「た…だいま…」
「おかえりけんた!おはよう!」

ランニングをしている間に起きたらしいリヒトが、ふらふらになった健太に駆け寄る。
起きぬけでもサッカーをやりたがるリヒトだが、健太の様子を見てその気は失せたらしい。玄関に座り込む健太の服の裾をくいくい掴んでそのまま見上げる。

「けんた?」
「………」
「…げんき、ないのか?」
「………」
「…うー…」

おろおろと慌て出したリヒトに漸く気付いたのか、健太はそっと優しく抱き上げるとリヒトの頭を同じく優しく、ゆっくり撫でた。
気持ちがいいのか、手の平に座り込むと目を閉じて堪能し始める。そのままうつらうつらと舟を漕ぎはじめ、二度寝してしまうんじゃないかと思った。

(…可愛いな)

例え何があっても、健太はリヒトを手放す事はないだろう。それこそ小さい頃から一緒にいた犬を看取った時の様に、リヒトの寿命が尽きる頃まで、健太は愛情深くリヒトを育て続けるだろう。

例え、何があってもだ。

(…うん)

頭をかくりと落とし、はっと慌てて起きるリヒトを微笑みながら見て、健太はある決意をした。




「リヒト。側を離れるちゃ駄目だよ」
「おそと!」

夕方、健太は再び公園へと向かっていた。ただし、今回はリヒトと共にである。
専用のベルト付きリードを取り付けられたリヒトはいつもより少しだけ窮屈そうだが、それでも外の世界が新鮮なのか健太の肩でわきゃわきゃとはしゃいでいる。

夕方になって父親が帰ってきた時に、健太はある相談を持ち掛けた。勿論、あの公園にいたリヒトの事だ。
一人増えてしまえばその分世話は大変になる。しかしそれでもあの翼無しになったリヒトを放っておく事が出来なかった。
最悪引き取り手を探すかも考えていたが、父親は意外にもあっさり承諾してくれた。
これまで犬や天使を献身的に世話してきた功績なのだろう。勿論世話は自己負担の範囲内だが、それも構わなかった。
あのリヒトもきっと、サッカーが好きだろう。自分がいない間一人でサッカーをやるより、二人でやる方がずっと楽しいだろう。勿論、倒れるまでやり続けるだろうから見張っていないといけないだろうが。

そう思いながら公園へ足を踏み入れ、健太は驚愕の表情を浮かべた。
そこにいたのは、数日前に来ていた保健所の人間達だった。

「あー何で俺達がここやるんだよー」
「仕方ないだろ。先輩がサボってろくに仕事やらなかったから」
「じゃあ先輩達にやらせればいいだろー…はあ…」
「いいから網構えてろって!逃げられるぞ!」

追い立てられたリヒト達が、待ち構えていた網に捕らえられる。対空対策によって、殆どのリヒトは捕らえられたが、その中で、役員の足元をすり抜けたのが一人いた。
唯一翼を使わず、自分の足だけで逃げ続ける。その服の色は深緑で、それはまだ成人を迎えていない証拠だった。
そして、その二つの要素をもつリヒトを、健太は知っていた。

「リヒト!」
「あい!」

逃げ惑うリヒトの名前を呼んだ瞬間、肩に乗っているリヒトが元気よく返事をした。
違う違う。と訂正をしている内に、補助役に回っていた役員が走り回るリヒトを捕まえる。
リヒトが一番厄介なのは、翼が生えている所だ。ただ走り回るだけなら、他の種類の天使も同じなので捕まえるのはたやすい。

「何だコイツ。翼無いのか」
「あーシアンにブチられたんじゃね?最近ここらで出てるらしいぞ」
「シアンだけは捕まえるの無理だわー。アイツたまに襲ってくるし」
「それより向こうのクルスはもう終わったのか?」
「終わった終わった。リヒトに比べればクルスは早いよ」
「紙だな」
「うん、紙」

なんかどこかで聞いた事のある言葉が聞こえた気がしたが、健太にはそんな事心底どうでもよかった。
それよりも、

「あ、あの!」
「ん?」

声をかけてきた健太の顔を、役員は見るやいなや、真っ青に青ざめる。
健太自身普通の顔をしていると思っているのだろうが、すでに役員に捕まえられた後では余裕も何も無くなっているのだろう。声こそ冷静だが、その表情は大分引き攣っている。
分かり易く言ってしまえば、「アレ絶対人殺ってるよ」だった。

「そ、そのリヒト…」
「なんだーけんたー」
「う…」
「あ、の…その…」
「う、ううう…」
「お、…俺のなんです!」
「けんた!さっかー!」

合間合間に肩でリヒトが鳴いていたが、役員には伝わったようだった。
「そ、そうか。気をつけなさい…」と摘まれたままのリヒトを、役員は健太の手の平へ乗せる。
ぶるぶると震えながらリヒトは健太を見上げる。
その瞳は、かつてペットショップで見つけた時の瞳で、網の中から見ていた天使の瞳で、健太に遊んでもらい喜ぶリヒトの瞳で、タイヤの上に乗せた涙目の瞳だった。

「…も…」
「…うー…けんた…」

真っ直ぐ見つめる瞳は純粋そのままで、健太の瞳から、自然と溢れる様に涙が流れた。

「…もう、離さないからな…!!」

優しく抱きしめると、涙目のリヒトは驚き、それでもおずおずと健太の服をきゅっと握った。

肩に乗っているリヒトだけが、訳が分からずにずっと首を傾げていた。




「と言う訳なんだ」
「ふーん。リヒト二人も飼ってるなんて変な気してたけど…」

「なるほどな」と吏人は自分の両手に乗る二人のリヒトを見つめる。
分かりやすく見分けをつける為、大きくなった後も深緑のユニフォームを着たままのリヒトと、最初から健太の家にいたリヒト。こちらは橙と紫のユニフォームを着ていた。

「なあコイツ。もう翼生えねーの?」
「多分…ブチられた翼も持ってかれたし」
「でも先輩で、ブチられたリヒトの翼生えた人いたぞ」
「!ほ、本当か?」
「俺が嘘ついたこと、あるか?」

どうだっただろうか。と少し悩んでいる間に「2秒で返せよ」と肩をぶつけられる。

「今日は練習無いけどな。…電話して聞いてみるか?」
「あ、いやそれは悪いよ。それに…」

吏人の手の平を一人は飛び立ち、一人は飛び降りて吏人と健太から離れる。
二人が向かった先には、吏人が育てたケンタとクルスが待ちくたびれたように座っていた。

「今日は、友達が来てるし」
「はは。…まあ、そうだな」

「翼なんか無くても、サッカー出来るしな」と笑う吏人は、今度はじっと健太の方を見つめる。
その真っ直ぐ過ぎる瞳には、まるで吏人の翼の様な光が写っており、健太は次の言葉を予想しながらも「何?」と尋ねた。

「サッカーしてェ」

「近くに、天使もサッカーできる所出来たんだよ」と呟いた吏人の頭の中は明白で、今日はデニムでなくジャージで家に遊びに来た理由も何となく分かった。天使以上に、頭の中がサッカーなんじゃないかと思ってしまい、つい面白くて小さく吹き出してしまった。

「…行く?」
「行くっ」

ぱあっ、と表情が一気に明るくなった吏人は、意気揚々とクルスとケンタを呼んだ。健太も、外出用のケージを用意しながら二人のリヒトを呼ぶ。

「あ、やっぱり皆呼ぶか?」
「じゃあ、来栖さん達にも声かけようか?」
「シアンがきたら面白そうだな」

嬉しそうに笑いながら、吏人は「電話借りるな」と玄関に向かう。
まだ携帯買ってないんだな。と思いながらその後ろ姿を見送ると、健太もポケットから携帯電話を取り出した。

「けんた」
「ん?」
「どこ、いくんだ?」

二人のリヒトが見つめながら、健太にそう尋ねる。
健太は折り畳み式のそれを開くと、「サッカー出来る所」と短く答えた。

二人のリヒトは見つめ合うと、先程の吏人の様に嬉しそうにはしゃぎだした。
その瞳にも、まるで翼の様な光が微かに写りこんでいた。


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