01

まだ学園の中等部に上がりたての頃、僕は学校で迷ったことがありました。

「何してんの?」

廊下でおろおろしていると、おもむろに後ろから声をかけられて。

「あ、すみません!迷ってしまって…」

びっくりして飛び上がりそうになるのをこらえて後ろを振り返り返事を返したんです。
藤色の、ウェーブがかった髪が風で揺れていましたよね。

「ふぅん。どこいきたいの」

Yシャツやセーターは所々、土で汚れていました。

「えっと、第二理科室、なんですけど…」

あとズボンも。

「きて。案内してあげる。」

髪に花びらがついてて、取ろうと思って伸ばした、その手を先輩に引かれ、誰も居ない廊下を二人で歩きました。
先輩の手は、少し冷たかった。
でも、とても暖かったです。

「第二理科室って、三年の教室から近い気がするんだけどなあ」

かかとを潰した上履きをパタパタ言わせながら、先輩は僕に話しかけて、

「え、そうなんですか?」
「うん。君三年でしょ?」
「はい、そうです」

髪の毛をふわふわ揺らす。
僕の髪はかたいからこうならないな、と思いました。

「…名前は?」
「う、浦風です。あの、三年は組の」「ふぅん。…は組かぁ…」

ぴんとのびた背筋が、綺麗だと思いました。

「は組ならなおさら近いよ。その上の階なんだよ」
「え!?そうだったんですか…!?」

顔は見えなかったけど、多分そのとき、先輩は笑ってたと思います。

「あの、先輩のお名前は…?」
「僕?僕はね、綾部だよ。綾部喜八郎。四年。」
「綾部、先輩」
「うん。」

名前を呼んだとき、少し手を、強く握られた気がしました。

「先輩は授業受けなくていいんですか?」

と、そのとき僕は質問しました。
もうとっくにチャイムは鳴っているはずですから。

「…あー、うん。いいの。」
「……そうなんですか。」

でもなぜか、追求してはいけないきがしたので、僕はそこで質問を止めました。

「ねえ、部活…とか、委員会とか、決めたの?」

第二校舎と第四校舎をつなぐ渡り廊下、

「いえ、まだです。」

下に、中庭が見えました。
ちょうど一週間前位に見たとき、満開の桜が誇らしげに咲いていたんですよ。

「そうなんだ。候補とか、あるの?」

でもこのときには、雨で桜は全部散ってしまったあとだったんですけど。

「一応、いいなって思ったところはいくつか…」
「ふぅん。例えば?」

葉桜が、日光をいっぱいに浴びて、

「例えば……茶道とか、弓道とか。委員会は保健なんてやってみたいな〜って」

反射した日の光に、少しだけ目を細めたんです。

「……そっか。」

きっと、綾部先輩も。

「…もうすぐだから。」

そう言った先輩の声は、なんだか寂しそうで、

「理科室。」

僕は先輩の背中を見つめながら、

「…はい」

しか、言えなかった。


「ありがとうございました」

それっきり会話はしませんでしたね。

「うん、じゃあ。ちゃんと場所覚えるんだよ。」

先輩の後ろ姿を見つめながら、ドアに手をかけて、先輩が見えなくなってから、教室に入りました。

「藤内!どこいってたの?」

一年生からずっと同じクラスの数馬が話しかけてきて、

「えへへ…ちょっと道に迷っちゃって。」

軽く誤魔化すような会話をしてから教室の時計を確認すると、まだ授業が始まって五分もたっていなかったんです。
もっと長い時間、先輩と一緒に居た気がしたのに。

僕は急いで席について、先生に見つかることはなく、授業を受けることができました。


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