空に飛ぶボールをただ見つめていた。
青い空の中で一つ、白黒のそれは慣性にまかせて孤を描くとぼとん。と鈍い音をさせて俺の足にぶつかってきた。
動かない頭と違い反射的に足はそのままボールをキープし、三人がかりで奪おうと向かってくる先輩達を切り返し抜いていく。そこまで出てしまえば後はディフェンダー一人とゴールキーパーだけで、フェイントを混ぜながらボールを足の上で運んで最後の一人を抜いた。
どこかから誰かの声が聞こえた気がしたが、構わずにそのまま全力でシュートを決める。
完全に見ていない方向に向けたボールの軌道。なのに軌道の先にはそこに飛び込んだ新里さんの姿があって、鈍い音と共に俺のシュートは止められてしまった。
その瞬間、大きなホイッスル音がグラウンドに響いた。
ハッ。と我に返った時には、既にゲームは終了した後だった。

「おい吏人ォッ!!」

聞き慣れた怒声のする方を向けば、ぐいっと胸倉を掴まれ「お前俺の声聞こえてねェのか!」と物凄い形相で睨みつけられた。

「まぁまぁ佐治。落ち着けって」
「あのなァ、今日だけで三回目だぞ!冬の大会も近いってのに、コイツ気ィ抜けすぎなんだよ!!」

三回。そんなに、だっただろうか。
ぼんやりと佐治さんの言葉を頭の中で反芻していると、ゴツンと額をぶつけられる。「だから人の話聞け!」と再び怒鳴られ俺は首を傾げる。

「聞いてましたよ」
「じゃあ今俺なんて言った?」
「気、抜けてるって」
「その次」
「…………」

殴り掛かりそうになった佐治さんを、倉橋さん達が押さえつける。「佐治がキレた」と四人掛かりで押さえつけられる佐治さんを見ても、なんだか遠い場所で行われているような気分になり、そこで漸く自分が呆けている事に気が付いた。

「…吏人くん。具合悪いの?」
「…いや」

寧ろ体は頗る健康で、逆に運動をしていなければ物足りない位だ。及川が心配そうに俺を覗きこんでくるが、それに対してどうすればいいか分からない。
終いには「お前今日は帰れ」とまだ怒りが治まらない佐治さんに言われてしまった。

「佐治よーそんなカリカリすんなよ」
「うっせ。こんな状態の奴がいても部の士気が落ちるんだよ」
「まあ…吏人が最近変なのはみんな分かってるけど」

そうなのか。
及川に視線を向けると小さく頷き、知らなかったのは自分だけだったと呆然とする。

「高円宮杯で優勝して最強になってもな、ここで勝たなきゃそんなのチャラになるんだよ。分かってんのか!?」
「…分かってますよ」
「分かってんなら尚更だ!もう帰れ!気合い入れて出直して来い!」

帰れ帰れの一点張りの佐治さんを月村さん・猪狩さん・森川さんが再び押さえ、倉橋さんと及川は逃げるように俺を部室まで連れていく。
「ああなった佐治って手ェつけらんないのよ」と苦笑混じりに倉橋さんが言う。あんな姿の佐治さんなんか見た事がない及川は随分驚いた様子だったが、俺は特に感想は浮かばなかった。俺も見た事がないのに。

「それにしても吏人。本当に大丈夫か?全然顔に気力がねェけど」
「…無いッスか」
「部活中ずっとそんなんだし。前はもっとぎらついた目で、殺す気かって勢いで引っ張ってたろ」

だって先輩達気が抜けてるんスもん。
そう頭に思い浮かんでから、今の自分が正にその、気が抜けている状態だということに気が付いた。なる程、今まで引っ張りに引っ張って全員自分と同じにしたのだ。今更こっちが眠たい態度を取っていたら何か含むものも出てくるだろう。二年間苦汁を舐め続けた佐治さんなら、特に。

「…燃え尽き症候群ってやつかな?」
「…まだそんな年じゃねェぞ」
「いやいやあれって若くてもあるらしいぞ。…まあ今日はちょと色々考えとけよ」

「佐治に対する言い訳とか」と冗談を口にする倉橋さんが部室のドアを開ける。「及川、後任せた」と言うと、俺達二人を置いて倉橋さんは佐治さん達の所へ戻って行った。

「…ねえ吏人くん」
「何だ?」
「吏人くんが変になったのって…その…」

そこまで言ってから、及川がいい淀む。「何だよ」と続きを促すと、及川は少し言い辛そうに口を開いた。

「…あの人が来てから…だよね…」
「…………」





何となく、察していた。
好きなサッカーをやっているにも関わらず、心はどこか遠くの場所に行ってしまっている。
そうなったのは、確かにあのシアンが市帝に来てからの時からで、正確に言えばその夜、ユーシの家での出来事の後からだった。

シアンは今、一体どうしているのだろう。ヴェリタスにまだ居るのだろうか。
あれ以来一度も会っていないアイツがその後どうなったかを、俺は知らない。もうとっくに戦力外通知を出されたか、それともあっさり記憶を取り戻しているのか。
健太に連絡を入れれば簡単に分かる事なのに、頭の中にある11桁の番号を押す気力は、今は無い。

どっちにしろどうなったかなんて聞きたくない。
シアンの事なんて耳にもしたくないと思う位、気になる感情が億劫で仕方なかった。

「…………」
「…リヒト、君?」

だと言うのに、俺の目の前には歩道にしゃがみ込むシアンの姿があった。
身を包む深緑色のジャージは俺にも馴染みがあるヴェリタスのもので、まだ辞めていなかったのか。とほっと息を吐く。それが安堵からなのか、期待ハズレからなのか、よくは分からなかったが。

「久しぶりィ」
「…シアン」

なんでここに。
そう呟く前に、周りの風景が答えを指し示していた。
人気は全く無く、風が吹けば木枯らしの音しか聞こえない。舗装された道路の脇には歩道と、高いガードレールの先にある薄暗い谷間。
舗装されている割には街頭が殆ど存在せず、完全に暗くなってしまえば足元が見え辛くなってしまうだろう。

そんな場所に、シアンが一人。


健太に聞いていた。ここは。
シアンが落ちた場所だ。



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