などない、分かっていた。
あの時はほぼパニックだったのでそんなの考える暇もなかったけど!


「そもそもどうして、バニーガールなんて描くことになったんです?露伴先生の作風と違うような気がするんですけど…?」


今となってはその依頼が本当かどうかも怪しいんですけど。

先程の先生の振る舞いのせいで、どうも猜疑心が拭えずに、私は思い切って先生に質問をした。
先生は淹れなおした紅茶を一口飲んで、言った。


「…もちろん本編にバニーガールが出る訳じゃあないぜ。ホラ、雑誌の最初の方のページの…たまに看板作家を集めて読者サービスみたいなの描く時あるだろ。あれだよ。何でも創刊◯◯周年だとかで、今回は人気作のヒロインにこの格好させてお祝いにするんだとさ」
「なんだ、そうだったんですか」


やっと合点がいった。なるほど、雑誌の企画ならばそういう事だってあるんだろう。
つられて私も紅茶を飲むと心が落ち着いて、ゆっくりと冷静さを取り戻してきた。
先生は苦い顔で続ける。


「それは別に構わないが、問題はここからなんだよ。担当からぼくが描く女のコは可愛くないって言われたんだ。失礼だよなぁ〜〜ッ!あいつの見る目がないだけだと思うが、ぼくとしても言われっぱなしってのは癪でね。だったらこの機に『可愛い女のコ』ってのを研究してもいいかと思ったというわけさ。」


一息でまくしたてる露伴先生に気圧されながら、私はうんうんと頷いて話を聞き続ける。


「だからきみの…可愛い仕草みたいなのを探してやろうと思って………手始めに名前を呼ばせたんだよ!ぼくが呼んでほしかったんじゃあないからな!あくまで探究の一環としてだ!変な勘違いをするんじゃあないぞ。迷惑だからなッ」
「し、しませんよ。分かってますよ、先生が漫画一筋なことくらい」
「フ…フン、分かったのならいい」


あっさりと否定した私に面食らったのか、複雑そうな顔をしながらも先生は引き下がってくれた。
先生もこの話題を続けたくはないのか、わざとらしい咳払いをして流れを変えた。


「…というわけで、もうちょっと付き合ってもらうぜ。今度は突然暴れたりしないように」


…ああ、まだ帰っちゃダメらしい。




*******




いい加減日が落ちてきたのだけれど、いつまで続けるつもりなのだろう。
集中を中断させちゃいけないと思って言わないけれど、あとどれくらいかかるのかは聞けばよかったなぁと心の中で呟いてみる。
露伴先生は椅子に座っている私の周りをぐるぐると回り、ブツブツと独り言を言いながら近づいたり離れたり、熱心に集中して観察を続けた。時折メモをとるのも忘れていない。
ひとしきり満足いくまで私の格好を眺め回した先生が次に注目したのは足だった。


「あとここだよな。網タイツ!細かいディテールをどう描くかってけっこう重要なんだぜ」


先生はそう言って私の網タイツ越しの半剥き出しの足に触れ、鼻先が触れるんじゃないかというくらいぐいっと顔を近づけた。


「!?」


び、びっくりしたなぁ…!
一瞬何事かと身構えてしまったじゃないか。
突然足を触らないで欲しい。せめて断りを入れろってば。
若干疲れてぼーっとしていたので、本気で心臓が止まるかと思った。


「ちょ、せんせっ…息当たって、くすぐったい…!」
「ちょっと我慢しろよ。すぐ終わるからさ…」
「あっ…!な、何っ…」


身をよじって抵抗するも虚しく、観察しづらいと言わんばかりに先生は足を掴む手に力を入れ、固定する。


「こうして近づいてよく見て見ると…フム。網が肌に食い込んでるな。こういうとこちゃんと描くとリアルさが段違いなんだ。具体的に言うと、より官能的になる。『可愛い女のコ』には必須な要素だ」


官能的って要するに、え、エロいって言いたいのだろうか。
ドギマギしながら先生を見るも、彼は私の足ばかりに集中しており目が合いそうにもない。
な、何考えてるんだろ、先生…。
仕事って言ったって、漫画のためって言ったって、女子の足をこんな風に触って、本当に何とも思わないのだろうか。
出家した僧のような精神にでもなってしまったというのか。
凄いな、先生。


「お、こんなとこにほくろがあるな。気付かなかったぞ…」
「んっ…!」
「動くなってば」
「すみません…でもくすぐったくて…ふっ、んんっ…」


スリスリと指先でほくろの上を撫でられるが、如何せん場所が問題だった。
右足、柔らかい内腿の…それも付け根近く。
露伴先生じゃなかったら100パーセントセクハラだ。
…いや待てよ、露伴先生でもこれは流石にセクハラでは…?
で、でも、先生は真剣にやってるんだし、普通のこと…?私がいちいち騒ぎ立ててるだけなのかな?
あああ、段々訳が分からなくなってきたぞ…。


