「痛っ!」
「あ、悪い」

そう言いながらぱっと手を離した倉橋の指から、自分の伸びた金髪がすり抜けて落ちる。
編み込まれた金髪は押さえていた指から解放されはらはらと元のストレートに戻っていく。倉橋が数分間苦労して編んだ小さな編み込みはすっかり姿を消したらしい。「あー…」と気の抜けた声を上げて倉橋ががくりと肩を落とした。

「今までで一番上手くいったのに…」
「痛くするお前が悪いんだろ」
「えー」

伸びた髪が横顎をくすぐって痒い。何度も手櫛を通しているのだが、逆に静電気のせいで顔に余計に貼り付いてくる。
髪を弄る女子の気持ちってこんななのかな。と思いつつ、ヘアカタログを唸りながら見ている倉橋を観察する。
『初心者でもできる編み込みヘアー』と銘打っているが、目の前の初心者は部活が終わってから全く成功のせの字も見せていない。机の上に散らかしたクリップやヘアゴムがどこか物悲しげに頃がっている。

「…佐治、できる?」
「できる訳ねーだろ」

なぜ今、もしかして。と思った。
「あー疲れた」と倉橋は椅子の背もたれに体を倒す。
部活が終わってから教室に帰り、まだ活動を続けている部活を窓から眺めて。一人は妹に入学式の時にと頼まれた髪型の為編み込みの練習を。一人はその練習台を。
何やってるんだろうな。と自分自身に突っ込みを入れていると、「佐治」と名前を呼ばれる。

「もう一回」
「はいはい」

やりやすいように頭を寄せてやれば、再び倉橋の指が俺の髪を優しく撫でる。
壊れ物を扱うかの様にと言う程でもないが、ゆっくりと梳いていく指は気持ちが良く、長く続いてしまっている実験台でもそこまで苛ついてはいない。
野球部の掛け声を聞きながらうとうとと瞼を落としていると、倉橋が髪を弄りながら話し掛けてきた。

「佐治、本当に髪伸びたよなー」
「ん?んー…」

高校総体予選一回戦負け。
それを期に伸ばし始めた髪はすっかり昔の自分の影もない。
遊び好きと地毛の金髪のせいで周りからは「チャラい」「佐治がグレた」と言われたい放題だったが別に気にしなかった。元々短い髪は似合わなかったのだ。今の長い髪はなんだかんだで気に入っている。

「前髪もさ、伸びた」
「伸ばしてるからな」
「練習の時邪魔じゃね?」

倉橋の言葉は何気ないものだったんだろう。
実際髪が伸びてから、体育や部活で邪魔に思う事が増えた。
静電気で髪が顔に着くのも苛つくし、風が吹いたり食事をしているだけで口に髪が入るのも嫌だ。

短い時の方がよかった事は多い。
それでも自分に短い髪は似合わないし、それに、

「…そこまでする練習でもねェだろ…」

ぼそりと。
倉橋に聞こえたかどうかも怪しい声で呟いた。
倉橋の指が一瞬止まった様な気がしたが、そのまま何も言わず作業を進めていく。
外で、金属バットがボールを叩く音がした。

「…寒くなくていいだろ」

今度はちゃんと聞かせる声量で。
倉橋は「そっか」と呟いて、指に通していたシリコンゴムをぐいっと拡げ伸ばす。
毛先を少しだけ残して髪を束ねると、器用にゴムを巻き付けていく。

「できた」

ぱちん。と音を立てて倉橋が指を離す。髪に不思議な違和感を感じて目を開けば、小さな三つ編みが目の端で揺れる。
赤い透明感のあるシリコンゴムが金髪に映えて、自分の髪に関わらず綺麗だな。と思った。

「やーっと一つできたー」
「こんなので発表会間に合うのかよ」
「間に合わせる」
「本当かよ」
「俺逆境に強いからよ」

「嘘くせー」とけらけら笑って、そのまま机に腕を枕にして突っ伏す。邪魔なクリップ類を端に寄せヘアカタログを腕の下に敷く。「読めないんだけど」と言う倉橋の言葉は無視して再び瞼を閉じる。

「佐治よー寝るなよ」
「…30分位な」
「残った意味ねェじゃん…しゃーねーな」

他の結い方も試したかったらしい倉橋は、不満そうに俺の髪を撫でる。いいだろお前、逆境に強いんだろ。
そう思っていると、うなじの上辺りに何か違和感を感じる。ぐいぐいと髪の毛全体を引っ張られる感覚に、何だと顔を上げてみたら「でーきた」と倉橋が子供みたいな笑顔を向けてきた。

「なに…」

うなじを摩ると、先程まであった筈の髪が無くなっている。続いてひやりとした温度が首に染み込み、ぶるりと体が震える。
何だと思ったが何の事はない。俺の長い髪は太めのヘアゴムで後ろに一まとめにされていた。前髪は突っ伏していたせいで纏められなかったみたいだが、それだけでも首周りが随分と軽い。

「これで邪魔じゃないだろ」

練習の時、これでいいじゃん。
小さくそう聞こえたような気がしたが、倉橋を見てもへらへらと笑うだけで何も答えない。
いつも通りの軽い笑顔しか、そこにはない。

「…寒ィよ」

ぐい。とヘアゴムを引っ張り、纏められていた髪をぱらりと落としてしまう。倉橋が何か落胆の声を上げていたが、そんなもの野球部の挨拶にかき消されてしまった。
そのまま机の上にヘアゴムを置こうとしたが、ふと少しだけ考えて、それを机の脇に置いていたスポーツバックの中に突っ込む。
「貰っていいだろ」と倉橋に聞けば、「別にいいぜ」とあっさり許可が下りた。

「でも代わりに練習させてくれよ」
「…ええ?」
「寝てる間だけ!頼む!」

先程まで散々触らせておいて何がええ?だ。
しかし倉橋はそこに突っ込まず、両手を合わせてこの通りと俺に頼み込んでくる。こういうノリがいい所が倉橋だよな。と思いながら、俺は下に敷いていたヘアカタログを掴んで渡してやった。

「…痛くしたら帰るからな」
「大丈夫大丈夫。任せてくれよ」

意気揚々とヘアカタログを受けとった倉橋に見えない様に小さく笑うと、俺は再び机に突っ伏した。野球部とは別の部活の挨拶が今度は聞こえてくる。
もう外は橙の空と言うより紫に近く。教室の電気も点けず段々と暗くなっていく中で、倉橋と俺が二人きり。
あと数ヶ月もすればどんどん日が落ちるのが早くなってきて、そして冬がやってくる。


冬の大会も、やってくる。

勝つ気など、さらさら無い。



「…佐治よー」
「…ん?」

髪を再び撫でながら、声に返事をする。
しかし暫くの沈黙の後、倉橋は「やっぱ何でもない」と小さく呟いた。

「何だよ…気になんだろ」
「いや、俺は佐治まかせだからさー」

「いーのいーの」と言う声は相変わらず軽くて。
本当にどうでもいい事だったのかなと思いながら、俺はゆっくりと睡魔に誘われて意識を手放していった。





冬の大会が終われば春がくる。
そして、最後の一年がやってくる。

高校最後の、一年が。



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