遠くから蝉の声が聴こえていた。


「おいシアン。来たぞ」

冷房が程良く効いた病室に入ると、冷風が汗を冷やし一気に体が涼しくなる。
花屋で適当に見繕って貰った花束を、眠ってるシアンの鼻元に近付ける。

「たまには花買ってきた。よく分かんねェから店員さんに選んでもらったけど、どうだ?」

返事が来ないのは分かってるが、尋ねてみる。どうせ似合わない事してるとかそんな言葉を言うんだろうが。いいんだ俺の問題だ。

「後で花変えるな。ユーシがこないだ持って来たけど、すっかり萎びたな。夏だからか?」

そう言ってとりあえずベッドに花束を置く。
椅子を引き寄せて腰を下ろすと、薄い布団から出ていた右手を左手で握る。冷房で少し、いつもより冷たくなっていたが、まあその内温かくなってくるだろう。



「Jリーグ。準決勝出場だ。お前にそれ、伝えたくて来た」

一つ上のシアンの手は、昔に比べてすっかり骨張って筋肉がついた俺の手と違い、細い、痩せ過ぎた女の手みたいになっていた。
お互い成人迎えてるのにな。と小さく呟いて、続ける。

「やっとだ。世界中のヤツと戦って、何度も負けた。監督やサッカー協会の奴らとも、何度もぶつかった。でももう負けねェ。チームには佐治さんも、万玖波さんも、健太も、皆みんないる。今年こそ勝って、ユーシのサッカーが最強だって証明する」

最強は俺達だ。
握り返さない手を強く、それでも優しく握ってそう言い切る。

「おばさんにテレビ点けてもらうよう頼んだから、ちゃんと見とけよ。分かってんのか?確認すっからな」

そこまで言ってから、子供か。と恥ずかしくなり頭を掻く。どうもまだ子供っぽい所が抜けなくて困る。
周りにはリヒトらしい。とは言われるがこっちは少し気にしているのだ。
もしシアンが起きていたら、やっぱりからかわれそうで。いやシアンならどんな時でもからかう事しか言わないか。

「…ま、見とけよ。本当は試合場来てほしいけど、無理だし」

こんな状態では外に出る事すら出来ないし、起きていたとしても人込みの中に居るのは些かキツイものがあるだろう。
俺は眠っているシアンの顔を見つめて、そう言えばシアンは夢を見ているのだろうかとふと思った。



高校を卒業して、Jリーグ入りしてからは昔に比べて中々来れなくなってしまったが、あの頃確かに、俺は夢の中でシアンを見ていた。
それでも、名前を呼んでも気付く事は無かったシアンは、もしかしたら聴こえないのではなく、最初から居なかったからなのではないかと思う。
居ないのなら、聴こえなくとも不思議では無い。
本当のシアンは、ずっとずっと、この病室で夢も見ないで眠り続けているのだ。
真っ暗闇にたった一人居るシアンは、昔の俺の空想でしかなかった。誰かを呼び続けるシアンは、俺の空想でしかなかったんじゃないか。

だって、シアンは決して一人なんかじゃない。

ユーシや、当時のヴェリタスのメンバーだって今でも見舞いに来ている。シアンの両親だって、医者に絶望的な選択を迫られた時も、待ち続けると言い切った。

皆、シアンがいつか目覚めると思っている。
皆、みんな。俺だって。

シアンの側に、ずっと居た。
シアンがいつでも戻って来れる様に、ずっと待っている。


だから、昔泣いた俺は、馬鹿だったんだ。
悲観的になって、シアンの居ない世界を考えてしまった俺は。
シアンか居ない世界なんて、どこにも無いのに。



俺が泣くのは間違っている。


もし泣くのなら、それは俺じゃない。




「ちょっと窓開けるぞ。空気悪い」

エアコンでせっかく冷えているのだが、今外からきた人間としては、この強制的に冷やされた空気が逆に気持ち悪い。
エアコンが苦手な訳じゃないんだが。そう思いながら、鍵を外し窓を開ける。
遠くの蝉の声が、更に五月蝿く部屋の中に飛び込んでくる。
真夏日だから仕方ないとは言え、耳に響くな。と思いながら窓から見える大きな桜の木を何の気無しに見つめていた。










「…リヒト?」









小さい、掠れた声が背中に触れた。





振り返って見ると、そこにあるのは真ん丸に開かれた金色の瞳。

淡い青色の髪の間から見える、金色の瞳。



―俺を、見ていた。



「…シアン?」


そう応えると、更に大きく開いたその瞳から、ほろりと涙が零れた。


表情を変えず、瞬きすらせず、首をこちらに向けたまま、シアンは涙を流し続ける。



俺はゆっくりと近寄り、シアンの痩せこけた頬に触れる。

手の平に包まれたその白い肌も、指先に伝い流れる涙も、全て温かかった。


それは確かに、生きている事を証明するものだった。



「…何で、泣いてんだよ」



笑える位、場に合わない言葉だった。


それでもシアンは、そんな俺を笑いも、からかいもしないでたった一言、







「…ないしょ」







そう、答えた。



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -