今年、帝条市立帝条高校に入学。と同時にサッカー部に入部。適当に与えられたユニフォームの背番号は28。
中学の頃は一応、10番右ウイングで"サッカー部"に所属していた。クラブになんて、小学生の頃以来入っていない。
小学の頃所属していた戸畑サッカー少年団。監督は戸畑だったが、勇志なんて名前でもなければ、昔代表選手だったと言う事でもない。ただ、いい監督だったのは覚えている。

何か格好いい名前がつけられる様な凄い特技や才能があるわけではない。ただ、人より少しサッカーが上手い位のものだ。物凄い切り返しも無いし、足がめちゃくちゃ早いって事も無い。
ただ普通の、特別でも何でもない、普通のちょっとサッカーが上手い奴。

それが現実の天谷吏人だ。
それが現実の、俺だ。



「おはよう吏人君!」
「…おはよう、及川」
「どうしたの?元気無いね」

月曜に元気に登校できるお前が不思議だ。
休みをある意味満喫した身には、学校などしんどい事この上なくてつい大きな欠伸を零す。
「夜更かししたの?」と及川が聞いてきたので、利き手を軽く振って違うと答える。

「今日いつもより早く起きちまったんだ」
「へー…寝付きが悪かったとか?」
「…夢見が、悪かった…のか?及川」
「いや僕に聞かれても」

まあある意味夢見は悪かっただろう。何せあんな落とされ方だ、夢と若干信じたくない位である。

「…なあ及川」
「何?」
「いや…シアンって、知ってるか?リンドウシアン」
「え?…うーん、ちょっと聞いた覚え、無いかな」
「サッカー選手。去年ヴェリタスユースに入った…」
「ヴェリタスユースに?…そんな人いたっけ?」

やっぱり。
高円杯は去年テレビで見たし、試合も実際見に行っている。そこに、淡い青色の髪の選手なんてどこにも居なかった。
シアンは俺の夢にしか居ない、俺の想像だ。でも、何故かシアンだけが俺の中でくっきりと浮かび上がっている。
時間が経ちぼやけてしまった夢の中で、アイツだけが妙に存在感を放っている。やっぱりあれか、ラスボスだからなのか。

「…吏人君?」
「え」
「どうしたの。やっぱり今日変じゃない?具合悪いの?」
「い、や」

至って健康そのものなのだが。少し、考え過ぎていたのだろうか。
心配そうにする及川に慌てて「大丈夫」と手を振る。それでもまだ唸る姿に、変な心配かけちまったと自分の頭を掻いた。

「…部活始まれば、元に戻る」
「…部活?」

そう言うと、今度は及川の表情が暗くなった。
何だ?と思ったが、次の瞬間に自分が失言をしていた事に気がつく。
そうだった。夢の中の及川と、現実の及川は、違う。

「そ、うだよね。吏人君、サッカー好きだもんね」
「…お前だって、好きだろ」
「うん、好きだよ。…サッカー、大好きだよ」









現実は。
リアルで、生きるにあたって容赦が無くて、出来ることならば全て夢にしたい位のものだ。
そう願ったとしても、それは夢に出来るものではない。それを壊す実力も俺達には無い。勝手に来てくれるチャンスなど、もっと無い。
精々俺達ができる事など、今ある現実を、苦笑いしながら素直に受け止める事だけだ。現状に満足し、井戸の底だけを見つめる日々を過ごし、卒業した頃に振り返りそれなりに楽しかったと過去を締め括る。

「今日も1年はテキトーにやっとけー」

そう言って背を向けた部長は、何もかも諦めた目をしながら仲間と共にグラウンドへ向かっていく。
あの人は、昔は夢に向かって眼を輝かせていたのかもしれない。率先して様々な事をやって、チームを引っ張っていたのかもしれない。そのうちに、何をやっても何も変わらない現状に愛想を尽かして、全てを諦めてしまったのかもしれない。
知らないが。
聞かなければ、全て俺の想像の範囲内だ。
勿論聞く気も無い。
あんな夢を見なければ、そうかもしれないとも考えなかった。

「部長のあれって染めてんのかな」
「それともハーフ?」
「…知らね」

隣にいた同じ1年部員が尋ねてきたのでそう返す。「聞いてみりゃいいじゃん」と言ってみるが、ソイツは「冗談キツイわ」と固い笑顔で答えた。

「吏人君。今日も一緒にパス練やらない?」
「いいぞ」

ボールを取ってきた及川が声をかけてくる。これ幸いとばかりにソイツに「じゃあ」と手を振ると、少し離れた場所にいた及川に駆け寄る。

「あれ、三人でやらないの?」
「………」
「吏人君。僕以外と練習しないの?」

「そう言えば見た事無い」と言われ、更に俺は言葉に詰まる。
俺がそのまま語らずを貫いていると、及川の方から「まあいいか」と質問を締め切った。
多分、気をつかってくれたのだろう。ほっとした反面、気が随分と重くなる。

「吏人君って本当サッカー上手いよね。どこに飛んでもすぐにキャッチできるし」
パス練を始めて数分経ってから、及川がそんな事を言い出した。ゆっくり飛んできたボールを足で受け止めると、先程と変わらない位置を狙って蹴る。
ボールは及川の足に吸い込まれる様に飛んでいき、俺は心の中でこっそり20。と数えた。
21。別にサッカーが上手い訳ではない。単純にこういったパス練やシュート練、一人でも出来る球遊びが上手いだけだ。

「…練習し過ぎなだけだ」

22。口下手が極まっている俺はどうにもチームワークを乱しがちらしく、中学でも数える位しか試合には出ていない。
夢の中で見た健太、みたいな友人は確かに居たが、23。二年の春に関西だかへ転校してしまいそれから会っていない。だから練習は、一人で行う事が多かった。24。

自分一人が、やるかやらないかではない。それを言い訳に、人との関わりを避け続けてきただけだ。
サッカーは、チームスポーツ。一人で何も言わず壁を蹴り続けていても、何にもならない。何も始まらない。

じゃあ言ったとして、どうなる。

何回目か数えていなかったボールを受け止めると、急に中断した俺を不思議そうに及川が見る。
その及川は入部して初日、三年生に真面目に練習しようと意見を言ったせいで、五年間欠かさず書き連ねていたサッカーノートをビリビリに破り捨てられてしまった。
二人で直してなんとかまた形にはなったが、あれ以来及川がサッカーノートを広げているのを見ていない。つまり、そういう事なんだろう。

「…今朝、変な夢見たんだ」

俺はあの夢の事を及川に話した。及川は最初、何がなんだか分からない様な表情を見せていたが、暫くすると真剣にこちらの話を聞いてくれた。
俺が最後の落ちを話し終えると、及川は口を開いた。

「リンドウシアンさんって、その夢の中の人なんだね」

俺は頷く。
及川は「そっか」と呟くとほんの少しだけ俯いて、ポケットからツギハギのサッカーノートを取り出した。
よく見なくても分かる。それは、あの日破かれたサッカーノートだ。

「なんかその人ってすごいね」
「そうか?性格は、大分あれだぞ」
「でも、すごいよ。自分のやりたい事が出来てるんだもん」

圧倒的な才能。シアンを表現するならそれが適当だろう。
例え受け入れ難い性質でも、その毒にも似た才能で、他人を浸蝕し、腐らせて殺してしまう。
それは恐ろしいものにも見えるが、反面羨ましいものでもある。他人を変えてしまう程の力。それは、俺も及川も、手に入らないと諦めつつどこか求めていたものなのではないのか。

「―どうして」

及川のサッカーシューズに、ポタリと水滴が落ちた。
雨が降ってきた訳ではない。俺は何も言わずに、ゆっくり空を仰いだ。空は、紫色に染まり少しずつ、太陽の光を浴び橙色に変わっていく。

「どうして、こうなったのかな」

俺は何も答えれなかった。
及川も返答はいらなかったらしく、そのまま声は続けられた。

「ただ楽しく、皆でサッカーしたいだけなのに…少しでもいいから上手くなって、皆で喜び合いたいのに…なんで僕は、それが出来ないのかな」
「…………」
「結局才能、なのかな。どんなに努力したって、全部無駄な事なのかな…」

シアンは。
俺の願望だったのだろうか。

どれだけ残酷でも、才能さえあれば、人の心の中に入り込めれば人に受け入れられる。人との距離が、どんどん離れていってしまう俺とは違って、シアンは簡単に近付いていってしまう。

あれが俺なら。
あれができるなら。
何か、変われたのではないか。
何かが。


「…違うだろ」

「えっ」と返す及川に反応せず、俺は自分の心の中の言葉を否定する。

あの夢は、あの話は。

そういう事じゃ、ないだろう。

「要は俺が…やるかやらないかだ…」

才能がどうとか、関係無い。
例えボロボロになっても、大切なものを壊されても、本当に欲しいものなら汚くなっても縋り付かなければいけないのだ。
綺麗なままで、欲しいものは手に入らない。まだ、俺の体は、綺麗なままじゃないか。

今の状況をぶっ壊したいなら。



『分かってんじゃん。…つまんないの』


ハッ、といきなり聞こえた声に辺りを見回す。
周りにいる人達は皆それぞれ練習や、遊びに勤しんでいる。俺達の方を見ている人もいなければ、声をかけた人らしいのもいない。それでも、首を視線を動かして探し続ける。
そんな及川は呆然と俺を見ていたが、俺は構わずグラウンドの外に視線を向ける。フェンス越しに部活動を見ている人は何人かいたが、そこに俺が探している人影はいない。
本当に、それが探している人物かどうかは分からないというのに。俺は、フェンスに駆け寄り緑の格子を掴みながら、何度も首を動かした。





聞き間違いじゃない。
空耳でもない。


あれは。







葉桜が靡く音の陰で、あの喪服姿を見た様な気がした。


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -