「エプロン、渡せ」

そう言われて、まだユーシにエプロンを返していない事に気付く。
俺は解きかけていた紐を外して、手を伸ばしているユーシにそれを渡す。
ユーシはそれを受け取ると、返す手でいきなりぺちんと額を軽く叩く。驚く俺を余所に、ユーシは呆れた表情で俺を見る。

「赤くなって酷いぞ。ちゃんと顔洗ったのか?」

そう言われ、まだひりひりする目元を指で触れる。
言われた通り、今の俺は随分酷い顔だろう。
シアンに誘われるままユーシの家に来てしまったが、まさかユーシの家に泊まる事になるとは思わなかった。そんなにもだったろうかと思うが、ユーシの家に泊まると言うのは悪い気がしなかったから渋々ながらも承諾してしまった。
親に泣いた顔なんて恥ずかしくて見せれたもんじゃないし。それに、

「そんじゃ俺、シアン送ってくるからな。風呂入って寛いでろよ」

そう言って上ジャージを羽織り、テーブルに畳んだエプロンを置いて外に出る準備をする。
あれ以来皆、シアンを一人で歩かせるのは禁止しているらしいが、あんな事があってからだと気まずくて仕方がない。
だからと言って一人で帰らせるのも危険だし、全快もしていない内から外泊なんてしてたらユーシがシアンの両親に咎められる。
と言う訳で、ユーシがシアンを送っていくと言う苦肉の策になってしまった。

「ユーシ…ごめん」
「んー?ああいいって、気にすんなよ」
「……………」
「何だよお前らしくねェなあ」

頭をわしゃわしゃと撫でられ、いいから留守番してろ。と優しい声が頭の上から降ってくる。
そう言われると俺は何も言えず、シアンが準備を済ませてリビングに戻ってくると手は離れた。
ユーシは行ってくる。と言ってシアンと一緒に玄関の方へ向かい、暫くしてバタンと大きな音が聞こえた後、静寂が部屋の中に満ちはじめた。

「………………」

シアンに、別れの言葉を一言も言ってない。
シアンも俺に顔を向けたけど、何も言わずにじっと顔を見る俺を見つめた後、同じく何も言わずに帰ってしまった。
その表情は、よく分からない。

「………何、やってんだ俺」

あんな風に泣いて。
俺は、昔のシアンに戻って欲しいと思ったのか。

戸畑少年サッカー団を壊し、ユーシを壊し、市帝の皆まで壊そうとしたシアンに。
それでもあの試合で、どこか分かり合えた気がしたシアンに。

あのままだったら、いつか昔の様に、本当に最初の頃みたいに一緒にサッカーを楽しめたんじゃないかと、思っていたのに。

静寂の中、先程ユーシに叩かれた額を掴み、俺は一人歯を食いしばった。



*



休憩時間の時だった。
バシン。と少し強めに飛ばされたボールがシアンさんの足に当たった。シアンさんは驚いたのか、飲んでいたスポーツドリンクを手から滑らせ地面に落としてしまう。

「あ…」

すっかり空になっていたようで中身は出なかったが、シアンさんは暫く落としたボトルを見つめて、その後自分の足に当たったボールを見る。
交互に見て、ボールが飛んできた方向をゆっくり見ると、飛ばしたらしい張本人が急ぐでもなくこちらに向かってきていた。

「シアンさーん。すいませんちょっとイイスか?」

にっこりと笑いながら近付いてくる来栖さん。
シアンさんはそれを見て笑うでもなく怒るでもなくじっとその表情を見ているだけだ。

「勝負しません?今日も。サッカー勝負」

周りの空気が明らかに不快な物になるのを感じた。
そんな事を余所に来栖さんはシアンさんに笑顔を向け続け、シアンさんはボトルの代わりにボールを手に取り、今度はボールと来栖さんの顔を交互に見る。

