夢の中で、俺はシアンの名前を呼ぶ。
真っ暗な場所に一人佇むアイツを呼び続ける。
どんなに大きな声で叫んでも、何度名前を繰り返しても、シアンは背中を向けたままで、俺の方を振り向く事は無い。
近付きたくても、夢の中では体が動かない。だから俺はシアンの名前を呼ぶ。叫ぶ様に呼び続ける。

何度でも、何度でも。








「…シ、アン」

目を開けると、そこは真っ白な空間だった。
先程まで見ていた真っ暗闇の場所と違い、ここは壁も床も天井も白い。
顔を埋めていたベッドから頭を上げると、そこに横になって眠っているシアンの顔が見えた。

まだ起きたばかりの頭はゆっくりと思考を動かして。そうか、ここは、シアンの病室だった。
どうやら自分は眠っていたらしい。
瞼を擦り、壁に取り付けられた時計を見れば、もう昼を過ぎてから大分経ってしまっている。
肌寒さに体をぶるりと震わせ、換気で開け放したままの窓を閉める為、椅子から立ち上がる。

「………」

繋いだままだった左手を、ゆっくりシアンの右手から離す。
温かさがなくなってしまった手の平が少し寂しく感じたから、窓を閉めた後すぐに戻り、再びシアンの手を握りしめた。
シアンの右手は俺の手を握り返す事なく、ただだらりとされるがままにしている。
それが悲しいなと思う時もたまにはあったが、だからと言って手を握らないのはもっと辛い気分になるから、見舞いに来ている間はずっとシアンの手を握る事にしている。
微かな体温と脈拍だけが、まるで死体の様に動かないシアンと自分を繋いでる様に感じるから。

「―今日は、何の話するか」









高円宮杯が終わってから、シアンの様子がおかしい事は何となく感じていた。
でもそれはいい意味での変化でもあったから、特に心配する事でもなかった。筈だった。

部活から帰って来て、母親から一番最初に伝えられたのは、シアンが事故に巻き込まれたと言う話だった。健太から連絡が来たそうだ。
実際、聞かされた時は全然現実味が無かった。でも、集中治療室に居るシアンと、魂が抜かれたかの様に佇むシアンの両親とヴェリタスのメンバーを見て、これが現実なんだとやっと認識出来た。

一番連絡が遅れ、最後に来たのがユーシだった。俺と同じ光景を見てユーシは、これは。と信じられないと言う顔で俺を見てきた。
分かんねェ。そんな言葉しか、俺はその時言えなかった。



怪我は酷かったが、シアンの容態は意外にも安定していた。
治療が早かったお陰で、命に別状は無いと医者は言っていた。
集中治療室にいた期間も短く、普通の病室に入れられてからは気軽に見舞いに来ることも出来た。

ただ、

意識は、未だ戻らない。





不思議な事に、思い返してみるとシアンがこうなってからの日々は、とても短い期間のように思えてくる。
実際は1年を既に越えてしまっているのだ。年の差は変わってないのに、俺はシアンと同じ学年になってしまっていた。寧ろあの時からシアンが止まってしまっているのなら、俺は既にシアンを追い越してしまっていた。


2年目の高校総体は大変だった。トランセンドサッカーを纏めていた佐治さんが卒業してしまったから、新たにチームを纏める人材が必要だった。
それでも俺は、俺達は優勝を目指した。その結果、今年も辛勝ではあったが優勝の座を守る事が出来た。

試合を見に来ていた佐治さん達には「1年で取られるかと思ってヒヤヒヤした。バカ」なんて言われた。
佐治さんだって大学行ってユースに入ってから、中々好きにサッカー出来なくて燻ってるって聞きましたなんて刃向かってみたら、うるせェと顔をわし掴まれた。

その日、いつもより遅い時間に到着してしまったが、俺はシアンにその事を報告する事が出来た。

見舞いに来れる日は見舞いに行く。行ったら俺の周りであったここ最近の出来事を話す。それが俺が自分で決めたルールだった。

何かのドラマだかで、意識が戻らない患者にはよく話しかけてやる事が大事だとか聞いた気がする。手を繋ぐのもそうで、最初はシアンと手を繋ぐなんて違和感があったが、もう慣れてしまった。



「それで、すげェソイツ悔しがってたから、そんなの2秒で切り返せって言ったんだ。そしたら、何でだろ、掴み掛かられて」

シアンの体温は心地がいい。夏は少し冷たくて、冬は少し暖かい。そしてとくりとくりと、小さく脈打つ音が、この病室だけ、世界を切り離して存在しているかの様に錯覚させる。
練習後に来る事が多いせいか、よくその鼓動に誘われる様に眠りに落ちてしまう事がある。

その時は必ず、シアンの夢を見る。シアンの夢と言っても、後ろ姿だけでシアンの顔を一度も見たことが無いのだが。「及川にさ。俺は間違った事言ってないけど、誤解される言い方になってるって。そう言われても、俺よく分かんねェ」

高円宮杯が無くなってしまって、ヴェリタスと戦う事も無くなってしまったが、その話はよく耳にした。
シアンがいなくなってしまった事でチームは大分混乱を起こしていたらしいが、それでも今までのユースに恥じない成績をしっかりと修めているらしい。
2年前に比べるとかなりの苦戦をしたみたいだが、シアンが手に入れた二つの頂点は守り続けている。
「あの人が帰って来るまで、ヴェリタスは王者の座に座り続けなくてはならない」なんて言っていたのは、健太だった。

「お前ならそういうの、うまくやれんだろうな。人付き合い上手いし。昔もすぐに皆と打ち解けてたもんな」

何も変わってないかの様に思えてしまう。
それでも、時は経ってしまっているのだ。


シアンはあの時から、随分と髪が伸びた。まるで女みたいだと思える位に。
元から白い肌は更に青白くなり、繋いでいる手からは筋肉も脂肪もなくなり、すっかり骨張って細くなってしまった。体、も。
綺麗に整っていた顔も、痩せこけてしまっている。




1年だ。


1年で、こんなにも変わるものなのか。


シアンだけ。まるで、シアン以外のもの全てが、時が止まってしまったかの様に変わらないのに。

「…シアン」

握り返す事の無い手に力を込める。

「シアン」

返って来ない言葉に歯を食いしばりながら、俺は小さく、またシアンの名前を呼んだ。



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