「佐治?」

かけられた声と肩に乗せられた他人の体温に、思わず佐治は更衣室のベンチから跳ね起きた。
うっかり上げそうになった声は何とか飲み込み、早鐘の様に鼓動する心臓を掴むように胸に手を当てる。まだ定まらない視線の先には驚いた表情の倉橋がいた。

「く、ら、はし」
「どうしたよ佐治…すげー汗かいてんぞ」
「あ、ぅあ。何でも…ない」

夢、だったのか。
吏人に手伝いを頼まれた倉橋を待っている間に眠ってしまっていたらしい。佐治が外を見れば既に暗くなってしまったのか、遠くに小さな明かりが見えている。それが余計に先程の悪夢が夢だったのだと浮き彫りにさせた。喉もからからになっていて、そういえば練習後に水分補給が甘かったかもしれない。そのせいであんな悪夢を見たのだろうか。
ぜえ。と息を吐いてると佐治の様子が回復していないのに気がついたのか、倉橋はベンチに置いていた佐治のスポーツドリンクを掴むと蓋を開いて佐治に差し出す。
「サンキュ」と言って受け取り佐治がスポーツドリンクに口をつける。温くなったドリンクは熱くなった体を冷やす事はできなかったが、渇いた体を潤わせる事はできた。

「あー…吏人は?」
「ああ、もう一人でできるらしいから先に帰れって」

おそらく吏人なりに気を遣っての事なのだろうと佐治も理解したが、もう少しいい言い方はなかったのだろうか。ぶっきらぼうな物言いはおそらく倉橋が言ったそのままなのだろう。
別に佐治を含む三年生陣は気にしてはいないが、市立を卒業したらどうなってしまうのか。多少でも先輩を立てる事を覚えたほうがいいと佐治は考えていた。それは自分自身の経験からでもあるのだが。

「佐治?」

考えて込んでしまった佐治に倉橋が再び呼びかける。慌てて「何でもねェよ」と応えるが、倉橋は佐治にぐっと顔を近付けて隣に腰を下ろす。
先程の夢を思い出しそうで佐治は倉橋から距離を取ろうとするが、ぐいと腰を引き寄せられ更に体を寄せる事になってしまう。腰に当てられた他人の体温が気持ち悪くて、秋も終わりに近いのに背中から嫌な汗が大量に浮かんだ。

「どうしたんだよ本当に。具合悪いのか?」
「ん、なわけねェよ…。触んなっ」

腰に当てた手を引き剥がそうとすると、倉橋は空いている手で佐治をぐいと後ろに倒す。ベンチに持たれる様に仰向けにされ、そこで支えていた腰の手を漸く離す。
天井と、薄暗くてよく見えない倉橋の顔が佐治の瞳に写る。嫌な汗は更に浮かび、指先すら震えてくる。

「や、止めろよ変な冗談…倉橋…」
「…………」
「倉橋ッ!」
「佐治」

視線が合わない。
どくりどくりと再び激しくなる鼓動に、佐治は視線をさ迷わせ再び窓硝子へとその瞳を向ける。

窓は、先程見た時と違って真っ黒に染まっていた。

「…え」
「佐治よー。お前さ…」

愛おしそうに倉橋が佐治の金髪を撫でる。
さらりと流れる髪は昔に比べれば随分と長くなってしまって、子供っぽかった面影はどこにも存在しない。
あの時とは違う。あの時とは違うのだ。
それなのに、何故自分は今、倉橋に怯えているのだろう。

「キャプテン…先輩達にヤられてただろ」
「…………は?」
「見た」

たった二文字の言葉は佐治を更に絶望に突き落とす。そんな、どうして。何で。いつ。
倉橋は佐治のネクタイを外すと、震える腕を一まとめにして頭の上に縛り上げる。寝ていたせいで乱れていた制服の釦を一つ一つ丁寧に外していくのを見て、佐治はふるふると倉橋に首を振った。

「だいじょーぶ。痛くしないって」
「や…倉橋、嫌だ…!」
「そんな怖がんなって」

服越しに中心を揉まれれば、半年近く卒業した先輩達に弄ばれた体は情けなく反応する。暫くの間自分以外誰も触れなかった体は正直に反応し、佐治の喉を震わせる。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
制服の下に着ていたシャツを捲られ、胸の飾りの一つを倉橋が口に含む。そこも刺激が与えられたのは久々で、触られ続ける中心にどんどん熱が集まっていくのを感じた。
逃げ出したいのに、体が言う事を聞かない。そのうちに快楽が体中を走り更に体が動かなくなる。他人の指が肌を這うだけで、甘い痺れが止まらなくなる。
まだ残っている筈の吏人の事を考えるがいつ帰ってくるかも分からない。それでも望みはそれしかなく、佐治は縋るように再び真っ黒な窓を見た。

「…………?」

その時、何か暗闇の向こうで動いたような気がした。
そう、ここは夢の中ではないのだ。先程見た様に、薄暗い明かりが校舎の方から見えていなければ可笑しいことになる。部室に電気がつけられていなければ更にだ。
どうして。と思ったが、佐治の目が更に闇の中に慣れてくると、そこに何かがいるのがはっきりと分かった。そのせいで、校舎の明かりは届いているのに真っ暗に見える錯覚が続いているのだ。
何が。


それの答えに、すぐに佐治は行き着いた。
行き着いた途端に、佐治はその思考を停止させた。


「…倉橋」
「ん?」
「何で?」

相変わらず薄暗い空間のせいで佐治からは表情が見えなかったが、「好きだから」と答えた倉橋は笑っている気がした。勿論笑顔の種類は、何か分からないのだが。

「そう…そっかぁ…」

佐治の瞳から涙が溢れ、ベンチへと流れて落ちる。

ふざけるな。
ならなんで助けに入らなかった。
俺は好きでこんな事になりたくなかった。

怒りに満ちた感情が頭の中で渦巻き涙として流れそんな自分が滑稽で笑いが止まらない。
それでも倉橋は笑いながら佐治に愛撫を続け、佐治はその久々の快感に既に緩く腰を動かしている。

あの悪夢から、自分は逃れられない。
卒業したとしても恐らく。
この甘い快楽が消せない限り、あの日から抜け出す事は出来ないのだ。
全てを踏みにじられ、全てを捨てたあの日から。
もう一度取り戻せると思ったら、大間違いだ。

窓の外で再び動いた影に失笑すると、佐治は全てを諦めてゆっくりと目を閉じた。
せめて次に見る夢こそ、幸せなものであるようにと願いながら。



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