天谷と出た時で既に暗くなっていた外だ。
地獄の様にキツイ練習が終わる頃にはすっかり真っ暗になっていて、公園の外灯だけが俺達を照らしていた。
最初こそブレザーまで着ていたが尋常じゃない練習内容にブレザーもシャツも脱ぎ、更に下に着ていたシャツも袖を捲って必死に体を冷やした。冬も近い気温だというのにその風は熱くなった体に心地良く、俺はぐったりと公園のベンチに横になっていた。

「だらしねぇッスよー佐治さん」
「おま…何で、平気そう…なんだよ」
「毎日やってますから」
「毎日って…スゲェな…」

これが天谷が言う「世界一キツイ練習」かと思うと、普通に感心してしまった。
なる程こんな練習を平気そうにやるのだ。世界一を目指すと言ってもおかしくは無いだろう。
頭がおかしいとかそういう問題はどこかにいってしまったが、実際サッカーを一緒にやっていたらそんなのはどうでもいいかと思ってしまった。ただ、鍵は返してもらわないといけないが。

「すごくないですよ。佐治さんだって、2年後にはこれ毎日やってんスよ」
「マジか…スゲェな2年後…」
「死ぬ気で引っ張り上げろって言われましたからね」

近寄ってくる天谷に気が付いて体を上げると、俺の隣に座って息を吐く。
天谷も制服を脱いで同じ様にシャツを捲っている。疲れたように息を吐いているが、その顔にはまだ余裕がありそうだ。素直に悔しいと思った。

「佐治さんも死ぬ気でやるって、言いましたし」
「ハハ…2年後の俺やる気あるな…」
「最後のチャンスでもありますからね」

最後?と首を捻ると、天谷は顔を合わせないで言葉を続ける。

「俺が来るまで市立帝条は一回戦負けが当たり前だったんスよ。周りが強豪校ばっかりで、キャプテンのあんたは腐ってるし」
「腐ってるって…何だそれ」
「勝つ事諦めてずっと燻ってるんですよ」

何だそれ。
またわかりにくい喧嘩の売られ方をしているのか。と思ったが、こっちを向いた天谷の顔は違った。
酷く、不満そうな顔。言う事を聞いてもらえなくて怒る子供のような、不満に満ちた表情。
その顔のせいで、言いたかった文句は口の中で留まり、そのまま飲み下されてしまった。

「佐治さんを見にきた理由、言ってなかったですよね」
「お、おう」
「倉橋さんから、昔はもっとやる気があったって聞いてたんです」

倉橋まで知ってるのかコイツ。そして何言ってるんだあの野郎。

「だから、見てみたかったんス。その時の、全国目指すって言ってた佐治さんを」

「でも」と小さく呟き、天谷の眉間に皺が寄る。

「見なきゃよかった」
「ハァ!?なんで」
「今の練習でこんなに俺について来たのに。なんで腐っちまうんですか」

また腐ると言われた。
正直俺は腐った覚えはないし、天谷にどれだけそんな事を言われてもわからないままだ。
天谷曰く、2年後の俺は勝ちを諦めて燻っているらしいが、何故そんな事になってしまうのかもわからない。
天谷も自分の言いたい事がうまく整理つかないのか、額に手を当てて顔を逸らす。
「だから、俺が言いたいのは」と言葉を迷わせている姿を見て、コイツの側に誰か通訳でもいればいいんだろうにな。と変な事を考えた。

「…俺が来るまで、絶対に腐らないで下さいって事です」
「……天谷」
「絶対に全国に連れて行きます。皆を引っ張り上げますから」
「…………」

そのまま視線を合わせずに黙る天谷を見て、俺は回復した体力で思いっきり天谷の頭を叩いた。
いきなりの攻撃に驚いたのか、天谷は慌てながら「なんスか!」と叫ぶ。気にせずもう一度叩いて黙らせると、俺は天谷の頭を掴んで口を開いた。

「テメェ何生意気な口叩いてんだよ」

唖然とする天谷の顔を睨みつける。
まだ肩で息をしている状態で格好は付かなかったが、それでもこの見ず知らずの同い年に言い返してやりたかった。

「腐る訳ねェだろ。俺は今年…いや来年の高校総体、必ず全国に行くんだ」
「…………」
「今年は予選1回戦負けだったけどな。絶対に勝つ、次こそ。死ぬ気でやってやる。お前の力なんか借りなくたってやってやる」

黙って聞いている天谷を見ていたら、急に恥ずかしくなり頭を離して顔を逸らす。
暫くするとまだ呆然としていた天谷が吹き出したような声を出しながら「楽しみにしてますよ」と小さく呟いた。
何がおかしいんだ。と文句を言おうと「天谷!」と振り向いたら、先程まで隣にいたはずの天谷の姿はいつの間にかいなくなっていた。

「…あれ?」

辺りを見回してみるがどこにもいない。ベンチにかけていたアイツのワイシャツもブレザーもどこにも無いし、人の気配すら感じない。「天谷?」と呼んでみるが、何スかと返事が返ってくる事も無い。

