勢いよく開いた蛇口から排水溝へ、ごぼりごぼりと泡を立てながら濁った水は流れていく。
なるべくそれを見ないように視線を空中にさ迷わせていたが、自分の口の中、喉の奥から臭ってくる悪臭に治まりかけていた嘔吐感が再び込み上げてくる。
一度出してしまえばストッパーなんてあるはずも無く、あっさりとまだ残っていた胃の中身を洗面台にぶちまけた。
余りの辛さに顔中の穴という穴から見苦しい物が出てしまっているのだが、ここは自分の家だし今は自分一人しか家にいないので気にする必要も無い。が、流石に鏡に視線をやるのだけは避けた。

「ゔぇ…げ、げ…」

喉の奥にまだ残っている違和感。無理矢理吐き出そうとえずいてみたがどうやら吐き出す物は全て吐き出されてしまったらしい。
力が入らない腕を伸ばして、自分の歯ブラシが入ったカップを手に取る。
うがいをして、散々汚れた歯をガシガシと磨く。それでも喉の奥の違和感は消えなかったから、水ごとそれは飲み下した。

吐いて、排水溝に引っ掛かった残骸の中に半分溶けた白い錠剤を見つける。
意味ねぇじゃん。と考えたが半分は溶けているのだから半分は効いているだろう。前向きに考えて口の周りをよく洗い拭うと、ふらふらとした足どりで俺は寝室に戻っていった。



部屋に戻ると、ノイズ音の様な音が静かに響いている。窓から外を見れば、朝から降り続いている雨はまだ止んでいないようだった。
力尽きた様にベットに寝転ぶと、チカチカと着信を知らせているケータイが目に入ってくる。
どうせお馴染みのメンバーだろ。と予想して開いてみたら、着信数は軽く2桁。嘘だろ。と思いメール画面を開けば、クラスメートやサッカー部のメンバーそれぞれからメールが送られてきている。
特にサッカー部。全員から連絡が着ていて、1件だけあった留守電を開けば、生意気だが憎めないあの後輩の名前が目の前に飛び出てきた。

迂闊にも、目頭が熱くなった。
風邪引いてるせいだ。と自分で自分に言い訳をしながら、緩んだ表情を整えもせず全員の内容をじっくり読んでいく。まあじっくりと言う程、長い文章でもないから大して時間はかからないのだが。
その中に一人だけ。畏まった長い文章で送ってきている奴がいた。

差出人名を見れば、及川累次と四文字の名前が表示されている。

ガチガチに緊張しているのが見て取れる文章を左から右に流し見ながら、そう言えば一度も及川と連絡を取り合った事がない事に気が付いた。
部活の連絡はいつも吏人からだし、普段からお互いだけでの雑談も少ないのにメールを送ってまで話をする理由が無いから。ふるいにかけられた後、万が一の為に全員とアドレス交換はしていたのだが、これと言って用は無いのに連絡する奴なんて片手で数えれる位のものだ。
だから違和感なんてないのだが。

「………………」

口の中にまだ残った何とも言えない味に顔をしかめつつ、ほぼ毎日会っている後輩のメールを睨みつける。
毎日会っていると言うのに、どこか他人行儀でよそよそしい。だが形で心配しているのではなく、こう言う時の言葉が上手く思い着かない様な、腫れ物と言うか、硝子細工にとにかく大切に大切に触れるような。

全く頭に入ってこないそれに段々と苛々してきて、俺は電源ボタンを一度押すとアドレス帳のマークが入ったボタンを間髪入れず叩く。
50音順に並べられたそれはすぐに名前に追いついてしまって、勢いのまま俺は表示された電話番号に発信した。
片耳は呼び出し音。片耳は窓から流れるノイズ音を聴きながら目を閉じて息を吐く。
どちらも暫く、規則的に耳に響いてきていたが、やがて受話器から流れる音が機械的な声に変わる。
留守電に繋がる前に通話を終了させると、ぼすりとケータイごとシーツに頭を埋める。

何だか頭がボーッとする。

吐き気だけだったのに熱まで出てきたのかと頭の隅でぼんやりと考える。
喉の渇きにも今更気付いたが、そんな気力が湧かない。だが体が重いこの倦怠感のままがいいかと言えばそうでもない。
暫くの間窓の外と脳みその中だけが五月蝿かったが、覚悟を決めて腕を立て重い体を起き上がらせる。
だるい。思わずそう呟いた。




動かない頭の中から今朝の出来事を引っ張り出す。
そうだった。今朝は珍しくお袋がスポーツドリンクも麦茶も切らしていたのだった。
朝食を摂ってすぐに嘔吐に襲われたからすっかり忘れていた。

鞄の中に入れたままだったペットボトルをちびちび飲んで夕方までもたせていたが、昼食すら吐いてしまえばいくらなんでも水分が欲しくなる。
そこまで冷蔵庫の前で考えた後、またすぐに吐き気に襲われた。もう中身なんて残っていないと思っていたが、殆ど消化されて何がなんだか分からない状態の物がシンクに落とされた。最悪だ。
口をゆすいでぐらぐらとする頭を押さえつつ、部屋に戻る。
床に転がった空のペットボトルを恨めしげに見つめた後、再びベットに倒れ込んだ。
今度はケータイを見る余裕も無い。
お袋はなるべく早く帰るとは言っていたが、急に仕事を早めて帰ってこれる訳でもないだろう。
渇いた口の中でほんの少し残っていた唾液を力無く飲み下す。
汗もろくにかけない状態の体ではそんなもの大した効果は無かったが、それでも体は水分を欲して渇きを訴える。

うるせーな。無いんだよ我慢しろ。

心の中で呟いても自分の体が分かるはず無い。
動かない体に舌打ちをすると、俺はそのまま倦怠感と嘔吐感から逃げる為目を閉じる。
まだ止まる事の無い雨の音は、俺の意識をあっさり落として雨粒を地面にたたき落とし続けていた。










……………。



真っ暗な空間に、どこか聴いた事がある音楽。
力が入らない瞼を上げれば、ちかちかと枕元で光を点滅させながら音を鳴らし続けるケータイが見える。
反射的にそれを掴み、ろくに相手も確認せずに通話ボタンを押す。もしもしと言った自分のからからの声に驚いたが、それよりも受話器越しに聞こえた声の方が俺に驚きを与えた。

『あ、佐治さんですか?』
「…及川?」

何で。と一瞬考えたが何でもクソもないだろう。
壁にかけられた時計に視線を向けると、まだ部活の終了時間には早い。休憩中に俺からの着信に気が付いたのだろう。

『すいません着信入ってたんで…佐治さん、具合良くなりましたか?』

ほらやっぱり。
心配そうなその声に一度返答を迷わせたが、動かない脳みそで何考えても仕方がないので、とりあえず口が動くままに声を出してみる事にした。

「水」
『え?』
「水、買ってこい。2リットルの。あと、なんか食い物。消化いいやつ」
『え、え?…え゙ッ!?』
「お袋、仕事でいないんだよ」

パシリか。
内心自分の言葉にツッコミを入れたくなったが、最後の言葉で及川も状況が理解できたのだろう。混乱状態に陥っていた声が止んだ。

「家は倉橋辺りに聞け。じゃあ、待ってる」

返事も待たずに電源ボタンを押した。
ケータイを閉じてシーツの上に落とすと、気持ち悪さの中にどこか満足感のようなものが込み上げてくる。

外のノイズ音はまだ止まない。部屋の蒸し暑さはだるい体から更に体力を奪っていくが、それでも俺は受話器越しに聞こえた声ににやりと口角を上げてしまう。
明るい、その小さな体に似合った少し幼い声質。いつもはもっと響く通った声なのに、それは明らかに俺一人を気遣い、心配している感情に満ちていた。
あの後輩が来るまでにどれくらい待つのだろう。
時計の時刻を見上げて、俺は遅くなった時の文句をぼんやり考えながら再び眠りに落ちた。




及川を中心にサッカー部全員が家に来たのは、部活が終わる時間よりも全然早い時刻だった。

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