気持ちが悪い奴がいる。
あの監督とは違った意味で。見ていると、何だか鳥肌が立ってくる。
確実に心を折ってやったと思ったいた。完全に壊したと思っていた。
だと言うのにアイツはあの瞬間、俺が嫌いなあの笑顔で再び現れた。
それだけならともかく、試合が終わった後の俺に大きくなったなとかお前は俺の宝だとかニコニコニコニコ、探していた迷い犬が帰ってきたかの様な笑顔で俺に接してきた。

嫌われてるなら分かる。
恨まれてるなら分かる。
苦手意識があっても分かる。
好かれる事は無いと思っていた。


「知ってるかシアン。今日は夏の大三角形がよく見えるらしいぞ」

こんな事を意気揚々と言われていると言うのは、おかしいと思う。
ジャージの上にベンチコートを着込んだアイツが自販機のボタンを押す。ガコンと音がした後に、釣銭が五月蝿く落ちる音が聞こえた。
アイツは中から落ちてきたコーヒー缶を取り出すと、ほれ。とこちらに差し出してきた。

「ん?ブラックの方がよかったか?」

砂糖とミルクがたっぷり入ったそれを受け取らないでいると、不思議そうにアイツはそう尋ねてきた。俺は愛想笑いも作らず、感情そのままにアイツの顔を見つめる。それでもアイツは手に持っている缶を引っ込めようとしない。

それでも俺が無言の拒否をしていると、やっと諦めたのかコーヒー缶を引っ込めコートのポケットに入れた。
やれやれと思っていたら、アイツは落ちたままだった釣銭を取り出し、何枚かまた自販機に入れる。
またボタンを押して、落ちた飲み物を取り出す。

「ほれ」

差し出されたのは更に甘い、寧ろコーヒー豆すら入っていないホット缶。

つまりまあ、ココアだった。

「…さっきの方、頂戴」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
甘いコーヒーの味を舌で味わいながらどうしてこうなった。と考えてみる。

一番の失態は、そう。うっかりアイツの誘いに乗ってしまった事だ。
高円宮杯が終わり、他高校の試合も時期が時期だからかぱったり無くなってしまい、ヴェリタスも一息ついた時期だった。
次の大会はまだあるが一息つかなければ切り替えせるものも切り替えせない。
特に今年は、『万年一回戦負けの超弱小校』に敗れてしまったのだ。少しメンタルを落ち着かせる時期が必要だと言ったのはコーチだった。
あのコーチも、あんまり好きでは無い。
まあとにかく、見に行く試合も無いし練習もつまらないし、他の部活も壊しに壊しまくったし。つまり、暇だったのだ。

暇だった。そう暇だったのがいけない。
やっぱあのコーチも嫌いだ。


『シアン。たまには練習見に来いよ』


再開後に散々言われていた言葉を思い出し、そろそろ暇だ暇だと言ってる事すら飽きていたのでほんの気まぐれで練習を見に行く事にした。
と言っても、見学しに行って喜ばれるのも癪だったので、学校の制服並に着慣れた喪服を身につけて赴いてやった。

我ながらやってやったと思っていたのだが、行ってみた結果はヒカルとか言うヤツに練習に参加しろと引っ張られ、普段芝生でしかサッカーなんてやらないから、練習が終わる頃にはすっかり真っ黒な服は砂埃まみれになってしまっていた。
思い出してみれば確かにグラウンドは土だった。いやだとしても、サッカーに参加する気は全然なかった筈なのだが。
あのガキ嫌い。苦手。
リヒトみたいなヤツだななんて思ったが何か違う。寧ろ、アイツの方に似ている。

「シアン。下ばっかり見てないで上、見てみな」

頭の上から声が降ってくる。
人が色々考えていると言うのに、呑気な声が更に苛立ちを募らせる。
顔を上げて思い切り睨み付けてやると、何を思ったのか差し出されたのはアイツの右手。

