色彩豊かなそれを見下ろして、小平太は唸り声をあげた。
その隣では恵々子がおっとりと微笑んでいる。噴き出しそうになる口元に手をあてて、小平太の動向を見ていた。

「わからん……」

項垂れ頭を抱える姿は普段暴君と言われている小平太からは想像もつかない。彼の目の前には、化粧道具が広げられていた。女装の点数が低かったため、それなら逢瀬ついでに恵々子に聞こうとくのたま長屋に乗り込んできたのだ。

小平太としては逢瀬の方が主で、化粧のことについては二の次どころか三……五の次くらいだったのだ。だが話していく内にいつの間にやらこちらが主になり、常時より楽しげな恵々子に水を差すのは如何なものか。そう泣く泣く苦手な化粧をしていた。

……というより、化粧をする前に道具の多さに挫けていたのだが。

「あら、降参ですか」

覗き込んできたらしい恵々子の髪が視界に入る。ほとり。長いそれが柔らかに落ちていき畳を彩る。きれいだと思いながら小平太は顔を上げる。

「女の子は大変だなあ……私は苦手だ」

「女ですから」

化粧は私たちの専売特許ですよ。
ころころと鈴を転がすように笑う。
次いで、穏やかにそんなに難しいことではありませんと告げる。拗ねる子供を諭すような宥め方に小平太は唇を尖らせた。


「女は元々、化けることを知っている生き物ですから」


紅ひとつ。

それだけで、変わる。得心いかない小平太を一瞥し、そうですね…と考えるように手元をさ迷わせる。そうして選んだのは牡丹のような色をした紅だ。
その鮮やかな赤を薬指に少し取り、恵々子は自分の唇にのせた。鏡を見ずとも塗れるのは慣れているからだろう。自分だったら、どうだろうかと小平太は思い浮かべる。多分、無理だ。

塗り終えたらしい恵々子が、どうでしょう?と問いかける。熟れた果実のように色付く唇は艶やかだ。少女の顔立ちを、大人の女へと変わらせていた。

「確かに、化けるな」

見惚れたように言葉を溢した小平太に恵々子がほんのりと照れる。匂いたつようにはにかむ姿は可愛らしい以外のなにものでもない。思わず緩む頬に力を入れて引き締めれば恵々子がふ、と赤らんだ顔の熱を逃すように息を吐いた。

「紅は………色で、差し方で、変わるものです」

だから先輩も変わりますよ。微力ながらお手伝いさせていただきます。頼もしく感じながらもどこか楽しんでいる恵々子の様に冷や汗が垂れた。
こういう時、くのたまたちの恐ろしさが頭のなかに蘇ってくるのだ。下手に抵抗すれば、した分の倍どころの話ではない程度に磨り潰されてしまう。もちろん、隣でとろりと微笑んでいる愛しい少女がそんなことをするはずがないと……切に願ってはいる。どう足掻いても自分は忍たまで、少女はくのたまなのだと実感する。
そんな心中を知ってか知らずか恵々子は眉尻を下げるのみだ。

細い指先が紅の容器をなぞる。かつり。爪で軽く叩いてこの色はどうでしょうかと差し出される。開けて中を確認する。恵々子がつけたものよりも赤みが抑えられた紅だ。小平太は紅を受け取り、眺める。これだったら、自分にも合うだろう。相も変わらず自分に似合うものがわからない。恵々子は直ぐにわかったというのに……。

「女の子はすごいな…」

しみじみと言えばそうでもありませんよ、と返ってきた。視線は化粧道具へと注がれ、白粉、眉墨、鉄漿……と次々と選んで分けている。

「女の子は……お慕いしている方に少しでも振り向いて頂けるよう皆、頑張っているんです」

悪戯っ子が見せるような笑い方にふむ、と小平太は化粧道具を見詰めた。

女は、好いた男のために化ける。

なら男は、好いた女に化かされるためにどうするべきか。
じっと恵々子を見る。紅は確かに似合っている。



似合っては、いるが。



「…………恵々子」

「はい」

「紅、似合ってる」

「はい」

「けど今度………私がもっと恵々子に似合う色を選ぶ」

彼女には、もっと淡い色が似合う。

自分に合う化粧道具なぞ全くわからないが、愛しい彼女には何が似合うか。それだけはわかる、と小平太は誰に自慢するでもなくひっそり思う。

「はい」

楽しみにしています。
頬を染めて嬉しそうに瞳を細める。
全身から喜びが溢れ出している姿に小平太は目を見張った。

なるほど。
言葉ひとつでも、女は化けるのか。


「女が化ける生き物なら、男は女を化かし、女に化かされる生き物だな」


感慨深げに呟いた言葉に、恵々子は微笑むのみだった。

ならば。

己の手で、好いた女を化かし、化かされるのも、また一興だ。









***
鉄漿→お歯黒です。

相変わらず小平太が迷子。
相手を自分色に染めるのって素敵ですよね。



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