芳(Twitter@_expl)さん、お誕生日おめでとうございます。

* * *


「おはよう、アルベルト。」
「お、久しぶりだな、准将さん。」
 軽快な玄関ベルの音に重ねるようにして朝の挨拶を交わす。自宅マンションの1階にパン屋があるというのは大変に有難い。中央に引っ越した際にここを選んでよかったと、毎朝思う。
 アルベルト・ファン・ミュラーという男の作るパンは私が知る中で世界一美味しい。恰幅のいい体躯と立派な顎髭が彼に貫禄を与えてはいるものの、まだ35歳だという。初めてここに来た時にはすでにたくわえられていたその髭を、想像の中で剃ってみれば、なるほど。随分と幼くなりそうだ。ぜひとも彼にはそのままでいてほしい。彼のその見た目がパンの美味しさを引き立てている気がしてならないからだ。
「暫く見なかったが、どこか行ってたのか?」
「あぁ、北方司令部の方へ出張に。2週間。」
「そりゃ大変だったろ。ラジオニュースで北はの猛吹雪の話が流れまくってたぜ。」
「アルベルト、奥さんと北に旅行に行くなら初夏がおすすめだ。」
 お偉いさんも大変だな、とアルベルトからの労いとトレイとトングを貰い、店内を物色する。
 パンの香りがふんわりと優しく漂うこの店と、ドラクマとの国境が近いために緊張感が張り詰めていた北方司令部との差で私は頭痛を覚えた。とことん私は軍人に向いていない。
 クロワッサンとアップルパイを1つずつトレイに乗せ、アルベルトの所へ向かう。美味しいコーヒー豆が手に入ったと言って、さりげなく購入を勧めてくる彼は生粋の商売人だ。軍のコーヒーが不味いことは、太陽が東から昇ることと同義であるために断る理由もない。執務室にコーヒーミルは置いていないが、ありがたいことに部下が錬金術師だ。上手いこと挽いてもらおう。不味いコーヒーを飲まずにすむのだから、彼にも断る理由がないはずだ。
 アルベルトがパンとコーヒー豆を紙袋に詰めてくれている間、窓越しに木枯らしの吹く大通りを眺めた。店内はストーブがよく効いているが、道行く人があまりに寒そうに肩を竦めているからか、私も無意識にぐるぐるに巻いたマフラーに顔を埋めた。
「そのマフラー、見たことないやつだな。」
「あぁ、ちょうど昨日実家から届いたんだ。中央は寒いだろうから、と、誕生日プレゼントに。実家の方がもっと寒いんだがな。」
「…准将さん、誕生日なのか?」
「偶然にも、今日ね。」
「早く言えよ。」
 この歳にもなって「今日私は誕生日です」など、言うわけもないだろうに。アルベルト自身も実際はそれを理解している。しかし、赤の他人と言うには付き合いが長くなってしまった間柄だ。水くさいと愚痴をこぼしながら、会計カウンターに並べてあった自家製ジャムを3つおまけしてくれた。彼の奥さんが作るジャムは天下一品だ。素直に嬉しい。
「私のジャムをタダであげたの!?って怒られやしないか?」
 彼以上に商魂逞しいミュラー夫人の姿を思い出しながら私はアルベルトを笑う。会計金額はさりげなくコーヒー豆の代金まで引かれている。しかし彼は、あんたが誕生日だったと言えば許してくれるさ、と私よりも大きな声で笑った。
「それじゃあまぁ、奥さんによろしく。予定日、もうすぐだっけ。」
「あぁ。だから一足先に実家に戻ってる。」
「そうか。奥さんのご実家か?」
「おう。俺も明日から手伝いに行くから、暫く店は休みだ。」
「君のパンをお預けされるのはつらいが、いい報告を待ってる。」
 出産祝い楽しみにしてるぞ、なんていう軽口もアルベルトが言うと気分が良い。
 乾燥した風が舞う往来に戻り、私は今度こそ肩を竦めて出勤ルートを歩いた。



「おはよう、キンブリー。」
「おはようございます。今日は随分と大荷物ですね。」
「お前の朝一番の仕事はコーヒーミルになることだ。」
「ちゃんと順を追って話してください。」
 私より早く出勤していたキンブリーが頭を抱える。面倒なのでコーヒー豆の袋を下手投げで彼に寄越す。無駄な動き無しに彼はそれを受け取り、封を開けた。
「アルベルト…パン屋の主人が、私が誕生日だと知って色々おまけをつけてくれたんだ。」
 ジャム瓶は市販のものより小さいとは言えど、3つもあればそれなりの荷物に見えた。
アルベルトが戻るまで、味気ない普通のパンでもなんとか過ごせそうだ。そんなことを考えている私を、キンブリーはまるで未知の生物を見るような眼で見ていた。
「なんだ?」
「いえ…貴女にも誕生日があったのですね。」
「…私も有性生殖で産まれた人間だからな。」
「ええ、どう見ても貴女はアメーバではありません。」
 棚からあまり使わないマグカップを取り出し、彼はそこにコーヒー豆を入れた。
 私は自分のデスクにつき、クロワッサンを囓る。小気味良い音を立ててクロワッサンの生地が、昨晩片付けずに安置した山積みの書類に落ちる。事務局へ要提出の書類であったため、慌ててはたき落とす。そんな杜撰な私を責めるように、キンブリーが両の手を合わせて錬成を行っていた。
 鼻を掠めるコーヒーの香り。これは飲むのが楽しみだ。
 白いマグカップの中で綺麗に挽かれたコーヒー豆は、私の手に一度も戻らずにキンブリーがコーヒーメーカーにかけた。よくできた部下である。
「おめでとうございます。」
「うん、ありがとう。」
「今晩は、食事にでも行きますか。」
「それは、私の友人としてか?」
「えぇ、勿論。」
 じゃあ今日は何も事件が起こらないことを願うとしよう。
 欲しいものはあるかと聞かれたが、私は何も要らないと答えた。
目が覚めて、薔薇も愛もなかりせば

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