遠くから蝉の声が聴こえていた。


シアンの目の前に居る幼い少年は、コンビニの前で所属している監督に向かってアイスを奢れと要求している。
監督は、最初は渋る様なそぶりをしていたが今日だけだぞ。と言って二人分のアイスを買う。冷たい小さな袋を少年に渡すと、監督に礼を言った後意気揚々と袋を破る。

「リヒト、あっちで食うか」
「えーここでいいじゃんかよ」
「フェンスの上に乗せてやるから」
「マジで!?行く!!」

袋だけをごみ箱に捨てると、二人は仲良く先程まで練習をしていたグラウンドの方へ戻っていく。
後ろで二人をずっと眺めていたシアンには、見向きもしない。

「…リヒト?」

確かめる様に名前を呼ぶ。

シアンが言う通り、確かにあの少年は天谷吏人。そしてまだ選手として活躍出来そう位に若いあの監督は、戸畑サッカー少年団監督、戸畑勇志。
二人共、シアンが知っている人物だ。それでもシアンは、目の前の二人が自分が知ってる二人だと理解するまで少しの時間をかけた。

シアンはゆっくりと自分の両手を見る。その手は若いながらも大きく、男性特有の骨張った形をしており、未発達の少年の手とは程遠いものだった。
喪服を着た体も、スポーツマンにしては少し細身だが、健康的に成長した17歳高校男児のものだ。
視線を、遠くなった二人へ向ける。
シアンの1つ下のハズのリヒトは、明らかに小学5、6年位の姿だ。ユーシも、再会した時よりも随分若い姿で。
シアンは慌てて二人を追いかけ、その肩を掴もうと手を伸ばした。

「!?」

伸ばした手が、触れる直前で強制的に止まってしまった。
どしゃりと地面に受け身も取れずに転ぶが、二人は真後ろにいるシアンを振り向く事なく、和気あいあいと歩いていく。その二人に、指先すらかする事がなかった。

「…なんだ…これ…」

喪服に着いた土を掃い立ち上がる。と、シアンはそこでまた、視線を自分の体に向けた。
真っ黒な喪服なのに、その服には土埃が一切着いていない。今転んだばかりで、膝しか手で払っていないと言うのに。
真っ黒な喪服は、そのまま綺麗にその姿を保っていた。しかも、シアンの手の平にすら、何も汚れは着いていない。

「………………」

ふと、周囲を見回した。
二人の後ろ姿だけ見た後、シアンはコンビニまで戻り駐車場の車の一つに近付く。
真っ白な車体が夕日で薄くオレンジ色に染まっている。誰も中に居ないのを確認してから、シアンはそのサイドミラーを覗いてみた。
写っているのは車の後ろにある剪定された紅葉の木。段々と濃くなりつつある橙の空。紅葉の木の向こう側に見える建物。

それだけ。
他には、何も写っていなかった。

(ああ、そうか)

シアンはそれで、完全に理解した。何故そうなったのか理由は全く分からないが、自分が今どんな存在になったのかは理解する事ができた。

車の持ち主が、買物袋を持って戻ってくる。持ち主はサイドミラーを覗き込んでいたシアンなど全く見ておらず、さっさと乗り込み車のエンジンをかける。
シアンが離れる前に車は走り出す。一瞬轢かれたかと思い目をつむり、暫くしてから恐る恐る足元を見た。幸いにも、どこもぶつからず、どこも轢かれる事はなかった様だ。
内心ほっとしてから、そんな心配をする必要が無かったのを思い出しつい長く溜息を吐く。

「…ふぅん…」

どこか他人事の様に、シアンはそう小さく呟いていた。

蝉の声は、もうすっかり聴こえなくなっていた。











学校が終わった夕方。今日も練習に明け暮れ、その後ユーシの出した個人メニューを限界まで行ったリヒトは、ぐったりと芝生の上に大の字で寝転がっていた。
他の子の様子を見に行ったユーシは、まだくたくたになったリヒトには気付いていない。
限界まで走り、喉が渇きを訴えている。
ベンチに置いていたスポーツドリンクにリヒトは視線を向けるが、そこまで這う体力すら使い果たしてしまっていた。


「ごめんねェ〜リヒト。俺、何にも触れないからさ。取れねェの」

そう言って芝生に胡座をかいたシアンはリヒトを見下ろす。
リヒトはまるで声に気付いたかの様に視線を上に向けたが、その視線はシアンの向こう側。入道雲が浮かぶ空に向けられている。
シアンもそれが分かっているので何も言わない。喪服の襟を少しだけ正して、じっとリヒトを見るだけだ。



あれから1年の月日が経った。
1年の間に、シアンは自分が住んでいた家、通っていた高校、ヴェリタスまでも行ってみた。
ある程度は想像していたが、そこにはシアンの存在は何一つなかった。家なんて空き地で、家族すらいなかった状態だ。
うっすらなりにもシアンは理解していた。ここには自分の居場所は無い。いや寧ろ、自分の存在そのものが無い。
自分が存在しないのに自分が居るのは何とも矛盾した話なのだが、きっとこれは長い夢か神様の失敗なんだと解釈する事にした。
夢なら自分がシアンと言う存在と自覚できるのも、ヴェリタスユースで自分がキャプテンを務めていた事も、かつてリヒトと高円宮杯で戦った事も、戸畑サッカー少年団に自分が所属していた事も、ユーシの心を折り解散まで追い込んだのも。全ての記憶が今の現状と食い違っているのも理解できる。

「なあリヒト。まだサッカー続けんの?まだ優勝できて無いのに?」

ある程度の状況が分かったシアンは、リヒトの側に自分を置く事にした。
何も話せない触れない状態では誰かを壊したり潰したりする事が出来ないし、だったらリヒトを見ていようと考えてみたのだ。
自分がいない戸畑サッカー少年団。それでは1、2年以内の優勝は不可能な状態だ。とシアンは考えていた。
実際試合で勝つ回数は多くなってきてはいるが、まだまだ優勝迄には程遠い。リヒトも才能は開花しているがそれを使いこなすにはまだまだ時間がかかるだろう。実際、リヒトは中学の時全国制覇に3年かけていた。
自分が居なければリヒトはここで優勝は出来ない。その光景を是非とも見てみたかった。

「やっぱりさ、ユーシさんのサッカーじゃ駄目なんだよ遅すぎて。俺がいれば去年優勝できたのにね。ねェ悔しかった?去年の最後の試合。お前自分のサッカー何にも通用しなくてさ。負けた時馬鹿みたいにボロボロ泣いてたじゃん。2秒で切り返せてなかったよね。馬鹿みたいだった。馬鹿か」

そう言うシアンの声はリヒトに届かない。
それでもリヒトと顔を合わせる様にしていると、何だか会話をしている様な気分になってくるので元々饒舌なシアンはどんどん一人で会話を弾ませる。

「このお前は知らないだろうけど、俺があいつらから散々点取ってあげたんだよ?お前さ、俺に点取らせたくなくて随分無茶やってたけどさ。結局最後の最後で俺にボールパスしちゃったよね。本当あの時は笑えちゃったー」

シアンは遂に堪えきれず笑い出してしまう。そんなシアンに対して、リヒトの表情は少しも変わる事が無い。変わったと言えば少し呼吸が落ち着いてきた事位だろうか。

「ねェリヒト―」


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