転んだ事などない。
綺麗な自分の膝小僧は一度も傷付いた事などなく、真っ白い姿のまま見つめる視界の中に入ってくる。
別に今まで気にした事など無かった。転んだって怪我するし汚れるしろくな事が無いと思うし。
そんな事を考え出す様になったのは、あの後輩の膝の擦り傷を見てからだった。


「ほら濡れタオル。これで押さえてろ」
「ありがとうございます」
「今救急箱持ってくるから。動いたりすんなよ」

救急箱を持って急ぐでもなくベンチまで辿りつくと、チーム内で一番騒がしい奴の声と一番物静かな奴の声が耳に届いた。
二人の声には慌てる様子は特に無く、慣れたものなのか来栖は自分の使っていなかったタオルを濡らして渡し、健太はそれを真っ赤に染まった膝に押し付け止血をしている。
既に脱いでベンチに置いているソックスやガードは真っ赤に染まっており、来栖がタオルを濡らしてくるまでに伝ってしまった血の筋が、膝から足の指先まで何本も通っていた。
端から見れば大怪我だ。しかし来栖も健太も、少しも慌てる様子が無い。周りの反応と比べると落差が大きすぎて少し面白く思う。

「持ってきたよ」
「あ、ありが…ってシアンさんッ!?」
「何、俺だと驚くの?」

いやそんな事はと慌てて言い繕う姿を見て、さっきまでの平静さはどこ行ったと口元が歪む。
健太は健太で騒ぎはしないもののやはり少し驚いている様子で俺を見上げる。
いつも見下ろされてる奴に見上げられるなんて変なの。と思いながら俺は血まみれのソックスとガードを端に投げ、空いた隣に座った。
膝見せて。と救急箱を開きながら言うと、健太は少し躊躇した後にタオルを膝から上げる。
クラブから支給されたユニフォームと同じ色のタオル。真っ赤な血を吸い上げてすっかり真っ黒に染まりきったそれを見てから、まだ鮮血が流れる傷口を見た。

「まだ止まってないんだ」
「はい」
「…これ大丈夫なわけ?」

表面だけ酸化してどろりとゼリー状になった血の上に、新品のオキシドールをばしゃりと容赦なくかける。
健太は驚いて、痛みに少しだけ眉を潜めたが声は出さなかった。

「見た目が酷いだけです。サッカーには影響ありません」
「ふーん…分かるもんなの?そういうのって」
「まあ」

何度も怪我してるんで。と健太は続ける。
それにしても周りの反応は酷いものだった。

ヒートアップしていたのもあるのだろうが、ファウルの際に膝が足にぶつかったのかそれとも転び方が良くなかったのか、コートの青草が赤に濡れてしまう程の大怪我に、殆どの奴らが慌てきっていたものだ。
当然練習は中断し、健太と競り合った奴は土下座しそうな勢いで謝罪を繰り返していて、少し遠めに見ていた俺はなんだか変な状況についくすりと笑ってしまった。
少し輪から外れていたせいでコーチの目に入り救急箱を取って来てくれと頼まれたのは誤算だったが、こうやって間近で傷口を見れたからいいとする。

脱脂綿で余分な血を吸い上げると、水で洗っただけでは取れなかった小石が一つ、膝の中に埋まっていた。
救急箱の中にピンセットは無かったか。と探し、見つけたそれを掴み出す。

「動くなよ」
「し、シアンさん何を…」

来栖の声を耳に流しながら、じわりと滲むそこにピンセットを突き立てる。いや、中の小石を取ろうとしたのだが結果的にそうなってしまった。
ぐり。とえぐりピンセットを離すと、真っ赤な小さい小石がピンセットの先に挟まれていた。
ぽとりと石を地面に落とすと、空いた穴からまたどろりと出てきた赤に再び消毒液をぶちまける。

「はい」

そこまでやってから、俺は来栖に救急箱を渡した。
え。と言う来栖に「俺応急処置とかわかんないし」と答えると、来栖の顔は更に混乱に歪んだ。

「お前手慣れてそうじゃん」
「い、や…!確かに慣れてはいますけど…」
「じゃあやれよ」

来栖はまだぐるぐると目を回していたが、健太のまだ酷い状態の傷を見て、すぐに応急処置に取り掛かり始めた。
俺はそれを見ながら、無事な方の膝小僧も見つめる。
真っさらに見えるそれは、よくよく見れば大なり小なり小さな傷痕が多くついている。日焼けした肌だから全然目立たないが。

「珍しいですか」

声をかけてきた健太に、うん。と素直に答える。

「あんま怪我って見た事ないかも」
「俺はあんまり珍しくないです」
「よく怪我するわけ?」
「…昔は」

曰く人よりも成長が早かったが、体の成長にバランス感覚がついて行かず、小さい頃はよく転んで怪我をする子供だったらしい。
今は殆ど擦りむいて怪我などしないらしいが。成る程目立たない傷痕は年月のせいもあるのか。

「来栖は?」
「まあ…昔からサッカーやってましたし」

そう言う来栖の膝には青痣がついていた。
そういえばよく膝や肘に絆創膏を貼っているのも見た事がある。

反対に自分の膝を見てみると、怪我をした事がない膝は綺麗に真っ白なままで。思い返して見れば確かに怪我など殆どした事が無かった。

擦り傷だけでなく、切り傷も、火傷も、打ち身も、全部。

何でもそつなくこなせる自分には失敗なんて忘れる位少ないもので、失敗に伴う怪我も皆無だった。

「ねぇ。痛くないの」
「痛いですよ」

そう言う健太の顔はいつも通りの表情で、全然痛みを感じていない様だった。
痛みに歪んだ顔を見るのが好きな自分にとっては、あまり面白くない。

「慣れてますんで」
「痛いのって慣れるもんなの?」
「…まあ、そう、ですかね」
「来栖は?」
「へ?」

いきなり振られるとは思わなかったらしい来栖は、間抜けな顔をこっちに向けて、傷口をガーゼで押さえている手を止める。

「そうっすね…まあ何度もやってると。痛いのは痛いですけど」
「どんなに痛くても?」
「そんなもんすよ。子供だって、いつまでも転んで泣いているわけじゃないですか」

痛みはいつか慣れるもの。
そんなものなのか。と考えるとふいに心臓の裏側辺りで、じりと焼ける様な熱さを感じた。
はて。と感じ胸に手を当ててみるが、既に熱さはどこかに消えてしまっている。
よく分からず首を捻ると、応急処置が終わったのか来栖は仕上げに包帯を健太の膝に巻いていく。
あれだけ真っ赤に染まっていた脚は綺麗に拭かれ、治療された膝は真っ白な布に隠されてしまっていた。

「立てるか?医務室行って今日はもう帰れ」
「……………」

来栖にそう指示されると、健太は不満そうに口をへの字に曲げる。
それは遊び足りない子供が無理矢理家に引っ張られているような表情で。現にまだ練習と言うか、サッカーをしたいのだろう。これ位平気だ。と不満がありありと顔に書かれている。

「いいか、帰れよ。病院行って大丈夫か分かるまで練習出さねェからな!」
「…………はい」

来栖にそんな権限があったかと思うが、まあ大方コーチにでも言い付けるつもりなのだろう。
あの世話焼きの事だ。選手の管理は過保護な母親レベルだろう。

そう考えていると、遠くからコーチの声が聞こえた。三人共声の方を向いて見ると、上着を脱いだコーチがこっちに向かって走ってきていた。

「今泉、怪我は大丈夫か?」
「はい。お二人が処置してくれたので」
「そうか…歩けるか?車出したから今から病院向かうぞ」

その言葉に、ぎょっと健太は顔を引き攣らせた。
慌てて遠慮するが、自分達は日本サッカーを担っているチームの、更にスタメンなのだ。コーチの過保護がこれで止まる訳などない。
結局コーチに押されて健太が折れると、来栖が手を貸して健太を立ち上がらせた。
健太は普通に歩いているが、やはり話通り痛みはあるのかひょこひょこと少し歩き方に不自然さがある。
健太はありがとうございます。と律儀に深々礼をすると。コーチと車に向かおうとする。

「…コーチィー、俺も一緒に行きたいDeathぅ」

はいと手を挙げてそう言うと、コーチは、はあ!?と驚いて俺に振り向いた。

「駄目に決まってるだろ。お前、スタメンだぞっ?」
「健太だってスタメンDeathよ?」
「今泉は怪我してるから…」
「どうせ今日はもう自主練の流れでしょ?俺自主練かったるいし健太心配だから見にいく」

心にもない事を言ってコーチに詰め寄ると、来栖が追い撃ちをかける様に口を開いた。

「お、俺も行きたいです!」
「来栖ぅ!?お前まで…」
「だってもうすぐ試合ですし!ま、守りがこんなんじゃチームに乱れが出るっていうかッ!」

素直に心配だからついて行きたいと言えばいいのに。来栖の言葉に吹き出しそうになりながら詰め寄っていく。

「コーチ。俺からも」
「今泉…」
「…一人は不安ですし」

明らかに方便だし、その顔で何が不安だと思ったが、その一言でコーチは折れたらしく。ついでに今泉の荷物も取ってきてくれと指示が出された。

「すぐに戻ります!」

意気揚々と更衣室に向かう来栖を追いかけながら、俺はもう一度自分の膝小僧を見てみた。

やはりそこには変わらない、真っ白で怪我一つない肌があるだけだった。


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