「及川。俺先に帰るな」

一足先に着替え終わった俺は、隣でまだ着替えを続ける及川にそう伝える。

「あ、うん分かったよ」
「何だよリヒト。一緒にラウンドワン行かねーの」

猪狩さんがそう言って引き留めるが、生憎気分ではない。
今日もシアンがいる病院に行って、シアンの様子を見に行かないと。
いつもいつも、今日は意識が戻ってるんじゃないかと焦りながら向かっているのだ。今日だって同じだ。

「悪いッスけど」
「いや、いつもの事だしまあいいけどさァ。今日は佐治さんだって来るんだぜ?顔くらい見せたらどうよ」

高校と大学だと、終わる時間というのは大分違ってくる。たまに様子を見にくる時はあるが、ここしばらくは大会間近と言う事で俺達も佐治さんの方も忙しく、顔を合わせる事すらなかった。
何だかんだ言っても、部活で一番世話になった先輩なのだ。会いたくないと言えば嘘になる。だが。

「…スンマセン」

流石に罪悪感を感じて、俺は小さく猪狩さんに謝った。
猪狩さんは複雑な表情を浮かべて頭を掻くと、ま、仕方ねーか。と答えた。

「でも来れそうなら来いよ。明日練習休みだし、結構遅くまでやる予定だから」
「ありがッス」
「いつものラウンドワンに居るからな。終わったら連絡…ああお前ケータイ無かったか」

まあ探せ。と言われ、病院から連絡すれば?と言ったのは及川だった。

「病院なら公衆電話あるし」
「ああそっか。頭いいな及川」
「…ん。分かった。連絡する」

そう答えて、それじゃあお疲れ様ッス。と最後にマフラーを巻き、俺は部室を出る。
グラウンドから出て校舎に取り付けられた時計盤を見る。そこまで遅い時間ではないが気持ちが逸る。
早くシアンに会いたい。今日こそ目が覚めているかもしれない。そんな期待をしながら早足で、サッカーボールを抱えながらすっかり行き慣れたあの場所に向かった。


今日こそ。今日こそ。

いつも病院に向かいながら、シアンが起きていたらどうしようと考える。
サッカー。は1年以上寝ていたんだし無理だろうか。じゃあ何か好物でも買ってきてやろうかと考えたがそう言えばアイツの好物知らねェ。
どうせ大会が始まれば忙しくて中々来れないだろうから、ケーキでも買ってきてやろうか。ワンホールで平気かな。平気かユーシいるし。甘い物嫌いなんてアイツ言わないだろうな。でもとりあえず顔合わせてから―
「やっぱヴェリタスじゃね?」
「でも今年ヤバかったじゃん」

ヴェリタスの言葉が聞こえて、俺はコンビニの駐車場に溜まっている集団に目をやる。

「俺マリンコニアだと思うけど、去年決勝まで行ったろ」
「でもアディダスカップ準々決勝落ちだろ」
「高円宮杯じゃあ環商に負けたし」
「いや今年は強いから。マリンコニア優勝だろ」

Jユースカップの事だろうか。だとしたら話の内容は優勝チームの予想だろうか。それぞれ思い思いに、応援しているらしいチームの名前を挙げていく。

「いや、やっぱり俺はヴェリタス一本だな。去年の大会凄かったじゃん。圧巻」
「でもよぉ…去年の冬から【あの人】抜けてんだろ」

再び病院へ向かおうとした足が、ぴたりと止まった。
代わりに全ての感覚が、その集団が話している内容に集中される。

「バカ止めろよ!気軽に出すなッ!」
「て言うか、今【あの人】ってどうしてんの?事故ったって聞いたけど」
「なんか噂じゃまだ意識不明らしいぞ」
「【あの人】が!?…へーなんか【あの人】なら事故っても無事な気がしたけど」
「色々言われてても人間だったって事だろ」

誰も名前を口にしないが、誰かがあの人と口にする度に場に緊張が走る。
その名前すら、出す事を憚れているような。そんな雰囲気が感じ取れた。
そんな中、一人の男が口を開く。

「何だよ。そんなびびる必要ねーだろ」
「いやでも」
「何言ってたって【あの人】に聞こえる訳ねーじゃん。お前だってそんな【あの人】の事好きじゃなかったろ」
「う…まあ、試合は凄かったけどさ」
「俺は清々したね。噂じゃ高校入ってからいきなりサッカーしだして優勝したんだろ?何か全部ぶち壊しって感じで俺気に入らなかったし」

雄弁にソイツは語り出す。
周りは不安そうに周囲を伺っているが、ここにはもちろんシアンはいない。

シアンは、今も眠ったままだ。
病院で、あの真っ白い個室の中で。

「去年高円宮杯で負けた時清々したねー。あの天狗の鼻を折ってやったってヤツ?事故ったのだって自業自得だろ。バチが当たったんだよ」
「おい言い過ぎだろッ。不謹慎だって」
「でもお前等だって【あの人】が事故ったって聞いた時、少しも嬉しくなかった訳じゃないだろ」

その言葉に、全員が、口を閉じた。
俺は、去年病院に集まったヴェリタスのメンバーを、シアンの両親の顔を思い出した。
あそこにいた全員が、悲痛な顔をしていたのを覚えている。
泣きそうな顔で或は泣き顔で、悔しさを顔に滲ませるヤツだっていた。