まるでさっきまで俺が見ていた夢の様に、天谷は姿を消していた。

「…あ、鍵」

返してもらうの忘れた。と、もうどうにもならない事をぽつりと呟き、俺は再びベンチに横になった。
ベンチにも、天谷の温もりは残っていなかった。






部室のドアを開けると、珍しく吏人が机に突っ伏して眠っていた。
机に散乱したノートを見て新しく練習メニュー考えていたのかと思ったが、なんのことはない。もうすぐで始まる中間テストに向けての勉強だった。

「おい吏人!起きろ!」

乱暴に背中を叩くと吏人は一瞬身じろぎをして、ゆっくりと起き上がる。
瞼をこすりながら不思議そうに人を見上げる姿に「何だよ」と言うが、「あれ?」と吏人は疑問詞を零して再び瞼を擦る。ぱちりと開いた瞳に見上げられ、どきりとする。

「…佐治さん?」
「おう」
「…髪切りました?」
「は?」

いきなりの言葉についそう言ってしまう。この後輩は何を言い出すのだろうかと思っていると、吏人はまた「あれ?」と呟く。

「…佐治さん。今3年ですよね」
「当たり前だろ」
「…髪長かったですよね?」
「あ?んな事ねェよ、前からこうだろ」

確かに2年になる前に伸ばそうとはしたが、余りに練習の時に邪魔で結局短髪のまま3年まで過ごしたのだ。その頃の俺の事を吏人が知ってるとは思えない。
訳のわからない事を言う吏人に鍵閉めるぞ早く支度しろと言うと、吏人は首を傾げたまま勉強道具を片付けていく。俺も忘れ物が無いかもう一度ロッカーを確かめていると、「え!?」と吏人が後ろで声を上げた。今度は何だ。

「佐治さん…何スかこれ」

吏人が指を差したのは壁にかけられた一つの写真だった。

「何って…最初の部活動の時話したろ。去年高校総体予選で準優勝した時のだよ」
「準…優勝?」
「ああ。うちの唯一自慢できる成績だからな。まあ、私立帝条には結局負けちまって、全国じゃ散々にボロ負けしたけどな」

目標だった全国大会には行けたが、圧倒的な実力によって現実を見せつけられた。
「来年は全国優勝だ!」と全員に激励を飛ばしたが、結局それから冬の大会まで全て相手チームに大差をつけられて敗退。当時キャプテンだった先輩達には「予選通過できたのが奇跡だ」とまで言われ、もう全てを諦めかけていた。
その時に吏人が入部して、また全員で全国を目指そうと決意したのだ。出場ではない。今度は優勝するのだと。

「お前が来なきゃ、何もやる気出さないでまた昔に元通りになっちまったかもな」

ははっと自嘲気味に笑ったら、吏人は俺を無視して部室から出ていく。いきなりの行動に驚きつつ、無視された怒りで「おい吏人ォ!」と追いかける。
一度見失ったが、すぐに部室の裏にいるのに気が付き、驚いた顔で部室の壁を凝視している吏人に駆け寄る。

「どうしたんだよいきなり…」
「これ…」

そこに書かれた文字を見て、吏人が呟く。
辺りは薄暗くなってしまい外灯の光だけでぼんやりとしか見えるが、見なくともそこに書かれている言葉は知っている。
自分で書いて、一度消してまた書いた目標。
今度は全国大会優勝。今年こそ。

「何今更言ってんだよ。帰るぞ」

吏人にばれないように笑うと、俺は先に部室に戻っていく。
吏人らしくねェな。と思いながらさっさと置いていくと、いつの間にか駆け寄ってきていたのか、吏人が俺の腕を掴み足が止まる。
振り向けば予想外に顔が寄せられていて、どきりと心臓が大きく跳ねた。

「佐治さん」
「な、んだよ」

高鳴る心臓の音がばれないように少しだけ後ずさる。吏人は暫くの間俺の顔をじっと見つめていたが、やがてゆっくり笑顔を零して「なんでもないです」と小さく呟いた。

「短い髪、似合いますね」
「何だそれ」
「子供っぽくて」
「うるせェ!」

気にしている事を言われ叫んでから、ふと昔、同じ様な事を言われたなと思い出した。
そういえば、アイツも吏人によく似ていた気がする。
じっと顔を見つめてみる。まるで夢みたいな出来事だったからそこまではっきりとは覚えていないが、やっぱり似ている。

「何スか?」
「いや、アイツに似てるなって」
「誰ですか」

誰。と言われても、不思議とあれだけ名前を呼んでいた筈なのに思い出せない。
それにあんな奇想天外の出来事、どう説明すればいいのか。悩んでいると吏人の顔は徐々に不機嫌なものへと変わっていく。
「教えて下さいよ」と強請る吏人はいつもと違って子供らしいそれで、ふて腐れている様な表情はもしかして、これはそう言う事なのだろうか。
つい吹き出してしまい、吏人は更に眉間に皺を寄せ「何で笑うんですか」と訴える。その必死な姿が余計に笑えてくる。

「別にいいだろそんなの」
「よくねェッス」
「いいから早く片付けしろって。置いて帰んぞー」

吏人の腕を剥がし、俺は再び部室へと向かう。
それでも吏人はすぐ駆け寄り再び腕を掴んできて。どっちの方が子供くさいんだか。と心の中で一人ごちた。




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