日が暮れた部室。
壁にベンチも荷物も全て押しやって、広く空いた空間に二つの影が動いている。
一つは俺。一つは、佐治さん。

「いち、に。で手離して、さん」
「いち、に…あ」
「いだァ!」

縺れた足が思い切り佐治さんの足を踏んでしまい、そのおかげで転ばずには済んだがギロリと佐治さんに睨まれてしまう。

「お前な…さっきはここできてただろ!」
「…すまねッス」
「ちゃんとやれよっ。ほらもう一回!」

そう言って乱暴に掴む佐治さんの手にどきりと心臓が跳ね、頭の中がまた真っ白になり何も考えられなくなる。
駄目だ。ちゃんと覚えないと。
そう思っていても頭に浮かぶ事は「手汗酷いんじゃないか」という斜め上の思考ばかりで、気が付けば再び佐治さんの足が俺の足の下にあり、結果ばしりと頭を叩かれてしまった。
情けない。
頭の痛みを噛み締めながらうなだれると、「あー止め止めっ」と呆れた声を吐き出しながら、佐治さんは壁に寄せたベンチに腰を下ろした。

「お前無理だ。参加すんなフォークダンス」
「え゛っ」
「嘘だよ馬鹿。大体フォークダンスなんて適当でいいんだよ。年に一回しか踊らないんだし」

ベンチの隣を叩かれ、指示されるがままに佐治さんの隣へと腰を下ろす。少しだけ距離を空けて座ったが佐治さんは特に何も言わず、追求されずほっとしたが少しだけ寂しさも感じる。

「でも、佐治さんはちゃんと踊れますよね」

高円宮杯が終わり、あと一週間も経たない内に始まる文化祭。二日間にかけて行うそれは、全校生徒が参加自由のフォークダンスによって締め括られる。
大抵が高校最後の想い出作りとか告白が成功した記念にとかで、三年生やカップルが占拠するらしいが。佐治さんの性格的に参加する事はないだろう。

「あー、俺中学でもあったから。フォークダンス」
「踊ったんですか」
「強制参加だよ。女子と手が繋げるって男子ははしゃぐけどよ」

かったるいかったるい。と言いつつもその頬は少しだけ赤く染まっていて、もしかして好きな女子でも居たのだろうかと嫌な考えが頭をよぎる。
いやいや過去の話だろうが。と頭をぶんぶん振っていると「何してんだお前」と驚いた佐治さんに尋ねられてしまう。

「も、もう一回」
「は?」
「もう一回、教えて下さいっ。…フォークダンス」

慌てて話を逸らすと、佐治さんは仕方ないな付き合ってやるんだから感謝しろよ。と言いながら立ち上がる。何だかんだ言っても面倒見はいいと思う。

「ほら。えーと…シャルウィーダンス?」
「それ、男側が言う台詞ですよ」
「うるせェ男だからいいだろ」

悪態をつくその手にまた掴まれ、引っ張り上げられる。
確かに今は教える立場だから、佐治さんが女側で俺が男側だ。それでも、ぶっきらぼうにあんな言葉で誘われたら、顔が赤く染まらないように必死にならなくてはいけない。

「いち、に…」
「そうそう。で、さん、よん」

ふらふらとガラス板に足を乗せているみたいにふらつきながら、ゆっくり足を運ぶ。右、左。前に出して、引いて。つま先を上げて、下ろして。数十秒の短い簡単な動きが、好きな人とするだけでこんなにも難しいとは。

「でもお前。こんなのに興味あったんだな」
「え?」
「おい動き止めんな」
「あ。す、すまねッス…」
「で?どうなんだよ」
「え…その…」

言えない。
文化祭の最後。佐治さんと一緒に踊りたいだなんて。
自分でも分かる位に顔が熱くなり、しまった。と思ったが佐治さんはいきなり悪戯っ子のようににやにやと笑いだし「へぇー」と何かを含んだ声を出した。
恥ずかしさで頭がこんがらがり、思わず手を離して自分から踊りを止めてしまう。

「なんだ。好きな女子でもできたか」
「い、や…違…!」
「もしかして蘭原か?」
「違うッス!」

何故そこで柚絵さんが出るのか。俺が好きで仕方ないのは佐治さんなのに。俺が力強く否定をしたのに驚いたのか、佐治さんは少しだけ怯んで、「そ、うか」と納得の声を上げた。

「でも、気になってる奴はいるんだろ」
「う…」

誰かはもう詮索しないみたいだが、そこは聞くらしい。俺はもごもごと口の中を噛み、こくりと小さく頷く。この流れで告白でもすればいいのに、できないのが情けない。

今まで、こんな気持ちになったことなんてなかった。
サッカーばかりに夢中でそんなのに微塵も興味を持たなかったし、好きなんて気持ちも友人が好きなそんな感情の延長線上だと思っていた。
違う。違った。
佐治さんの事を考えるだけで、頭の中が逆上せる位熱くなってくらくらしてくる。サッカーの事ばかり考えていた頭の中が、気が付けば佐治さんの事で一杯になっている。
恋の病とか言うが、これは本当に病だ。

そんな佐治さんが、今年でこの学校を去ってしまう。
そんな当たり前の事に気付いた時、俺は佐治さんと二人だけの想い出が欲しくなった。
部活や、サッカーだけの関係じゃない。先輩と後輩でもまだ駄目。
佐治さんの高校最後の文化祭で、俺は佐治さんと踊りたい。
告白まで、いけなくてもいい。佐治さんの想い出の中に、『俺と踊った』という記憶を書き加えたい。

「さ…佐治さん、その」
「なんだよ」
「その…」

最後の文化祭。俺と踊ってくれませんか。
ぶっきらぼうに言われた言葉の様に、あっさり言えてしまえば。

「…なんでも、ねッス」

情けない。
情けない情けない。情けない。
なんだこんなにも、自分は根性無しだったのか。

「何だよそれ」
「いいんです。…あと、顔近いです」
「あ?普通だろこれくらい」

そう言われ、再び手を掴まれ引き寄せられてしまう。

「フォークダンスはこれくらいの距離が基本だろ」
「近い。いや近いです」

普通に話しているだけでも苦しい位心臓が跳ねるのだ。
かつてこの人の胸倉を掴んだ自分を褒めてやりたい。今じゃあんな近くまで顔を近付ける事すらできない。

「でもお前な。フォークダンスちゃんと知ってんのか?」
「し、知らねッス」
「あれ好きな奴と踊れるのは数十秒位だぞ?輪になってどんどん隣の奴と交代すんだから」
「…へ?」

急に、血の気が引いた。
逆上せかけた頭が一気に冷え、頭の中で冷静に言葉の意味を汲み取る。

「き、聞いてねェッス!!」
「うおっ。いや、フォークダンスってそういうもんだろ…見たことないのかよ」
「知らねッスよそんなの…!」

わなわなと体が震える。
冗談じゃない。これだけ練習して一緒に踊れるのが数十秒だけだなんて。後は曲が終わるまで、全く知らない相手と手を繋いで踊るとか何が楽しいのだ。
対して佐治さんはどんなものか知っていたらしく。だから数十秒だからどんなへたれでも好きな子と踊れてな。とどうでもいいことを教えてくれる。

「やめた」
「は?」
「止めます。フォークダンス踊りません」
「ちょっ!おいお前人を残らせといてそんなオチか!!」
「だって一人だけと踊れないなんて」

そんなの意味がない。それでは佐治さんの頭の中に「フォークダンスをした」という記憶しか残らないではないか。誰としたか。これが重要なのに。

「お前本当にだな!」
「いいッス。練習だけでいいです」
「練習はすんのかよ!」
「二人だけで踊れますもん。今なら」

ぽろりと零した言葉に違和感を感じ、数秒考えてみたら、とんでもない言葉を呟いた事に気が付いた。

馬鹿か。
馬鹿か俺は。

言えないと言っていたものをなぜこんな風に口から落とす。
頼む聞こえていないでくれと佐治さんをちらりと見るが、案の定しっかりと聞いていたみたいでぽかんと口を開けて、不思議なモノを見るかのように俺を見ている。
駄目だ。もう駄目だ。
絶対に感づかれた。と目眩すら起こしそうになったが、佐治さんは「あー…そうか」と理解ができていないのかそんな当たり障りのない言葉を返してきた。
そうかって何だ。と俺も感づかれたのかそうでないのか分からない返答に頭がぐるぐる回り、爆発しそうになる。