「そうだ。ついでにちょっといいか?」
「?何ですか」


私の返事を聞くより早く、先生が私の手を引き、椅子を立たせた。
また何かポーズをとらされるのかな、と考えてされるがままでいると―――ぺむんっ!とどこか間抜けで小気味良い音が鳴り響く。
それは、先生が私の太ももとも尻ともつかない微妙な場所を、手のひらで軽く叩いたゆえに発された音だった。


「はっ………。はぁぁああ!?!?何するんですか!!本当に!何!してるんですか!!」
「おいおいおいおいうるさいぞ、耳元で叫ぶんじゃあない。何って、ちょっと肉を叩かせて貰ったのさ。どんな感触で、どんな音がするのか、どうしても知りたくなったからな」
「い…いくら漫画にそういうシーンがあるって言っても、いきなりこんなことするのは人として最低ですよ…!」
「いや、次作にこんなシーンはないぞ」
「え、じゃあなんで…」
「ぼくの知的好奇心からさ」
「尚更嫌ですって!意味分かりません!」


痴的好奇心の間違いなのでは!?
私は頭を抱えたくなった。
何がどうして自分はこの男に尻なんか叩かれなくてはいけないんだ。お駄賃を貰ったとしても普通に嫌だった。
人のことを何だと思ってるんだ露伴先生。
流石に頭にきてイライラ感丸出しで先生を睨むと、何故かその顔をスケッチされた。
人が怒っている時にまで許されると思っているのか。


「ちょっ、何で怒ってる顔なんか描くんですか!ふざけてるんですか?」
「ふざけてなんかいないよ。なまえのリアルな反応を記録しておこうと思ってね。それに、やっぱり飾らない素の反応ってのに『可愛さ』のヒントがあるような気がするんだよなぁ…」
「うう…!?そんな馬鹿な…。怒ってる人間のどこに可愛さのカケラがあるのか理解できないんですけど…!適当に言ってません?」
「…尻をひっ叩かれた瞬間目を丸くしただろ?そして状況が理解できずにちょっと呆けた顔になった。その後自分がぼくに何をされたのか把握して―――恥じらいと困惑、それを怒りで隠して強がってみせた。そういう些細な表情の変化だよ」
「っ……!」
「お、そう考えて見ると…さっき怒って外に飛び出しかけたのも、恥ずかしいの必死に隠そうとしてたのか。へぇ〜?」


な、なんかよく分かんないけどムカつく…!!
それは先生の解説が、不本意だけれど…見事に図星だったからなのかもしれない。
何も言い返せなくて悔しい。
せめてもの抵抗として反抗的な目で露伴先生へと静かなる怒りの思念を送り続ける。


「おい、頬、真っ赤だぞ」
「もーうるさい!先生ってほんと…もう…もう嫌いですから…!!って、あああ!こんな顔スケッチしないでぇ!!」
「フッ、嫌だね」


こ、こんな時まで…!?嘘でしょ!?

あろうことかこの情けない顔までもを記録し始めた露伴先生を止めるべく、慌ててその腕に掴みかかるが、またしても大事なことを忘れていた。
慣れないピンヒール。…そういえばさっきから酷い目に遭っているのは大体これのせいだった。
バランスを崩した私は、勢い余って露伴先生の胸にぼふっと抱きついてしまったのだ。


「あっ……!」
「おっ、…と。おいおい、お転婆か?気をつけろよなぁ…」


バサリと、スケッチブックが床に落ちるのも気に留めず、露伴先生は咄嗟に私を受け止めた。
その腕でがっちりと抱きとめられ―――露伴先生の胸板と腕の意外なたくましさを全身で感じてしまい、なぜか私はそのまま動けなくなってしまう。
見た目もそこまでガッチリしてないし、座り仕事だから、ひょろひょろしてるのかと思ってたのに、こ、こんな―――。
露伴先生だって、男の人なんだった。
…当たり前のはずなのにどうして私、こんなことでドキドキしちゃってるんだ…!?
ていうかスケッチブックと私だったら迷わず前者を優先するような人だと思ってたのに、先生、躊躇わずに私を助けてくれた。
何もかもが意外で、そのせいでこの謎の変な感じが全然おさまらない。


「……」
「……」


密着した胸からとくとくと聞こえる心臓の音、温かい。
背中に回された手、ぎゅっとなっててちょっと苦しい。

…私、いつまでこうしてるんだろう?
…先生も、なんで黙って私を抱きしめたままなんだ?

