たとえば、という話はあまり好きではなかった。錬金術を使う科学者として、仮説は立てても有りもしないことを想定するのは性に合わなかった。
 それでも不意に沸いた暇を潰すための「もしも話」はそれなりにしたように思う。私がそういうくだらない話をできたのは、唯一苗字名前という女性にだけだった。
 ある日のことを、確かに覚えている。

「もし私が貴女にさよならの1つも言わずに死んだら、どうしますか?」
 それは苗字准将の管轄内で発生したとある殺人事件(この事件については特筆する事項はない)が一段落し、報告書があらかたまとまった際のことだった。あとは書類に准将が一通り目を通し、サインをすれば事務方に渡すだけとなった。凄惨を極めた連続殺人ではあったものの、解決してしまえば至極簡単な私怨が原因の事件であった。なんとも面白くない、と呟いたら「そういうことは外で言うなよ」と窘められたものだ。
 上等な質の紙が彼女の手に渡ると同時に、その顔は少し考え込んだ表情になる。ほう、と息を吐き出した次の瞬間には怪訝そうな顔になった。
「それは何かの心理テストか、少佐」
「いえ、純然たる興味ですよ」
 興味か、と今度は笑って准将は万年筆を手に取る。幾度となく見た筆跡が紙の上に乗り、その横に紅の印が押された。唇を尖らせて息を吹きかける。安易な方法でインクを乾かそうとする彼女の顔つきは幼い。
 問いかけた言葉には何の思惑もない。いつまでも彼女が私の上官である保証も、また同じように、私が彼女の部下で居続ける保証などどこにもない。互いに知らぬところで、知らぬうちに死んでいるなんてこと、いくらでも有り得る。そうなったとき、彼女はどんな反応をするのだろう。泣き喚いたりはきっとしないだろう。こうやって彼女の反応を知りたい、という気持ちが欠片ほど心中にある時点で「何の思惑もない」というのは、大した強がりだったかもしれない。
 そう葛藤する私を尻目に、准将は真っ直ぐに私の目を見て言った。
「そうか。そうだな。特に何もしないかな」
「冷たいですねぇ」
 書類が再び私の手の内に戻る。かさり、と音を立てたそれを封筒に入れて手早く封をする。この時間ならまだ事務の方で受け取ってもらえるだろう。
 私は少しばかり安心した。これでこそ苗字名前准将という人間だと。彼女自身を含めた数多の人の命を、皆平等に死なせんとする信念と、それでいて失った現実に立ち止まることなく大股で駆けてゆくかのような生き様。見ていて非常に心が躍る。私が1人死んだところで、その歩みを留めずに居て欲しいと思う。それが私のエゴだとしても、そう思うことをやめれないのだ。後天的な価値観の付与。
 諦めにも似た安堵を「冷たい」というチープな言葉で表現した私を、しかし彼女は咎めた。
「何を言うか。遅かれ早かれお互い行き着く先はどうせ地獄だろう。別れの言葉を送るとするなら、それは“さよなら”などではないな」
 含みを持たせた言い方の真意を問いたかったが、デスクワークで固まった背を伸ばす、彼女のなだらかな身体の曲線があまりにも目に痛く、軍人としての私が「あぁ、この人のために死ねたら」と胸の内で声を上げたものだから、叶わなかった。そして、人間としての私は「この人のために死ぬわけにはいかない」と悲鳴を上げた。本当に。本当の話だ。



 朦朧とする意識の中で思い出すのはそんなことだ。走馬燈というのはもっと美しいモノかと思っていたが、案外そうでもないようだ。あとは、あの店のディナーが食べたかったとか、あのとき買った本が読めず仕舞いだったとか、本当に、今思い出さなくても良いだろうというようなどうでもいいことばかり。そして私は、結局人間であることは辞められないのだと至極当たり前のことを考えた。くだらないことばかり思い出して、当然のことに気付いて死んでゆく。それならもっと沢山、もっとくだらないことをあの人と話しておけばよかった。ちっぽけな後悔は、呼吸器から溢れ出る血と一緒に零れていった。
 あの人は今どうしているだろう。どうせ何も見捨てられず、嫌悪する「戦い」の最中に身を投じているのだろう。これが彼女の作戦のうちだとしたら大成功だ。敵にしたら怖い女性だとは思っていたが、やはりおっかない。嫉妬を名に持つ人造人間が言っていたとおりだ。
 彼女はどんな声で話しただろう。服役中に思い出せなくなった彼女の声は、走馬燈の中でもノイズが入っていた。この世界に未練というのは不思議とないが、彼女の声を思い出せないまま死ぬのは、なかなかどうして辛いものだと思う。
 傲慢な声が遙か遠い近くで聞こえる。大総統子息の姿を蓑にした影が、私に近づく。

行き着く先は地獄、だなんて“真っ赤な”嘘です、名前さん。




 






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鹿
 

不可逆性異端心中

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