「登らないDeathぅ」
「いい景色だぞ」
「危ないじゃん。落ちてれば?」
「そんなのはとっくの昔に通り超した」

あっはっはと笑うその顔にますます腹が立って、ガシャンッとフェンスを思い切り叩いてやる。不安定な体勢をしていたアイツは少しよろめいたが、すぐにバランスを取ってフェンスの上に居座り続ける。

「いい大人が…」

悪態をついて缶にまた口をつける。半分程になってしまったコーヒーはまだ温かさを保っていた。
そう言えば、最初にここに見学に来た時も、飲み物を無理矢理奢られたんだった。

「でもいいからさ。上見てみな」

しつこく言われるものだから、渋々顔を上げてやる。
上を見れば高くなった空、橙を通り過ぎて紫に染まって、半透明な三日月がその中で浮かんでいる。
あと数分もすれば景色も変わるだろう。冬も近くなって、あれだけ夏の間主張していた太陽はあっさり引っ込むようになってしまった。

「何かあんの」
「面白いだろ」
「そうDeathかァ?」
「短い間にどんどん変わっていくんだ。見ていて飽きない」空なんて当たり前にあるもの見て、何が楽しいのだろう。
やっぱり変なヤツと思いながら、俺もそのまま空を見上げ続けていた。

一度来てからというもの、ヴェリタスがオフの日はここに来る事が多くなってしまった。
無理矢理交換させられたアドレスに乗って、ヒカルも待ってるからと打たれたメールが届く。
そんなのリヒトに言ってろよ。
そう思って返信は返さないのに、何故自分は律儀にここに来るというのか。
今日だってわざわざジャージを着て夕方終わるまで付き合って。自分はそこまで暇なんだったろうか。

どうもアイツと再会してから、あの大会でリヒトに負けてから、何だか自分が自分でよく分からない。

「空見るのが好きなんDeathか?」

初めて自分から振った質問。
千切れ千切れになった雲を見つめながらそう口にした。

「ん?いや別に」
「何かさっきから、星だとか言ってるから」
「上ばっか見てると自然と見えてくるもんよ」
いつの間にか覚えた。と言うアイツの方は見ない。
見たら絶対にまた手を差し出すに違いない。落ちる筈無いだろうが、フェンスに登る気もアイツに触れる気も無いからそれだけは避ける。

「夏の大三角形はベガ・アルタイル・デネブ。織姫と彦星、白鳥座だな。因みに冬の大三角形はプロキオン・シリウス・ベテルギウス。こいぬ座、おおいぬ座、オリオン座で出来てる」
「全然分かんないけど」
「まあなー。大三角形って言っても皆知ってるのは織姫と彦星位だろうし。でもシアンが知らないって意外だな」

何故、自分が知ってるなんて思ったのだろうか。
夕日はもう、殆ど姿を引っ込めている。紫の空も、太陽が去った場所から徐々に暗い青みを増していく。

「キョーミない。から」
「何かシアンって星とか知ってそう」
「何それ」

イメージだけど。と言われたがそんなの言われた事が無い。
星になんて興味ないから、必要以上に星を見るなんて事もしない。小学生の頃、野外授業で星座盤を持って星を探した位のものだ。

「星の名前とか花の名前とかさ。一杯知ってそう」
「…乙女かっての」
「じゃあ何なら知ってる?」

何なら。
ふ。と思わず、アイツの方に視線を向けてしまった。
しまった。と思ったが、アイツは空を見上げたまま、こっちが何か言うのを待つように何も言わない。

「…何ならって…」

漠然とした問いに閉口する。
訳分かんないとでも言ってしまえばいいのに、何故か自分の口からは何も言葉が浮かんでこない。

いや、浮かんではきているのだ。でもそれは。

いつも考えなくとも吐き出せる悪態すら、口から出て来ようとしない。

「な。シアン」

アイツが俺を見下ろしてくる。
それは、再会した時に浮かべていた不敵な笑みではなく。まるで我が子を見るかの様な、優しい笑顔。
ああそう言えば、アイツはいつもそうだった。いつもそんな顔で、俺を見下ろしていて。

