待って。待ってくれよ。

小さく訴える声を唇で塞いで、意外と細い腕を掴み押さえ付ける。深く深く、呼吸すらできない位の口付けをすると来栖は熱い息を漏らして、潤んだ瞳が不安げに俺を見上げる。
目尻に溜めている涙の理由は快感か恐怖か。考えるのを放棄してそのうっすら日焼けした喉に噛み付く。びくりと体を震わせしゃくりを上げた音を聞き、本気で噛み付かねェよと小さく笑う。
片手だけで来栖の両腕を纏めて、自由になった片手で先程まで外しかけていたワイシャツのボタンを再び外していく。日が当たっていない白い肌を見るのは初めてで、そこにある桜色の小さな尖りも今まで見た事なんかなかった。
同性なんだからお互いの裸位見てそうだけどな。なんて自嘲気味に再び笑えば、未だ不安そうに俺を見上げる来栖に気が付いた。ただでさえ力で征圧できるというのにそんな風に怯えた顔で見つめられたら、征服欲が余計に増してくるだろう。
鎖骨辺りに舌を這わして、汗の味を感じてから白い肌に歯を立てる。軽くではなく、強めに。
「痛っ」と鳴いた来栖の声は無視して更に強く噛み付けば、じわりと血の味が少しだけ口の中に広がる。正直汗の味がするだけで、血自体は余り味が無いような気がした。

「ゆ、き」
「…そんな怯えた顔すんなよ」
「だ、だって」

怖い。
怖いと、震える声で呟かれた。
言われた瞬間もっと、それこそ肉が削げる程噛み付いて食い千切ってやろうかと思ったが、耐え切れず目尻から溢れた涙を見てやっと我に帰る。
拘束を解き慌てて「悪かった」と来栖を抱きしめてそう言うと、しゃくりを上げて涙を流していた来栖は弱々しく俺の背中に手を回す。その手が愛しく思えて、それと同じぐらい先程の自分の行為に後悔した。

そしてそれ以上に、この腕の中の恋人を自分だけのものにしたいと思った。



好きだと俺が勇気を振り絞って言えば、大好きだと笑ってあっさり返してくる。
誰も見ていないと確認してから手を握ろうとすると、それを察して向こうから手を繋いでくる。
俺から始めているように見えて、結局のところいつも来栖が俺を引っ張って、俺達の関係を徐々に進めている。そんな来栖を見て、悔しい。とか生意気だ。とか色々感じるが、結局の所どんどん最初の頃よりも来栖の事が好きになっている自分がいた。

好きから、大好きに。
大好きから、愛しいに。
愛しいから、離したくないに。
離したくないから、失いたくないに。

好きになれば好きになる程、不安が募った。
来栖が、他の奴を好きになってしまったら。例えば自分とは全く違う、可愛くて大人しくて家庭的な『女の子』を好きになってしまったら。
来栖に限ってそんな事は無いと思うが、それでももしかしたらと考えてしまう。来栖がこのままヴェリタスでAチームに成り上がる程に成長してしまったら、高校卒業後にプロになる可能性だってある。そうなったら今でも少ない一緒にいれる時間が更に少なくなってしまうだろう。プロになれば、様々な人とも交流する筈だ。
そうなれば。考えたくもない。

「来栖」

消毒して、傷を隠す様に貼り付けた絆創膏を指先でなぞる。
びくりと怯えられ慌てて手を引くがそういう意図で触った訳でないと気が付いた来栖は「ごめん」と小さく呟く。俺は小さく頭を振ると乱れてしまった前髪をかき上げ触れるだけのキスを落とす。ほんのり来栖の頬が赤く染まって「乙女かよ」とからかえば「男だよ」と唇を尖らせ答える。

「なんだよ」
「ん?」
「さっき、呼んだろ」
「あー…いや、呼びたかっただけ」

「なんだそれ」と言いつつ満更でもなさそうな表情を見ながら、やはり言わなくてよかったと頭の中で安堵の息を吐く。
俺の事が好きか。なんて一言でも口にしたら、きっと来栖はこの嬉しそうな笑顔を歪めて悲しむのだろう。

「なあ来栖、明日休みなんだろ?」
「ん、ああ」
「じゃあ、明日一日家に居ようぜ」

両親が夫婦水入らずで旅行に出掛けたのをいい事に、わざわざ都外のヴェリタスにまで足を運んで来栖に泊まれと誘ってきてしまった。電話でいいじゃねェかと文句を言いながらも承諾してくれた来栖には悪いとは思ったが、よく来栖がつるんでいる奴らが、俺がいない間来栖と一緒にいるというだけでも堪えられない。
多分、普通の恋人より少ない時間しか一緒にいれない俺達。学校に、クラブに、部活。自分の進路の勉強すらこの関係を邪魔してくる。
高校を卒業したら俺は大学、来栖はプロ入りだ。きっと更に会えない時間は増えるのだろう。だったら余計にこの二人きりの時間を大切にしたかった。
嬉しそうに頷く来栖の手を取り優しく引き寄せる。着替え代わりに俺の服を着せたが、俺より小柄で細いその体には大分大きく、鎖骨辺りの絆創膏が常に見えてしまっている。

本当はこんな傷一つだけでは足りない。
足りない。
一つ位は醜く痕がつく位、誰も触れた事の無い体に歯を立てたい。キスや、抱きしめあうだけでなく、もっと深い所で来栖を求めたい。

「来栖」
「なんだ?」
「好きだ」

それでもそれを提案すれば、来栖はまだ早いと顔を赤くして言う。育ちがいいからなのか分からないがそういうことは卒業して、お互いが大人になってからと言うのが来栖の意見だ。
回りくどい様に拒否をされたようでショックだったが、真剣に付き合いたいと思っているからこそなのだろう。それはよく分かった。
引き寄せて抱きしめて、俺の匂いに包まれた来栖の頭を愛おしく撫でる。
普段は髪が乱れると触れさせないのに、二人きりだとこうやって文句を言わず触らせてくれる。

「俺も好きだ、ゆき」

足りない。
足りない。
大人になってからなんて、そんなの遅い。遅すぎる。
色々なものが、俺達には遅すぎたのに。

「ちがう…」
「え?」
「…好きなんだよ…」

何も早くない。
何も怖くない。
もっと先に、もっともっと。
離れていても繋がっている確証が欲しいのに。

どうして。

「だから、俺も―」
「違うだろ…」
「…ゆき?」
「違う。全然、全然ちがう…!」

縋り付く様に抱きしめても、来栖は首を傾げるだけで、俺が欲しい言葉をくれない。

俺は、好きなんだ。お前の事が。
男とか、そんなものどうでもいい位に。不安で、どこにも行かないでくれと叫びたい位に。
傷付けたくない。泣かせたくない。でもお前が、俺を不安にさせるから。
俺の腕の中から抜け出して、どこか遠くに、別の誰かと行ってしまいそうな気がするから。

「好きだ」
「ゆ、き。泣くなよ」
「泣いて、ねェ」
「泣いてんだろ…」

来栖の服の袖で目尻を拭われ、テメェそれ俺の服だと文句を言いそうになる。
その前に来栖が俺を抱き返してきて、俺の首筋に鼻先を寄せる。
子供っぽい行動にくすぐったいなと思っていると、急な痛みに呼吸が一瞬止まる。
「い、て」と掠れ掠れに呟けば、更に痛みは増して、痛みの元が来栖が顔を埋めている首筋からだと言うのがやっと理解できた。
来栖の服を強く握り、痛みに堪えていると来栖の顔がゆっくり離れる。何をされたのかよく分からなかったが、来栖が開けていた自分の口を舐め得意げに笑ったのを見て、何となく察した。

「てめ」
「仕返ししてやった」
「痛ェだろ」
「俺だって痛かった。それに―」

怖かった。

その言葉が嫌に突き刺さり、「悪ィ」と思わず言葉を漏らす。それを聞いた来栖は何が不満だったのか眉間に皺を寄せ、先程の、噛み付いたであろう首筋を抓り上げる。
引いていた痛みが再び再来し、「痛ェ!」と思わず叫んだ。

「お前な、本当に悪いって思ってんのか?」
「い、だッ!おい来栖離せ!離せ馬鹿!」

俺が本気で痛がっているとやっと来栖は手を離す。ひりひりと痛むが持続的に続いた強い痛みが無くなり、俺ははぁと安堵の息を漏らす。と、来栖を見れば、なぜか俺より泣きそうな顔をしてこちらを見つめている。

「お、れが、どれだけ怖くて」
「いや、だから本当に悪かったって」
「…ッ。どれだけショックだったと思ってんだ」

来栖の言葉に目を見開いて、俺は嗚咽混じりの言葉を頭の中で反芻する。
その間にも、耐え切れず涙が溢れてきた来栖が、言葉を続けてきた。

「そんなに、俺の事信用できねェかよ…こういう事しなきゃ、不安なのかよォ」
「…………」
「お前が不安なの位知ってんだよ!分かりやすく周り警戒して、ばれてないと思ってたのかよ!」
「…マジか」

確かにやり過ぎな位に周りに目は光らせていたが、そこまでか。いや、たとえそこまででも来栖なら気が付かないと、高をくくっていたのだった。

「俺はどっちかと言うとお前の方が不安だ!いっつもチャラチャラしやがって!浮気してねェだろうな!」
「ハァ!?んな訳ねェだろ!お、お前こそ。今泉の奴とかと変な事してねェだろうな!」
「するかァ!今泉はただのチームの仲間だっつーかお前こそ天谷吏人となんかしてんじゃねェのか!」
「しねーよ!お前一筋だよ!」

ぼん。と音がしそうな勢いで来栖の顔が赤くなる。俺も自分が言った言葉が恥ずかしくなり、口をつぐむ。
暫く無言のまま時間が経ち、急に来栖が小さく笑った。

「なんか…喧嘩なんて久しぶりだな」
「…確かにな」
「いつからだ?」
「あー…付き合う前が最後だった筈」

なんと言うか、奇跡みたいな自分達の関係を壊すのが嫌で、お互いやけに気を遣っていた気がする。昔は顔を合わせれば毎回と言っていいほどお互い噛み付いていたのに。
まあ噛み付いていたのは一方的に俺で、来栖は吏人に噛み付いていたのだが。

「来栖、ぶっちゃけていいか?」
「おう」
「結構スッキリした」
「はは…俺も」

お互い抱き寄せた状態で口喧嘩なんて、俺達くらいしかいないのではないのだろうか。
顔を寄せると来栖も察したのか目を閉じる。触れるだけのキスを何度かして、名残惜しく顔を離す。それでも先程の様な強い焦燥感は無くなっていた。

「明日家に居ようって言ったよな」
「お、おう」
「色々さ、話さねェか?俺達の事」

来栖は驚いて開いた目を丸くしたが、「別れ話じゃねェよ」と頭を乱暴に撫でる。

「また喧嘩してもいいから…お前と色々、これからの事話したい」
「…うん」
「進路の事とか、お前がプロ入りしたらどうするかとか…あとセックスとか」
「うん…?セッ…!?」
「どこまでなら大丈夫とか。あ、当然俺が上だからな」
「いや待て!ゆき、何言ってんだよ!」
「だから、セックスの話」
「二回も言うなァ!」

顔を赤くして叫んで、何だよ学校で猥談とかしねェのかよと問えば馬鹿野郎と叫ばれた。
どうやら本当にそっち方面には耐性が無いらしい。情けないと思いながらも、こんな奴じゃ浮気の心配はねェな。と安心して笑ってしまった。

「おまっ、他に話す事色々あるだろ!?」
「あるけど…仕方ねェだろ思春期なんだから」
「頭の中ピンク色かよ!」
「お前だってちんこ立つ時くらいあるだろ」
「な…!いわけじゃ…ないけど…」

どうやら反撃できなくなるくらいには性欲があるらしい。
こっち方面は当然、来栖の事何も知らないな。と自分の情けなさを悔やむ。先程まで胸に溢れていた不安はそんなふざけた言葉を吐き出す度に消えていき、ああ原因はこれだったのかと何となく理解した。

知らないから不安で、相手の言葉が嘘に聞こえる。
相手の気持ちが見えなくなる。
そんな事すら、来栖が怒らなければ気がつかないなんて。

「…本当に、悔しいな」
「は?な、何が」
「うるせェな。何でもねェよ」

俺はそう言うと、何かを言い返そうとした来栖の顔を引き寄せ、もう一度触れるだけのキスを落とした。

首筋に付けられた歯型の痛みは、別に愛しくもなく単純に痛かった。
 
 

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