体育の教師が貧血で倒れるなんてあるのか。と思ったが、どうやら目の前の光景を見るに有り得る事らしい。
合同体育中だった事もあり、一年生の担当をしていたゴリラ顔の体育教師が、俺達三年生を担当していた女性教師に肩を貸す。ゴリラは一年の委員長らしき奴に何か指示を出すと、そのまま「今日三年生は自習だ」と宣言して、保健室へうちの教師を連れて行った。
「あの二人絶対デキてるだろ」と冷やかしを含めた黄色い声が男女両方できゃっきゃと飛び交う。倉橋が俺に意見を求めてきたが欠伸一つで無視を決め込み、さっさと壁際に移動して腰を下ろす。

「佐治ー、バレーしねーの?」
「しねェ。眠い」

うっかり夜更かしが過ぎて朝から眠くて仕方ないのだ。
朝練は無事にこなせたが、今日一日の授業の内容は頭にもノートにも全く入っていない。
この時期の三年生の授業なんて形だけのものだから別にいいのだが、この眠気を夕方の部活に持っていく事だけは避けたい。寝れる時は寝る。
目を閉じたまま「ボール飛ばしてくんなよ」としつこい倉橋を追い返していると、倉橋の声が聞こえる方とは全く違う所からボールが飛んできた。
大きな音を立てて俺の脇腹にめり込んだボール。騒ぐ程大した痛みは無かったが、いきなりの衝撃にそのまま座った状態で勢いよく真横に倒れた。

「佐治!」

脇腹をさすりながら床を転がるボールを見れば、それはバスケットボールだった。
飛んできた方向を見ると、三年生と一年生を仕切っていたカーテンネットの端が開いている。
あのゴリラが開け放しにして行ったのだろう。おかげでバスケをしていた一年生のボールが壁を跳ね返り、寝ようとしていた俺にぶつかってきた。

「すいません!大丈夫ですか!?」

あのゴリラ…と怒りの矛先をゴリラにぶつけていると、ネットの向こう側から聞き慣れた声が聞こえた。
顔を上げもう一度ネットの方を見れば、見慣れた顔が驚いた様子で俺を見下ろしていた。他の一年生がうろたえている中、早足で駆け寄ってきたそいつを見ながら、のろのろ体を起こす。

「佐治さん?」
「…吏人?」

お互いをお互いと確認するように、疑問形で名前を呼ぶ。
長袖でも寒い時期にだと言うのに、Tシャツの上にオレンジ色のゼッケンを被った吏人は額にうっすらと汗をかいている。
「何してるんスか」と吏人の言葉に「寝てた」と答える。本当は寝る前だったのだがまあどっちにしろ違いは無いだろう。

「勿体無いスよ」
「あ?…何が」
「授業しなくていいのに」

そう言った吏人の言葉に、夏休み前に起こったあの悪夢を思い出す。冬休みはもうすぐで期末テストもそうだが、コイツちゃんとノート位は取って置いているのだろうか。

「佐治よーいいからやろうぜー。皆で昼メシ賭けてバレー対決」
「嫌だ。俺は眠い」

そう言って頑なに拒否する俺を吏人はじっと見つめる。
何だと思い目を合わせて見ると、床に転がったままのバスケットボールをゆっくり拾いあげ、そのまま至近距離で強めのパスを渡された。条件反射で受け止めるが、ばしりと音を立てて受け止めた手はびりびりと痺れた痛みを滲ませる。勿論、頭の方はこの状況に全く着いていけてなかった。

「な…に…」
「佐治さん」
「は…?」
「俺とバスケ勝負しましょうよ」

そう言った吏人の顔は真剣で、何言ってんだお前という言葉もつい引っ込んだ。

「負けた方は勝った方に昼メシ奢りで」
「んだそれ。だからやる気ねェよ…眠いんだよこっちは」
「逃げるんスか?」

吏人の言葉に、思わず肩がぴくりと反応する。不敵に笑う吏人の表情はこれ以上ない程に挑発的であり、「負ける前に放棄するんスね。ふーん」と言い捨ててネットの向こうに戻ろうとする吏人の足を思い切り掴んだ。
驚いたように吏人が振り向く。

「てめェ今…何て言った?」
「なんスか?」
「…ッ!上等だ。勝負してやるよ!」

吏人の足から手を離し、勢いよく立ち上がる。「マジかよ佐治」と言う倉橋に月村達呼んでこいと強制命令をかけると、呆れながらも楽しそうな表情で三年生達の方に駆けて行った。
吏人を止める様な声がネットの向こうから聞こえてきたが、もう今更遅い。勝負しないと気が済まない。

