吏人の自室にはDVDレコーダーは無い。そもそもテレビすら無いのでDVDを見る時は必ずリビングに行くことになる。
だるい体に鞭打ち階段を降りると下にいる筈の両親の姿は無く、吏人が不思議そうにダイニングキッチンを覗き込んでいると「出掛けたよ」と着いてきていた心亜が呟いた。

「俺が来たあたりに買い物だって」
「俺は聞いてねぇぞ」
「俺が伝えておくって言ったから」

今後何があっても心亜には伝言を頼まない様にしよう。そう吏人は内心で呟くと誰もいない静かなリビングにあるDVDレコーダーに近寄った。機械に関して苦手意識が強い吏人だが、この使い古されたレコーダーは別だ。恐る恐るボタンを押しトレイを開くと、ゆっくりとそこにケースから取り出したDVDを入れる。出てきた時と同じようにゆっくりトレイが入ると吏人はほーっと安堵の息を吐き、リモコンでテレビを点け入力切換を行う。
後ろでは笑いを堪えながら心亜が吏人を見つめていたが、それに気が付く程の余裕は吏人には無かった。漸く落ち着いた心亜が吏人の横に座ると、画面が変わりテレビ中継程画質が良くない映像が映し出された。
あくまで監督個人が見るだけに撮影されているそれを見ても吏人にとって実になるか分からないが、暑さの疲れと三年生になった事での生活ペースの安定で気が抜けてきている吏人にはいい刺激にはなった。
画面の中央には青みがかった白髪を全く乱さず、器用に相手からボールを奪い取る心亜の姿がある。笛を鳴らしやすい今回の審判すら疑う素振りもせず、それほどに心亜のサッカーテクニックは綺麗なものだった。
昔対峙した時よりもそれは更に修練されており、嬉しいような悔しいような気持ちが吏人の中で沸々と沸き上がる。

早く、早くあそこに行きたい。

本日ろくに動かしていない体がむず痒くなり、サッカーがしたいと訴える。吏人はぎゅうと体育座りしてまだ気だるい自分の体を映像が消えるまでずっと押さえ込み続けた。


やがて試合が終わりインタビューなどなく映像は切られる。最初に入れた時の様に恐る恐るDVDを取り出すと、ケースに入れたそれを溜め込んだDVDの一番上に乗せる。
ふ。と顔を上げると心亜の姿はいつの間にか無く、玄関に行ってみると心亜の物らしき靴は存在しなかった。
鍵が開いたままの扉を見て勝手に帰ったのかと吏人は判断する。玄関の鍵を閉め部屋にでも戻ろうかと考えていると、ガチャリと閉めたばかりの鍵が再び開いた。少しだけ体を強張らせた吏人がゆっくり背中を向けた扉の方を振り向くと、開く音と共に両親の姿が吏人の眼に飛び込んできた。

「あら吏人。ただいま」
「……おかえり」

安堵の息を吐きながら吏人は返す。
なぜか心亜か。と思ったがそんな事は無いだろう。合鍵など吏人は心亜に渡した事もないしこれからも渡す予定は無い。
ドサリと買い物袋を廊下に置き、靴を脱ぐと母親はさっさとそれらを台所に運び出す。父親は疲れきった表情でリビングへと入っていく。心亜が昼に来て、もう時間はいつの間にか夕飯近い。どれだけ買い物に出ていたのだと吏人が母親を手伝うと、「そうそう」と母親は買い物袋の中から小さなカップを取り出した。

「これお土産。食べたかったでしょ」
「は?…これ、」

そこで吏人は言葉を詰まらせた。
小さなカップの中には、更に小さな宇宙が広がっている。透明感がある紫のゼリーの上に星の形のゼリーがいくつも乗せられ簡素な天の川が出来ている。それは想い出の中に残っているものとは違っていたが、間違いなく吏人が今日求めていたものだった。
「なんで、」と口にしてから吏人は自分の口を塞ぐ。菓子一つを楽しみにしてたなんて知れたらもうこの歳は恥ずかしい。口の中に残る言葉を必死に噛み砕いて飲み込もうとしていると、母親はおかしそうに笑って「好きじゃないそれ」と吏人の図星を突いた。

「休んだ日まで食べたがってたんだから分かってるわよ」
「……休んだ?」
「小学校の頃、一回休んだじゃない。小五だったかしら」

小五。吏人にとってその歳は一番想い出深く、忘れられない記憶が多く残る時だ。その年に学校で書いた短冊の内容すら覚えている。結局、吏人はそれが笹に下がった瞬間を見ることは無かったのだが。
確かにその年に吏人は一度風邪で学校を休んだ事がある。季節外れの夏風邪にしては重く、高熱に何度もうなされながら布団の中で一日を過ごした。
食べたがった記憶など吏人には無いが、もしかしたらうわ言で呟いていたのかもしれない。吏人があの日覚えているのは熱のせいで変な夢を見た事と飲んだシロップの薬が吐きそうな程まずかった事だけだ。

「あの日心亜くんが来て、吏人にお見舞いってゼリー持ってきてくれたのよ」
「………は?」

うっかりゼリーを取り落としそうになりながら吏人は間抜けな声を上げる。
なぜそこで心亜が出てくるのだ。訳がわからなかった吏人だったが、ふと、思い当たる何かを思い出した。

『おいしいかなぁあれ』

『俺これ嫌いだから、リヒトにあげる』

先程まで聞いていた柔らかい声と、幼く高い声。どちらも吏人は聞いた事があり、その声はどちらも同じ人物が発していたものだった。

医者に見てもらい薬と点滴をしたものの、帰った後も吏人の熱は中々下がらなかった。
エアコンで室内の温度を一定にし、氷枕で頭を冷やしながら必死に水分補給だけは欠かさなかった。食べ物は一切受け付けず、口にしても数時間も経たずに吐いてしまう時に、なぜか吏人の家に来た心亜は吏人にそう言ったのだ。
吏人はずっと母親だと思っていた。声も違うし額に触れた手は小さく冷たいし全く別物だったのだが、夢うつつに聞いたせいで変に見えたのだと思っていた。
プラスチックのスプーンで掬い取られたゼリーを口に入れられ、楽しみだった甘さに顔が綻んだのは微かに覚えている。結局その後すぐに吐いてしまったのだが。

何て事だ。
心亜が今日プリンを買ってきた理由が明確なものとなり、吏人の頭の中は混乱した。
結局のところ、心亜は吏人があのゼリーが好きだったのを知っていたのだ。それを必死にひた隠そうとした吏人の姿を見ていて、心亜はさぞかし面白かったに違いない。
怒りどころか情けなさすらこみ上げてきた吏人は、まだ少しだるかった腰を擦る。擦った手を腰から離し、ぐいと透明な蓋をその手で剥がす。そのまま食器入れからスプーンを乱暴に取り出すと、突き立て、がぶりと口に含んだ。
カチ。とスプーンと歯がぶつかる音が耳に響き、舌で半透明のそれを味わう。味はやはりよく分からず、恐らく何味だと言われない限り分かる事は無いだろう。

「…薄い」

味が、薄い。
記憶の中では普通に美味だった味は、今は中途半端な味でしかも薄い。成る程確かにこれでは心亜は嫌いなのだろうと密かに納得すると、吏人はにこにこと見上げている自分の母親に気が付いた。

「おいしい?」
「…まあまあ」
「あらそう」

「やっぱり昔程喜ばないものねぇ」と母親は喜んでるのか落ち込んでいるのか分からない表情で呟き、買い物袋の中身を片付け始める。ゼリーを食している吏人はジャマだと追い出され、仕方なく自室へ戻ると乱れに乱れたベットに腰を落とした。
部屋の中にはまだ心亜の匂いが残っている気がしたが、よく分からない。
砕けた天の川を見ながら吏人は今の感情をどうすればいいのか分からず、とりあえずスプーンを突き立て再び食べてみた。
薄い味はもやもやとする自分の心を晴らしてくれなくて、今度、アイツの家にプリンでも持って乗り込んでやろうと吏人はゼリーを飲み下しながら考えた。
それを口実に、久々に心亜とサッカー対決もしてみたい。画面に映ったあの姿と対峙するのをあと一年待つなど、こんな事をされてしまった後では吏人はもう出来ないなとカチリとスプーンに軽く歯を立てた。



最後の夏休みが近い。


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