新緑と呼ぶにはあまりに漆黒に近い草木の中に、ブロンドの豊かな長い髪とふくよかな肢体の女性が佇んでいる。その足下には同じ髪色をした愛らしい赤子が女性を見上げ笑いかけている。そんな絵だった。
 文献でしか読んだことのない遠い遠い国の宗教画を、想像の上で真似て描いてみた。それはとても稚拙で、到底売り物になどできそうもない。私はこの国でそれなりに名の知れた風景画家ではあるが、その名前を掲げても、どうも無理そうだった。
「あなたが人間を描いてるとは、珍しいこともあったもんですね。」
「ノックくらいして入ってきたらどうなんです。」
 1人きりだと思っていたアトリエの中、突然聞こえた声に進み方を見失った筆が跳ね上がる。苛立ちを抑えきれずに悪態をつくが、声の主はそれが強がりだとすぐに見抜いて高らかに笑い声をあげた。相変わらずかんに障る男だ、このキンブリーという錬金術師。
「描く対象としての人間には興味がないものとばかり思ってました。」
「興味がなくなりそうだったから無理に描いたんですけど、やはり向いてません。ましては宗教画など。」
 筆とパレットを真横の小机に置いて溜息を1つ。静かに微笑む聖母と呼ばれるらしい女性は、私が描いたのにも関わらず読み取れない表情をしている。子である救世主を見守る眼差しを描いたつもりが、どこか私を嘲っているように見えた。
 描写への気力を失った私の横にキンブリーは立つ。不穏な火薬を年がら年中燻らせているようなこの男は、時折こうして私のアトリエにやってくる。連絡もノックも、大した用事もなく。いつどこで出会ったかなんて覚えていない。あなたの絵に惹かれまして、なんて言って突然アトリエにやってきたのは覚えている。運命とか言って女性を引っかけていく歓楽街の男と何が違うのか、と頭が痛くなったものだが、次第に違うと気付いた。なにやらこの男は感心の、或いは関心の許容量が人より少ないらしい。私もそれなりに単純なもので、そんな男が私の絵に一寸でも興味を持ったのならば画家冥利に尽きると思えた。
 そこから奇妙な不定期交流が始まったわけだが、特に関係性が進展することもない。お前のイマジナリーフレンドじゃないのか、なんて言われたら、信じてしまうかもしれないくらいには。
「あなたみたいな人が、特定の宗教を信仰してるんですか?」
「失礼ですね、言い方は。しかし、別に信仰してる宗派は有りません。信仰心のある人間は美しいとは思いますが、やはり私は処女受胎を尊ぶには少し卑しいので。」
「処女受胎?」
 この女性は救世主となる息子を処女のまま懐妊したそうですよ、と文献で読んだそのままのことを伝えると、意外や意外、キンブリーはその金色の目を輝かせた(厄介なことになったと即座に後悔した)。
「医学的にそんなこと不可能だと、誰か言ってやらないんですかね。」
「医学的にそんなこと不可能だから、尊ぶんでしょう。我々には致しかねるだけで。」
「勝手にわたしも含めないでくださいよ。」
「あら、改宗でもするんですか?」
「生憎、無宗教なんです。」
 信じるべきは化学です、だなんてロマンも何もあったものじゃない。でも彼が彼で有る限り、それは彼の世界においては真理なのだろう。私が裏表だらけの人間よりも、何の作為もない自然を描いている方が心が落ち着くのと同じように。
 私は無意識に呆れた表情を浮かべていたのだろう。キンブリーはまぁまぁ、と両の手で私を宥めてくる。その平にある錬成陣はちっとも理解できないが、これが彼の信仰する宗教なのかもしれないと思った。くだらない妄想だ。
 するとキンブリーは静かに私の傍らにしゃがむ。椅子に座ったままの私より低い目線、その目で彼は聖母の視線の先を探している。
「性も快楽も知らずに受胎など、罪深いったらありゃしませんね。」
「今の発言、宗教家には黙っていて差し上げます。」
「そりゃあ有難い。」
 三日月型に細められるキンブリーの目は人懐こいようでいて、誰も近づけない空気を漏らしている。それを知っていて近づくことも遠のく事もしない私は、彼に言わせれば罪深いだろうか。そう聞く勇気すら、私にはないのだけれど。
 ふ、と1つ息を吐き出したキンブリーは、何を考えているか分からない脳みその詰まった己の頭蓋を私の膝に乗せてから、私を見上げた。歪みのない視線の奥で、何かがひしゃげた気がした。それが“何”か、分からせまいとするかのようにキンブリーは瞳を閉じて、服越しに私の腹に口吻を落とした。向こう側には子の宮。
「こうやってあなたの胎の中に戻れたら、わたしとあなたは1つになれますかねぇ。」
 細見の割に力強い腕が、私の腰をぐるりと回る。脈打っているのは私の心臓か、彼の動脈かはもうわからない。
「聖母様だって、貴方相手じゃあお断りだと思いますよ。」
 絵の中で私を嗤う女性にあとで黒百合を添えてやろう。そう思いながら私はキンブリーの頬をゆるりと撫でた。ぱちりと開いた金色と視線がぶつかり、彼は心底残念そうに呟いた。
「宗教なんて糞食らえです。」
とある画家のアトリエにて受胎非告知

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