「俺が勝ったら焼きそばパン買ってこいよ」
「そんなんじゃ部活までもちませんよ。…食堂で新メニュー出たんスよね。食いに行きません?」

「面白ェ」と睨み合う俺達を三年生は面白そうに、一年生は不安そうに見つめる。
体育館中の生徒に勝負の話が伝わりきった所で、三時限目終了のチャイムが鳴り響いた。





四時限目まで五分間の休憩。

「4対4のゲームで、どちらかのチームが一本でもゴール決めたら勝ちだ」
「なー佐治よー。俺達は昼メシ賭けねェの?」
「別にいいスよ俺は。佐治さんか俺、負けた方が全員奢るでも」

「悪ィッスね。佐治さん」と挑発する吏人にビキリと青筋が立つ。コイツ、完全に勝つ気でいる。

「…いいぞ。何ならそこの一年坊主の分も奢るか?」

声をかけると、吏人のチームの一年生達は全員慌てて首を振った。
休憩が終わる頃には結局、勝負の結果は俺と吏人だけ負けた方が勝った方に奢るという話に落ち着いた。
「お前らはいいのかよ」と倉橋、月村、森川に聞けば、全員笑顔で断った。

「俺達、どっちが勝つか賭けて決めるから」
「んだそれ!」
「今の所吏人の方が票高いかな」
「何で俺に入れてねェんだよ!」

騒ぐ俺に「もういいスかねー始めて」と呆れた声がかかる。
チッ、と舌打ちして持っていたバスケットボールを何回かドリブルしてから吏人にパスする。吏人は審判役の一年生にボールを渡し、お互い配置に移動し終わった後、試合開始のホイッスルが鳴った。

真上に投げられたボールを奪い取ったのは、吏人が最初だった。床に着地した瞬間叩き落とそうとしたがうまくかわされてしまい、吏人の靴底からギャキュッ!とゴムの擦れる音が響く。
瞬きもしていないのに、吏人は一瞬で視界から消える。振り返れば既にゴールを守っている三人の所まで走っており、たった一人で防御を突破しそうだった。

「くそッ!」

月村の不意打ちに油断した所で、後ろからボールをカットする。一年生共はスピードの速さについていけないのかあっさりと抜けてしまい、そのままゴールへ向かってボールを投げる。
いけるか。と思った瞬間、飛び上がった吏人が空中でボールを掴み、リバウンドに成功する。
まるで瞬間移動したかの様なスピードに驚いたが、よくよく考えればバスケのコートはサッカーに比べると大分狭いのだ。単純に考えても、吏人の切り返しがあればコートの端から端まで数秒もかからないだろう。
慌てて吏人の前に立ち塞がるが、フェイントに見事に引っ掛かりまた抜かれてしまう。

そんな繰り返しを短い時間の内に、何度も繰り返す。今の所ギリギリでボールは奪い返せるが、この攻防も時間の問題だろう。Tシャツから覗く腕が、先程まで鳥肌を立てていたのにじわりと汗をかきはじめた。

「どうしました?佐治さん」
「く…そ…っ!」
「焼きそばパンより学食がよくなりました?」

ニヤリと笑って、俺が持ったボールを弾き飛ばす。勢い余ってラインを割ったが、先程からあっさりと奪われてしまっているのだ。こっちのボールでも、持っているのは何秒の間か。
本当に昼メシはパンではなく新メニューになるのでは無いかと思いはじめたところで、喝を入れる為頬を強めに自分で叩いた。

諦めてたまるか。吏人なんかに。

倉橋がライン外に出て、審判が取りに行ったボールを受け取る。
パスは確実に俺にくるだろうが、それは吏人も予想内だろう。さて、どうするか。
ハッキリ言ってしまえば、バスケでは吏人の"ライトウイング"に敵う気が全くしない。瞬間移動の様な切り返しと瞬発力は、狭いフィールドの中ではかなりの脅威だ。
対して俺の方は吏人を防ぐ術が見つからない。攻撃の時ならまだいいのだが、いざ防御の時になると全くと言っていい程役に立たなくなる。
大体吏人とは春からの付き合いなのだ。俺のサッカースタイルを考えれば、吏人には俺がどう防いだり攻めたりするかが丸分かりなんだろう。現に、カットが出来たのは不意打ちを狙った時だけだ。
ならどうすれば。
そこまで考えた所で、ある仮説が頭の中で閃いた。



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