「誰かいるの?」 ばれた。と小さく口にすれば提督は電気をつけてゆっくりと微笑んだ。「川内、か」少し安心したような声。それもそうか。もし、深海棲艦だったりしたら困るどころの話ではないだろうし。こんな夜中に電気もつけずなにをしているって疑問に思ってもおかしくはない。私は立ち上がり提督と向かい合う。
「こんばんは提督」 「もしかして川内……夜戦待ち?」
少し考えてから。まるで気にかけるみたいに言う提督に思わず口角を上げれば提督は少しだけ安心したような穏やかな顔で私を見た。「なーんて、そんなわけないよね」提督がゆっくりとこちらに歩き出す。私は口元で笑みを浮かべながら、提督を見る。「案外、そうかもよ?」提督は冗談を流すみたいにちょっとだけ笑った。 普段、朝食をとっている場所とは別の小規模な台所。提督と秘書艦と、それから一部の艦娘くらいしか使わない小さな冷蔵庫の中に用事なのだろう。どうせ、夜に小腹が空いたとかそんなことに違いない。
「川内も夜食?」 「うん。まあ、夜食っちゃあ夜食かな」 「一緒につくってあげよう。ラーメンで、いい?」
ラーメンとは。また高カロリー。「太るよ」提督はちょっとだけ嫌そうにしながらも歯を見せて笑う。「いいの。仕事しているから」デスクワークだけじゃん、そんなの。私たちみたいに演習とか実践とかしているならまだしも。提督はふかふかの椅子に座ってあーでもない、こーでもないって長門さんたちと喋って大淀さんにたしなめられているだけだ。全然、カロリー消費をしないだろう。それともジュークボックスの次はカラオケボックスでも提督の部屋に導入しちゃうのだろうか。この間まで加賀さんが歌ったとかいう演歌をにやにやしながらきいていたから、次は提督がそれを歌うのだろうか。
「ご飯と言えば。川内は、いつもお行儀がいいね」 「そう? 気にしたことないなあ」 「うん。だって、いつもちゃんと手を合わせていただきますって」
偉いことよ。なんて提督は柔らかく笑う。全然気にしたことがなかったけど。そう言われれば、いつもちゃんと手を合わせていただきますって、言っている気がする。那珂も言っていないだろうか? ああ、だけど那珂は手を合わせていない。神通は? そうだ、神通も手を合わせるまではしていないかもしれない。ほかの艦娘もいただきます、を言わない艦娘さえいるし。手を合わせるのって、ちょっと珍しいのかもしれない。
「提督が……教えてくれたから」 「え?」 「ちゃんと手を合わせて、いただきますって」
教えてくれたのは、提督だよね。この鎮守府に来たのは私が確か5人目くらいで。その頃はまだ駆逐艦ばかりだったから。どうにか頑張って、軽巡のかっこいいところを見せなくちゃって躍起になっていた。今でこそ重巡洋艦や正規空母に戦艦までいろんな艦娘がいるけれど。昔は私がみんなの長女で。だから、他の駆逐艦がきてもいいように。いつまでもかっこいい軽巡洋艦の川内でいられるように。ちゃんとお行儀よくしていたって、それだけなんだ。提督が教えてくれた、そういう挨拶をちゃんとするのが一番いいのかなって。
「だから。そういう風に教えてくれた提督が、偉いんだよ」 「川内は、いい子だね。ありがとう」
提督は嬉しそうに微笑みながら鍋にお水をいれた。それから冷蔵庫を開けてラーメンスープと麺を取り出す。 嬉しそうにしながらも提督の行う、その動作が。二人分の分量とかが。あまりにも慣れているから、何度か夜食にラーメンをつくっているのか。それとも昼ごはんにラーメンを食べているのだろうか。どっちにしても提督がラーメン丼を出す手際さえも慣れていて。私の顔をちらりとも見ず2つの丼を出したから、ああ、きっとこれは。二人分作り慣れているのだろう。提督の手際を見ながら勝手に、そうやって想像する。
相手は? いっぱい食べる赤城さん? それともこの間まで散々流していた歌の加賀さん? 長門さん? 大淀さん? 第1艦隊の人? いろんな艦娘を頭の中に思い浮かべるけれど結局だれも思い浮かばなかった。私は静かに、唇を噛み締める。 だって、私が、提督の特別になりたいのに。いつだって長女でいたいのに。かっこいい軽巡洋艦でいたいのに、秘書艦にはあっという間に下ろされて。今じゃ遠征に行ったり来たり。期間限定海域でたまに出撃させてもらえるけれど、それだっていつも大破、大破で。大淀さんみたいに連合艦隊の1番艦を務めたことがあるわけでもない。もう、全然全く。かっこいい私は、かっこいい軽巡洋艦川内はいないのだ。
「ねえ、提督」 「ん?」 「私、ラーメンいらないや」
提督がこちらを見た。不安そうに、不思議そうに。その提督が、明るいところにいたからなのか。桃色の唇はやわからそうで桜色の頬はかわいらしくて。私は、もうどうすればいいかわからなかったのかもしれない。提督、手を伸ばす。提督は不思議そうに私を見た。提督を誰にも、誰にも渡したくないの。提督、もう全然格好良くなくて全然お姉ちゃんじゃない私だけど。それでも、提督の前だけではどんなに大破しても轟沈してもかっこよくありたいの。
「川内? なにか、別のもの食べるの?」 「うん。提督を食べるの」 「……へ?」
手を合わせる代わりに提督のシャツをめくる。いただきますの代わりにはこの言葉を。 「夜戦、しよ?」
|