気持ちが悪いヤツ。と頭の中で思うのに、何故かどこか安心ができる、そんな自分が居るものだから、

「お前今、何に興味ある?」

眼鏡越しの視線から目を逸らした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

逃げる様にアイツに別れを言うと、俺は早足で一人帰り道を歩いていく。走っている訳ではないのに、心臓は何故か激しく鼓動して五月蝿い位音を響かせる。
足元が悪い道だから、爪先を引っ掛けて躓きそうになった。そこで漸く足を止めて、右手に持ったままだった缶コーヒーに気付く。あれだけ動揺しておいて、飲みかけはちゃんと持って帰っていたみたいだ。
気持ちを落ち着かせる為に、まだ残っている缶コーヒーに口をつける。ほんの少ししか残っていなかったそれはすっかり冷えきっていた。
その冷たさと夜の風にぶるりと身を震わせる。顔を上げると、すっかり暗く染まりきった空に点々と、小さな星が見えていた。
雲が殆ど無い空を見て、なるほど確かに今日は星を見るにはうってつけの夜だ。
まだ残っている缶の中身を煽って、甘くて冷たいそれを全て体の中に落とした。

歩きながらアイツが言っていた星を探す。
もう11月なのに夏の大三角形を探すなんて変な話だが、まあ暇だから。と言い訳をして空を見上げ続ける。

「…どれだよ」

まだ夜が来てそれ程時間が経ってないから、見える星は本当にぷつりぷつりとしか見えないから探すのは無理かもしれない。
それでも何だか見つけ出せないのが悔しくて、俺は昔の朧げな記憶を頼りに星を探す。

『お前今、何に興味ある?』

先程の言葉を思い出す。
一人になって、落ち着いた頭で考えてみて、何故あんなに慌ててしまったのかやっと分かった。
興味のある物など、無いのだ。自分には最初から。
自他共に認める天錻の才で、真剣に何かに打ち込んだ事などないし、人を壊して回っているのだってただの暇潰し、遊びの一環でしかない。
クリアしたら見向きもしないし、勝てないゲームなら最初からしない。興味を持つ前に、全て自分の前を通り過ぎて行ってしまう。

だから、何にも興味が無い。
それは人を壊す為の道具でしかない。

なのに不思議だ。自分はもうクリア不可能な存在がいるサッカーにまだ居座っている。
リヒトの心が、アイツの心が折れなかった時点でもうサッカーをやっている理由は無い筈なのに。

だって、

あの日、リヒトの背中を追いかけた。汗だくになりながら必死に追った光景が、頭から離れないから。

つまり、



「…バカみたい」

自分の頭の中で出た結論が信じられなくて、ついそう呟いてしまった。
そんな筈が無い。今まで、何にも興味も無かったのに。
5年の間に、そんな事もあったかと忘れそうな時すらあったのに。


今更、リヒトに負けて、悔しいだなんて。


今更、アイツのサッカーに負けて、悔しいだなんて。


…本当に自分はどうかしてしまったのだろうか。

何だか自分がよく分からない。
よく分からない。が、一つ分かる事がある。
認めたく無いけど、はっきりと分かる、悔しい事実。



この自分の変化を、自分は嫌だと思っていない事。




「あ」


間抜けな自分の声と一緒に、世界がぐるりと回転した。

思わず宙を掻いた手から、空になった缶を落としてしまう。
足元が悪かったのを失念していた体は、そのままバランスを崩して今度こそ転がり落ちてしまった。
缶が地面に落ちた音も、聞こえなかった。









「…ユーシさん。やっぱり…」


上ばっか見てたら、怪我するじゃん。なんて。
それは自分でも分かる位に、負け惜しみの言葉だった。




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