「今年【あの人】がいなくてよかったよ。【あの人】がいるだけで全部出来レースになっちまうし」
「お前、な…」
「…まあ、確かにそうかも」
「え?」
「【あの人】がいるだけでさ、試合の結果なんて分かるじゃん。お前はヴェリタスのファンかも知れねーけど、他チームのファンからしたら、【あの人】は見たくもない存在だよ」

【あの人】が戦ったチーム、解散した所だってあるじゃねえか。と、少しだけ潜めた声で呟いた。

「こんな形になっちまったけど、居なくなってよかったんじゃねーの」
「…そうだよな。確かに、居なくなってガッカリしたってのは無いかも」
「おいお前までッ」
「うん。寧ろ最初から居なくてもよかったって気が…」
「だよな」

急速に、頭の中が冷えていった。
アイツらの声だけが、静かな世界の中で鮮明に聞き取れていた。

その割に、体は全く言うことを聞いてくれなかった。

「そう思うだろ?【あの人】が居なくなってよかったって」

言い終わるか終わらないかの所で、俺はソイツの顔に右ストレートを決めていた。
最初に不謹慎な言葉を吐いたソイツはふらりとよろめいたが、襟元を掴み、背の高いソイツのその額に頭突きをして無理矢理意識を覚醒させる。

「今」

力任せにぶつけた額が痛かった気がしたが、大して気にする様なものではない。

「何て言った」

まだ焦点が定まっていないソイツに、ゆっくり言葉を吐く。
中々答えないソイツに、もう一度頭突きでも食らわせてやろうかと思っていると、乱暴に肩を掴まれる。

「おいガキッ!いきなり何するんだよ」
「あんたもスか?」
「あ?」
「あんたも、そう思ってんのか」

離した手を握りしめ、肩を掴んでいる別の男に殴りかかる。
が、感情任せに放った拳はあっさり空を切り、俺はそのまま他のヤツらに押さえつけられる。
両腕を掴まえられ、背中からも羽交い締めにされる。漸く焦点が定まったソイツを睨みつける。ソイツも、俺を睨みつけた。

「ガキ…お前何だいきなり、喧嘩売ってんのか?」
「訂正しろ」
「はあ?」
「さっきの言葉、訂正しろって言ったんだ!!」

コイツらに何が分かる。

シアンは確かに、今まで酷い事をやってきたかもしれない。
それは確かに俺だって、許せない時はあった。あの考え方を、どうしても認めれない時だってあった。
恨まれたって、嫌われたって、もしかしたら仕方が無い事かもしれない。


それでも。

それでも。


「―アイツが居なくなっていい訳なんて、一つもねェッ!!一つもだッ!!!」

シアンを否定するのだけは許せない。
絶対に。一人でも。誰であっても。

強烈な痛みと同時に視界がぶれる。喉の奥から蛙の鳴き声みたいな呻き声と、強制的な嘔吐感がせり上がってきた。
歯を食いしばって吐くのだけは堪えるが、酷い咳を吐き口の中に唾液が溜まる。

「お、おい止めろよっ。ソイツ確か…」
「あ?あぁ分かってんよ。市立帝条の天谷吏人だろ」

俺はまだ込み上げる嘔吐感を紛らわす為に、溜まった唾液を飲み込んだ。
鳩尾、殴られた。ぼやけた頭の中でそれだけは考えられた。

「もうすぐで大会だったか?顔やると問題になるだろうな。ボディーにしなボディーにってヤツ?」
「骨とか折るなよ。下手に事件になったら市立帝条、出場停止とかになっちまうからな」
「そりゃやばいわ」

笑い声。
止めようとした奴も周りの空気に戸惑いはしていたが、それを必死に止めるそぶりは無い。
単純に巻き込まれたくないだけかな。と思った所で、また腹に衝撃がきた。

「ぐッうぇ…げ、えぇええ…ッ!」

酷い声が聞こえた。自分の声なのにそれはどこか別の誰かの声の様に聞こえる。
二度、三度殴られていると頭の中にちかちかと光が見えた。そう言えば、喧嘩なんてした事ねェと思いながら歯を食いしばり、何とか呻き声がそれ以上出ない様にする。
こんな状況に今更馬鹿らしいと思うが、コイツらの思い通りになるだけなのは、ゴメンだ。
歯を食いしばり、殴り続ける目の前の男を睨み続けていると、そのうち怒りに歪ませていた男の顔が少しずつ萎縮していくのが分かった。

「な…んだよお前、お前から先にやってきたんだろっ」
「…訂、正…しろ」

止まった拳を確認してから、俺は口を開いた。
拘束の手が弱まった隙に、思い切り腕を振り払いうざったらしいそれを解く。
男に近付き、今度は襟首を掴まなかったが睨み続けるのは止めない。

「さっきの言葉訂正しろ…いきなり、殴ったのは俺が悪いだろうよ。だけどな…アイツを…シアンを、否定するのだけは許せねェ」
「お、おい、こっち来んな」
「アイツが居なくなって、よかったなんて、二度と…言うんじゃねェ。…二度とだッ!!」

自分の拳に力が篭る。
また、感情任せに殴りかかると思った。堪えようとしても怒りが沸々と沸き上がり、体が震えて言うことを聞かない。
駄目だ。駄目だ。もう手遅れかもしれないが、自分が何か問題を起こせば、それはサッカー部の危機に繋がるかもしれないのだ。
どんなに堪え難かろうが、堪えなければならない。

堪えなければ、ならないのに。

「…てめェ調子に乗ってんじゃ…」



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -