「リヒト、あそこ見てみてよ」

そう言って指を指した方を見ると、そこには深い茂みがあった。
いつも練習を行うグラウンドから、少し離れた場所にある雑木林。子供が入り込まない様にフェンスで囲まれているが、手入れもされず鬱蒼と生えた雑草はフェンスの間からこちらに頭を出している。
シアンとドリブルの練習をしている内にいつの間にかこんな場所まで来てしまったが、急にシアンはボールと地面を蹴る足を止めてそう言ったのだった。

「…何だよシアン、なんかいるのか?」
「いる様に見える?リヒト」
「?」

珍しい動物か何かいるのかと目を凝らして見るが、そこにはやはり青臭いにおいを放つ雑草があるだけだ。
眉を潜めてシアンの方を見ると、シアンは指を指し、にっこりと笑顔のままそこをじっと見ている。

「シアン?」
「目、そらすなよ」
「…なあ何?あそこに何がいるんだよ」

シアンは答えないで、ずっと指を指した茂みに向かって微笑んでいる。
何度問いただしてもシアンはずっとそれを貫き、仕方なく俺は背後の茂みをもう一度見る。

そこにはやはり何も無い。先程と変わらない風景があるだけだ。

「シアン、いないよ」
「何が?」
「何がって…なんにもだよ」

背中に、暑さとは違う汗が滲んでくる。
シアンをもう一度見て、視線を元に戻す。何度見たって、そこには何もいないし、何も見えない。

でも何故か、そこをじっと見つめるのが怖くなってくる。
俺は眼を逸らす代わりに、指を指したままのシアンの腕を掴む。

「指、さすなよ」
「何で?」
「だって…指さしちゃいけないって言うだろ」
「それは人にでしょ?」

そうだけど。

「何もないんでしょ?」

そうだけど。
その問いに、何故か言葉が詰まってしまった。
押さえ込む手が、いつの間にかシアンの手に縋る様に力を込める。

フェンスからはみ出た細く長い、青々しい葉っぱがこっちに向かって手を伸ばしてきている様で、何だか気持ち悪かった。
生温い風が吹いて、カサカサ草同士で擦り合う音が不気味に響く。ゆらゆらと、枝分かれした細い茎が揺れて、それは長い首を重たそうに擡げているようだった。
遠くから、いきなりカラスの声が聞こえた。思わず体をびくりと震わせてしまう。ばくばくと五月蝿いくらい心臓が鳴り響いた。


いないよ。 いない。


   本当に?





「大人には見えないんだよ」

シアンが手を下ろし、俺に向かって呟く。
振り返ると、シアンはその金色の瞳を俺に向けていた。
それにどこか安堵しながらも、シアンの言葉がどこか気になり、つい顔を近付ける。
近付けた俺に、シアンはこつんと額を俺のそれに軽くぶつける。

「だから、ボク達だけでも見つけてあげなきゃ」

ね?と甘える様な声で、シアンは俺の答えを促した。

焦点が合わない距離にある、シアンの瞳。
底が見えないその瞳はなんだか、同じ人間とは思えない位に綺麗に見えて。先程の恐怖も入り混じって、どこか現実味を薄くさせる。

吸い込まれそうなその瞳の奥に焦点が合いそうになる直前、


「リヒト!シアン!」


遠くから声が聞こえてきて、俺はバッとシアンから離れた。
声のした方を見れば、そこには俺達に向かって歩いてくるユーシの姿。ジャージの裾を風に靡かせながら近付いてきて、こつんと先程までシアンにくっつけていた額を小突かれた。

「ユ、ユーシ」
「お前達、こんな所まで来たら危ないだろ。ほら戻った戻った」

背中を押すユーシに抵抗して、俺はジャージの裾を掴む。
ユーシはそれでも俺達の背中を押し続けていたが、俺は強く裾を引っ張り、ユーシを見上げた。

「ユーシ!」
「…どうしたんだリヒト。顔色悪いぞ」

俺の様子がおかしい事に気が付いたのか、ユーシはしゃがみ込み俺と視線の高さを合わせる。
俺は少し迷ったが、眼鏡越しに見てくる見慣れたユーシの瞳に少し安堵して、口を開く。それと同時に、ゆっくりシアンが先程まで見ていた茂みに人差し指を向ける。

「あそこ。何かいる?」

ユーシが指の先から茂みの方へ視線を動かす。
暫くの間、ユーシはそこをじっと見ていたが、やがて顎に手をそえて何か考える様に眉を寄せると、俺に視線を戻した。

「リヒト。見えるのか?」
「え?」

ユーシの言葉に、ついそんな間抜けな声を出してしまった。
真っ直ぐ見てくるユーシから、一瞬目を逸らすと、ユーシは悪戯が成功した子供の様な、そんな嫌らしい笑顔を浮かべて頭を撫でてきた。

「はっはっはっ!嘘、嘘っ!何だよ引っ掛かったかー!?」
「は、はあッ!?」
「何かいるわけないだろー?リヒトは子供だなー、お化けが怖いのか?夜中はお母さんと一緒にトイレ行くのか?」

ユーシの言葉に、黙ったままだったシアンがぷ。と笑う。
急に自分が言った事が恥ずかしくなり、頭を撫でるユーシの手を払いのけ代わりにぐしゃぐしゃとユーシの頭をもみくちゃにする。

「うわこらリヒ…痛ッ痛だだだだだだッ!!」
「この駄目カントクッ!トイレ位一人で行けるっつーの!!」

気が治まる頃には、纏められたユーシの髪はすっかり乱れ、眼鏡も位置がずれ変な風に引っ掛かっていた。
ユーシはあーあ。と呟きながら眼鏡とヘアゴムを外す。

「悪かった。悪かったリヒト、言い過ぎた」
「分かればいいんだよ」
「でもな、リヒト。あんまりそう言う事言うもんじゃないぞ」

シアンも。とユーシがシアンに視線を向けると、シアンは笑顔で分かりましたぁー。と全然反省していない声で答える。
そんな態度にユーシは頭を掻くが、髪はそのままに眼鏡をかけると腰を上げ、ぽんと俺とシアンの背中を叩いた。

「早く戻るぞ。チーム分けてミニゲームするからな」
「…うん」
「はーい」

戻りながら、俺はもう一度さっきの場所を見つめる。
そこにはやはり何もいないし、俺に何かが見える訳でもない。それでも、最初に見た時と今見ている時では、何故かそこは違う場所の様に見えてしまって、


『大人には見えないんだよ』


先程言ったシアンの言葉が、頭の中で反芻する。

ユーシに聞いたって、ユーシは見えないって言うのは分かっていた。
でも、つい、聞いてしまった。
結果は分かっていたのに、何故かそれは思った以上に安心してしまえる物で。

俺はユーシのジャージの裾に手を伸ばした。手を掴むのは恥ずかしいから、またそこをぐいと掴んだけど、ユーシはその俺の手を剥がし、自分の手に握らせる。
反対の手は油断しきっていたシアンの手を握る。シアンは抵抗していたが、やがて諦めた様にそのまま手を握られたままにしておいた。

見上げたユーシの顔は前を向いたままだったけど、暑さの中その安心する手の温もりに、俺は先程の不安が薄らいでいくのを感じていた。
ユーシの、俺より少し冷たい温度を感じながら、どこか安心してその手を握り返した。











詰まらなさそうにそれを見るシアンを、俺は知らなかった。


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