色々と違和感はあれど、とりあえず謝らなくてはと思い、うずめたままだった胸元から、そっと顔を上げて先生の顔を見上げた。
今まで意識して観察したことはなかったから気付かなかったけれど、先生、まつ毛長いな…。
切れ長の目は涼しげで、なかなかクールだ。
間近で見る露伴先生の顔立ちが意外とカッコよくて―――って、違う違う、そうじゃなくて…!
しっかりしなくちゃ。

また恥ずかしくなりかけたけど、今度はちゃんと言う。


「……、……なまえ―――」
「ご、ごめんなさいっ……」
「……!!!」


あっ、露伴先生何か言いかけてたみたいだけど被っちゃった。まあいい…よね?
おどおどしつつも静かに見上げて反応を待つも、先生は石のように固まって動かない。
もしかして何か変だったかな。
どうしようもないので先生の肩をばしばしと叩いた。


「……せんせ?あのー…大丈夫ですか?」
「……れだ…」
「は?」
「これだ。何かいいヒントを得られた気がするぞ!そうか、『可愛い』ってのは……こういうことだったのか…!!」


……はぁ。

…それは良かったですねー。
私はとっても疲れましたよ!!

自分の中で何かしらの結論が出たらしくとてもスッキリとした顔になった先生を置いて、私は今度こそ着替えるべく、のろのろと原稿部屋を後にした。





*******





あれから。
何かひらめいたらしい露伴先生の熱弁する『カワイイ論』にうんうんと相槌を打ちながら一緒に夕食を頂いて。
「遅いから泊まっていけよ」と玄関で私を止めた先生に、流石にそこまでお世話になるわけには…とお断りをして。
ならば妥協として駅まで送ると言ってきたので、そこはご厚意に甘えさせて貰った。
家に着いた私は、さっさとお風呂を済ませて布団に入るなり爆睡した。


そしてそして、二週間後。

無事に件の雑誌が発売日を迎え、私の家にもその号が露伴先生から送られてきた。
自室で封筒から出した雑誌を抱きしめ、その紙の重みを堪能する。


「はぁ、来た来た〜!えへへへ…宝物にしちゃお〜…!」


カラーページは切り抜いてラミネート加工し、キチッとファイリングして保存すると決まっているのだ。
ああ、楽しみだなぁ。

かくいう私は、『ピンクダークの少年』のけっこうディープなファンであった。
フィギュアは部屋のそこかしこに飾ってあるし、雑誌の付録のポスターも、それにイベント限定のポスターだって、もうあんなに集まって壁をみっしり埋めている。
お高い複製原画は額の中でいつも美しく輝いている。
このピンクダーク空間で毎週雑誌を読むのが私の一番の楽しみなのだ!
…ちなみに先生本人にはここまでのファンだということは知られていないのであった。
せいぜい普通のいち読者程度だと思われているはずだ。
恥ずかしいし、これからもそれでいい。
漫画は大好きだけど、先生自身はちょっと苦手だしね〜。

お決まりの儀式を終えて満足した私がいよいよ雑誌をめくっていき、それを見つける。
あったあった、素敵!
ああ、カラーページを初めて目にする時の感動たるや、とても言葉では言い表せられないものである。
この瞬間、この感動、プライスレス。
露伴先生ありがとう。
先生は本当に素敵な漫画家さんです…。


「び、美麗…美麗としか言いようがない…。やっぱり露伴先生の色遣いって誰より芸術的…このセンス…凄く好きだな」


先生の描いたバニーガール姿をしたヒロインは確かに前よりも魅力的な気がするというのは、私の思い上がりだけではないはずだ。
仕草の細かいところまで「女の子らしさ」が出ていて、とっても可愛い。
…あの日は大分振り回されたけど、まあ、役に立てたんなら良かったかな…。
うんうん。
結果オーライの精神でいこう。


「…ん。これ、袋とじになってたんだ」


夢中になっていて気付かなかったが、まだ描き下ろしがあるらしい。
隠してあるぐらいだし、むしろこの中がメインなのかもしれない。
ぺりぺりと封を開けると、少し過激めな女の子のイラストが、作家さんごとに描き下ろされていた。
ちょっとエッチなのを売りにしている漫画の作家さんの絵なんかだと、ほぼ裸の女の子がポーズをとっていて、際どいところは謎の光で隠されているなど、大分ギリギリを攻めている。
まあ、袋とじだし、少年誌だし、きっとそういうものなのだろう。
サービス精神みたいなものかな?


