シアンは本格的に、自分は夢を見ているのだと思った。
目の前に広がるのはドーム一杯に埋まる観客の歓声。かつて見た事があるグラウンド。
振り向けば、戸畑サッカー少年団の全員が全員、満面の笑みを浮かべている。リヒトも、そこに居た。
リヒトの手にあるのは、シアンがかつてユーシの目の前で振り回してやった全日本少年サッカー大会の優勝旗。


つまり、




「……………………」


シアンの口は開いたままだったが、そこから声が出る事は無かった。ただただ、酸素が足りない金魚の様にぱくぱくと口を動かすだけだ。
そんなシアンの姿が目の前にあっても、誰も何も言わない。

見えてないから。

ここに居ないから。

だから、シアンがどれ程有り得ないと。こんなのはおかしいと思っていても、誰もシアンに答えを与えてくれない。
かつてシアンに面白いサッカーを教え抜いてやると言っていたユーシすら、シアンの方を一度も見る事が無い。

「よくやったなお前ら!!お前らは俺の宝だ!!」
「ユーシ!!ユーシの言った通りだったよ!!これが最強の景色なんだな!!」
「俺達ユーシとサッカーやっててよかった!!サッカーがこんなに楽しいなんて知らなかった!!」
「ユーシ、俺中学行ってもサッカー続けるよ。ユーシのサッカーでまた最強になるんだ!!」
「俺も!!サッカー続けるよユーシ!!」
「ユーシ!!俺も!!」
「ユーシ!!」

全員がユーシに駆け寄り、思い思いにユーシに感謝の言葉を述べる。ユーシは一人一人に応えて、これからもサッカーを続けると言う言葉に、本当に嬉しそうな顔で頷く。

「泣くなよユーシー!!」
「うるせー泣いてねー!!」

そう言いながらも眼鏡を外し、ユーシは目に浮かぶ涙を拭う。


こんな景色、知らない。


シアンは遠くから、信じられないものを見る様にそれを見続ける。

「ユーシ」

もみくちゃにされているユーシに、リヒトが声をかける。
優勝旗は既に係員に渡してしまっているのでリヒトも遠慮なくユーシに飛び付けるのだが、リヒトだけ一人、その輪の中に混ざっていなかった。

「どうしたリヒト?」
「俺も、ユーシのサッカー続けるよ。中学も、高校も、プロにだってなる。ユーシのサッカーで、また最強になってやる」
「うん」
「でも…これで終わりなんだな…」

リヒトの瞳からぼろり。と涙が溢れる。
試合で負けても、練習が上手くいかなくても、去年の試合の時だって、シアンはリヒトの涙を見た事が無かった。
いや、シアンの記憶でも、リヒトは一度も泣いた事が無かった。たったの一度も。

「ユーシと一緒にサッカー出来るのは…これで最後なんだな…」

選手だったら、またいつか一緒に戦う事も、もしかしたら対戦相手として戦う事もあるだろう。
しかし、ユーシは監督だ。
今年で小学校を卒業するリヒトは、もうユーシとサッカーをやる事は出来ない。
リヒトがそう思い泣いているのを、ユーシは暫く見つめていたが。やがてゆっくりリヒトの前に歩み寄り、リヒトの頭をいつかのようにぐしゃぐしゃに撫でた。

「だーッ!!何するんだよ!!!」
「リヒトなあ。何そのくらいで泣いてんだよ。2秒で切り替えろ!別れを惜しむくらいなら次の出会いに期待しろよ!!」
「でも俺、もっとユーシに教えてもらいたい!!」

リヒトがそう叫ぶと、今まで黙っていた他のメンバーも、俺も。俺も。俺もユーシにもっと教えてもらいたい。と言い始める。ユーシはその声に驚いた様に目を見開いていたが、やがてまた眼鏡越しの瞳に涙を浮かべて、目の前にいるリヒトの肩を力強く叩いた。

「2秒で切り替えろって言ったろ?教えてもらいたかったらいつでもこい!!いつだってどんな時だって、また教えてやる。俺はずっと、お前たちの監督だ!!」








「ハイご苦労様Deathー。…で、何これ?どこの安い三流ドラマだよ」

誰にも聞こえない拍手が、やる気なさげにグラウンド内に響く。
大会が終わり観客も帰ったグラウンドでは、未だにユーシと戸畑サッカー少年団のメンバー全員が楽しそうに話している。
メンバーは11人。そこに、シアンの姿は無い。

「これで戸畑サッカー少年団は皆壊される事なく?未来の可能性を信じて旅立っていきましたってヤツ?あームリムリムリムリ。聞いてるだけで鳥肌立っちゃう気持ち悪」

シアンはゆっくり背中を向けたリヒトに近付いていく。その背中にそっと触れようとした。が、まるで二人の間に薄いガラス板があるかの様に、それ以上先に手を伸ばす事ができない。
ぺたりぺたりと、ガラスケースの向こうの景色を眺める様に、シアンはリヒトを見下ろす。

その姿は、小学生相応の幼さで。
高校生の姿をした自分とは、全然違う。

「リヒトォ。優勝、おめでとう。…それだけは言ってやるよ」

そう言いながら、シアンはこれからリヒトかどう成長していくかを想像する。
きっとリヒトは最強を目指す為、昔の様にヴェリタスJr.ユースに入り3年かけて全国制覇を成し遂げるだろう。
シアンが居ないのだからユースを落とされるなんて事も無いだろう。監督と反りが合うかどうかはあると思うが。
学校はどこに入るのだろう。ユースに落ちない限り、私立帝条には固執しないと思うが。多分適当に家から近くて部活が強制参加でない、リヒトの成績でも入れる高校…と考えた所で、シアンはリヒトの学校の成績なんか知らない事に気が付いた。

「…リヒト。俺とお喋りしよーよ」

シアンがそう投げ掛けても、リヒトはユーシと話しているだけで、シアンの声に微塵も反応しない。

当たり前。最初から、シアンの声など届いてないのだから。

シアンが無理矢理顔を合わせ、勝手にリヒトに向かって話をしていただけに過ぎない。
リヒトの瞳の中に、シアンは写らない。

存在しないから。
写る姿も無い。



(じゃあ、今の俺って何な訳?)



そう考えてから、ああこれは夢だったとシアンは思い出した。

そう、これは夢。全部夢。
そうじゃないと、矛盾だらけの話じゃない。
だからこれは夢。全部夢。

「…だから早く、」

目の前の、きらきらした気持ちの悪い光景に、シアンは初めて目を逸らした。
初めて、両手で目を塞いだ。


「早く、覚めろよ」










夢は覚める事は無かった。


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