「…………いーよォー」

暫くの沈黙の後、シアンさんは口元だけ笑顔を作りそう答えた。その笑顔は、本当に笑っているのか愛想笑いなのか今一よく分からない。
昔からそんな人だったが、今も相変わらずそんな表情をするのかと思う。本当に、記憶喪失とは思えない位の適応性だ。
俺は始終見ていた周りの重い空気に今更乗る事は無い。
しかし二人に関わる事もなく、ただ俺はじっと、裏がありそうな笑顔を作る二人を見つめ続けていた。


来栖さんがこんな事を言い始めたのが数日前。シアンさんがある程度サッカーが出来始めてきた時の事だ。

『ルールは先に一回でも、ゴール出来た方が勝ち。簡単でしょ?』
『…来栖君ってヴェリタスユースのスタメンでしょ?俺が勝てると思えないんだけど?』
『大丈夫ですよ。ハンデで俺は10分間、ゴール出来ない様にします。範囲もペナルティエリア内だけですから、逃げて時間を稼ぐ事もしませんよ』

勝負と言っても罰ゲームも何も無い。ただ勝ち負けを決めるだけのものだ。ただ、状況が状況だ。
一回目の勝負では、シアンさんは一度もボールに触れる事なく負けてしまった。
数えていないから何回目なのかは分からないが、このやり取りは練習がある日はほぼ毎日行われている。
最初は大目に見られていた来栖さんも、今ではシアンさんに近付くだけで周りの痛い視線を向けられている。


「―で、今日も同じルールでいいの?」
「お好きな様に。別にシアンさんが嫌ならハンデ、外しますけど」
「あはは〜それは勘弁」

コートに入った二人はそんな会話をしながら、ゴールの前で向かい合う。
シアンさんは足元に転がるボールを蹴り上げ、足、膝、頭と器用にリフティングする。
退院したばかりの頃とは大違いで、やはりそれも天才の成せる業なのだろうか。
頭の上でとんとん、とボールを跳ねさせ、大きく上に跳ね上げると、そのまま両手でキャッチする。

「お見事です」
「お世辞はいいよ。こんなの来栖君に比べたら遊びみたいなもんでしょ?」
「いえいえ。お世辞なんて!」

シアンさんが投げたボールは小さく孤を描くと、そのまま脚を上げた来栖さんの膝の上に乗る。軽く一度蹴り上げると、ボールは二人の間に綺麗に落ちて行った。



「―来栖。どういうつもりなんだろうな…」
「あいつ、あんな性格だったっけ?」

背中越しに先輩達の声が聞こえてくる。
始めの頃は来栖さんなりのスキンシップかと周りは考えてたみたいだが、回数が重なれば重なる程それは疑わしい物に変わる。
何せ始めの頃から、来栖さんはシアンさんに対して一回も手加減などしていない。

「ほらほら。シアンさんどうしました?」

今日も、必死にボールを奪おうと食い尽くシアンさんだが、一度も触る事すらできていない。
最初の競り合いでボールを奪われた後は、10分以上遊ばれた後来栖さんがシュートして終了する。いつものパターンだ。

「くっ…!」

無理矢理奪いにかかったが、勢いがあり過ぎた体はそのまま地面に叩きつけられる。
昔に比べてみるとそれは酷い醜態で、今のシアンさんがどれだけ昔と違うか見て伺える。
それでも立ち上がり、シアンさんはボールに向かっていく。
と。

「ッ!?」

勢いよく走ろうとした脚が縺れ、シアンさんはそのまま来栖さんの前に受け身も取れず倒れる。
流石に来栖さんも驚き、ボールをそのまま地面で止め「大丈夫ですか!?」とシアンさんに駆け寄る。
俺も慌てて駆け寄ろうとしたが、その瞬間シアンさんは弾かれる様に立ち上がり、フリーになったボールへ飛び付く。
バランスを崩しながらもそのままシュートを決めようと足を振りかぶる。
ボールにスパイクシューズが当たるか当たらないかの所で、それを阻むように来栖さんの足がボールの前に出される。
勢いよく蹴られた衝撃と、同時に防がれた衝撃。それを相殺しきれなかったボールは一度大きく真上に浮き、一瞬だけ早かった来栖さんのヘディングで遠くに投げ出された。



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