「…………」
「…………」
「…練習するか」
「…はい」

再び手を取って、何度も教えられたステップを踏む。
どうやら頭が覚えるより体の方が先に覚えてしまったらしく、頭の中は目まぐるしく回っているというのにダンスだけは拙くも進んでいく。佐治さんもリードは変わらないが、先程よりも表情は平静ではなく明らかに混乱しているのが分かった。理由は考えずとも、確実に俺だろう。

心臓が先程とは違う意味で激しく鼓動する。
佐治さんは一体どういう意味でそうかと言ったのか。俺の言葉をどう受けとったのか。と言うよりぶっちゃけ佐治さんが好きと言うのはばれてしまったのか。いっそ気絶してしまいたい位の緊張感が俺を襲う。
それでも冷静になろうと努力するが、頭に浮かぶ事は「手汗酷いんじゃないか」という再び斜め上の思考ばかりで。

「…なあ」
「は、いっ!」

ガクリと引き攣りながら、佐治さんの声に返事を返す。

「さっきのってさあ…」

そして尋ねてきたのはやはり、先程の事だった。
ひゅっ。と喉の奥が鳴り、冷や汗が背中を伝う。なぜ、なぜ聞いてきてしまうのだこの人は。

「お―「忘れて下さいッ!」
「…へ」
「わ、忘れて下さい頼みますから」

情けない情けない情けない情けない情けない。
いっそ、当たって砕けると思って言ってしまえばいいのに。

好きです。付き合って下さい俺と文化祭踊って下さいと。

頭の中で反芻した言葉が、何故声にして出すことができないのだ。

「この…練習だけで…いいんス…これだけでいいんで…お、お願いします…」

声が裏返りながらもそう言い切る。手の平は明らかにじっとりしており、もうなんか色々と台無しな気分だった。
あんな一言で、全て駄目にしてしまうとか。
あんな一言をきっかけに、告白すらできない自分とか。

「…あー」

佐治さんは呆然としながらも返事をしてそして、

「…お前がそう言うなら、いいけどよ」

全く考えていなかった言葉が、俺の耳に聞こえてきた。

「え」と思わず声を出すと「ここで隣の奴と交代」と佐治さんがダンスを止める。コツコツと響いていた靴音も止み、室内灯がついた室内に静寂が満ちる。ダンスで離れた手の行き場を見失って、無駄に姿勢良く直立して佐治さんを見つめる。

対して俺を見る佐治さんの顔はやはり混乱の色に染まっており、何かをいい澱むように「あー」だとか「うー」だとか唸り続ける。終いには頭を抱え出した佐治さんに一体どうしたのだと思っていると。

「面倒臭ェ」
「佐治さん?」
「いいからもう一回やるぞ。ほら」

そう言って手を差し出され、俺は更に驚いて目を見開く。
どうしていいのか分からずその手をじっと見続けていると「やんのかやんねェのか」と佐治さんが続けた。

「お前らしくねェぞ。早く決めろ」
「…さ、」

言い返そうとした言葉を吐き出す前に無理矢理飲み下し、俺は制服で両手の平の汗を拭うと、ゆっくりその手を取る。

佐治さんらしくねェッス。はっきりしないなんて。

そう言いたかったが、また何か台無しになってしまうんじゃないかと思って、それなら何も分からないままでいいと再びステップを踏んだ。

二人きりのフォークダンスは、その夜夢で見る程に長く続いた。



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