「わぁ。だから先生、やたら官能的なのがどうのとか言ってたのかな…。ろ、露伴先生はどんなの描いたんだろ…」


なんだか落ち着かない気持ちでそわそわとページを捲って、私は「それ」を見つける。

脱げかけのバニーガール姿の女の子。
冷たい大理石の床に寝そべり、読者に向かって勝気に誘うような視線を寄越していたずらっぽく笑っている。
床に広がる艶やかな黒髪も、なんとも色っぽく、可愛い女の子だ。
……。
…なのだけれど。

その色っぽい女の子の髪型が妙に自分と似ている、なんてドキッとしてしまった。

…いやいや〜、こんな可愛くないって。
ナルシストじゃあるまいし。

咄嗟に脳内で全否定する。
それでもやはりこの女の子に親近感を覚えてしまうのは何故なのか。


「先生に聞いてみる…?いや、自意識過剰だぞって馬鹿にされるでしょ。それにまさか、ねえ…ないない」


それに万一自分がモデルだとしたら、それはそれで大問題だ。
こんな恥ずかしい格好をしてるところを全国の雑誌読者の目前に晒されるなんて、ご免だった。
布団に背中を預け、ゴロゴロと寝がりながら悶えた。
これはあくまで関係ない別の女の子なんだから、私が気にすることなんてない。
大丈夫だ…!そう、だって別の子だもん!
ふーっと息を吐き出して、ちょっと落ち着いてから、再び雑誌を開いてそのページを見つめる。

それにしても先生の描く絵、素敵だなあ…、とまじまじとイラストを観察して、ふと、気づく。
バニーガールの女の子の、ひときわ目を引く眩しく白い太もも。
むっちりとした網タイツ越しの内腿。
その付け根近くに。
注視しないと気づかない程度だが、それでも確かに―――。

紛れもなくそこには、小さなほくろがあった。


「なっ…、う、嘘でしょ…!?ああもうほんとに、ろ、……露伴先生ぇ〜〜っ……!!!!」


何考えてるんだあの人は!
雑誌を布団に投げ出し、向かう先はリビングの電話。
押し慣れた電話番号を高速でダダダと叩き、ワンコール、ツーコール、……。
遅い!
やがてガチャリと繋がった電話の先から、涼しげな声が届く。


「……はい、岸辺です」
「…どうも。みょうじですけど」
「げっ」


げって何だ、げって。
その様子だと、ちゃんと心当たりがあるようで。


「…よう。怒ってるのか?」
「なんだ、分かってるなら説明は要りませんね。…とびっきりのケーキ用意して待っててください!今から行きますんで、それじゃ」
「あっ、おい!なまえ、あのケーキは―――」


一方的に通話を切って、部屋にUターン。
さっさと身支度を整えて、先生の家へ向かうも、だがしかし。
私は今、露伴邸の玄関先で途方に暮れていた。


「えっ、ケーキないんですか…」
「わざわざ来てもらったとこ悪いが、あそこのケーキは時間的にもう売り切れなんだよ…!まったく…電話は最後まで聞けよな…」
「まだお昼ですし、そんなことないと思いますけど。どこにお店があるのか知りませんけど、今から行きましょうよ」
「…はぁ。あれはカメユーに新しく出来たケーキ屋で買ったんだよ」
「あ…あの有名な?いつもすっごく混む…あのお店で!?先生がそこまでしてくれてたなんて、かなり意外です…!」
「フン、ぼくが食べたかっただけだからな。あれも取材の一環だ。勝手に自惚れるんじゃあない」


まあ理由はなんだっていいけど、詫びケーキがないのは困る。


「じゃあ、今日はどうしましょう。主役のないお茶会なんてイマイチですよねぇ…」
「……それなら、さ。同じのデパートに別のケーキ屋も入ってるだろ。そこに行こうぜ」
「いいんですか?じゃあ、そこにしましょう」
「ああ」


露伴先生と外出すると、ついでだと言って色んな場所へ振り回されるゆえ、帰る頃にはヘトヘトにされていることが常だった。
なんだかんだでついて行く私も私だし、まあ、結局は、嫌じゃないからなのだけれど。

―――先生はこんな視点で物事を見ているんだ。不思議。
―――何にでも面白いって興味を持って、まるで無邪気な子どもみたい。そういうの、なんだかいいな。

露伴先生といると飽きないっていうか、色んなことが新鮮で面白いなと思っちゃう。
傍で見ることが出来るのは、先生の見ているワクワクする世界の片鱗。
そんな世界に先生が私も呼んでくれるから、私は嬉しくて。


「よし、今日はケーキを買いがてらデパートの中の店を片っ端から見て回るか。何か面白いものがあるかもしれないからな。当然、そっちも付き合ってくれるんだろ?なまえ」
「うーん、仕方ないですねぇ。先生一人だと寂しいと思いますから、…一緒に行ってあげます!」
「よし、そうこなくっちゃあな!よろしく頼むぜ、きみはぼくのアシスタントなんだからな」
「はいはい。もうそれでいいですよ。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」


色んな楽しいことを先生の隣という特等席で味わえるという特権つきだし、アシスタントでも何でもいっか!

私は今日も、きっと明日も、ドタバタに巻き込まれていくのだろう。
この杜王町で、露伴先生と一緒に。





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