「あれ、名さんなんだか顔色が悪いですね」

「んだない…」

「あーうん、ちょっと昨夜食べたスコーンがね…あはは」

「スコーン…?」



     5月11日(火)




「名ーーっ!!」


社内に響く上司の声にビクりと体が揺れる。
まーたデンさんは大声で呼ぶ…。


「なんですかーもう…」

「いいから、ちょっとこっち来んべ」


いつもおふざけたような顔とは打って変わった表情を見せるデンさん。
何かあったのかな…。


「どうしました?」

「これ書類、あの新人がやらせたやつだっぺ。今俺が確認した」

「……もしかして…」

「おめ、ちゃんと仕事教えてんのけ?いくらなんでもミスが多すぎだっぺ」

「…申し訳ございません」

「甘すぎんたべ、おめぇは。俺がおめにしたみたいにしごいてやんねぇと一人前になれねんだべ?」

「分かってます。けど…」


あの新人君は私とは違う。逆境に打たれ強くてタフな私に対して彼はその…ナイーブな子だとでも言いましょうか…。
確かに少し甘やかせすぎたところもある。だけど彼に厳しくすると酷く落ち込むことは目に見えている。


「今回は俺があいつに預けた仕事だったさけ、俺が叱っとくっぺ」

「あの、デンさん…」

「んー?」

「ありがとうございます。今度はちゃんと私から厳しく言えるようにしますので…」

「おう!」


ニカッとお得意の笑顔を見せて私の頭をぐりぐりと撫でるデンさん。
デンさんは私が誰かを叱ったり厳しくする事が苦手なのを充分分かってくれてるんだよなぁ…。
何も考えていなさそうでちゃんと周りの事を見ている。だからデンさんは私達の上司でいられるのだろう。
まぁ仕事も良くサボるしなまけてるけど。いつも感謝してます。




  




「さぁ!今日は私が奢るから好きなもの食べてね!お酒もじゃんじゃん飲んでいいから!」

「えっと、あ…ありがとうございます…」


仕事帰りに新人君を誘って二人で食事をすることにした。
デンさんに叱られてすごく落ち込んでいる様子の新君の腕を引っ張って、無理矢理亜細亜飯店に連れ込んだ。
確か彼のプロフィールに”ラーメンが好き”って書いてあったもんね。
ギルとアーサーにも「遅くなるから夕食はピザでもとってね」と連絡しておいたし、今夜はとことん食べつくそう。



「あの…先輩」

「んー?どうかした?中華じゃ嫌だった…?」

「いえ、そうじゃなくて…。その、自分は何故先輩と食事をする事になったのかと思いまして…。えっと、つまりその…」

「あー…」


きっと食事に誘われたのはお説教をされるんだとでも思ったんだろうなぁ…。


「そんなにビクビクしなくても大丈夫だよ。今日の件はデンさんからしっかり叱られてるし、説教するつもりも無いから」

「じゃあ…」

「折角面倒見てあげられる後輩ができたんだから少しでも仲良くないたいと思っちゃダメかな?勿論今日の事を慰めて明日からまた頑張ろうって気になってもらいたかったのも理由の一つなんだけど…」

「先輩…」


笑顔を見せて「まぁご飯でも食べながらお喋りしようよ」と微笑めば、緊張が解れたように新人君もへにゃりと笑う。
彼のこんな笑顔を見たのは初めてだなぁ…。


「お待たせしました!八宝菜とラーメンと餃子二人前と酢豚になりまーす!」

「ありがとう湾ちゃん」

「えへへ。後でサービスのデザートも持ってくるねー!」

「うわぁ!いいの!?ありがとう湾ちゃん!耀さん達にもお礼言っておいてね!」

「うん!それじゃあゆっくりしてってね」


花が咲いたような笑顔の湾ちゃんに思わず見とれてしまいそうになった。
可愛いなぁ湾ちゃんは…。
新人君も同じ事を思っていたのか、湾ちゃんをみつめたままボーっとしている彼に「それじゃあいただこうか」と声をかけるとハッとしたような表情を見せる。
湾ちゃんの美しさは罪だね…。




「へー、スノボとかするんだ」

「はい、毎年冬には10回以上雪山に行きますよ」

「すごいなぁ。そうそう、スーさんやティノ君もスノボとかすっごく上手なんだよ!去年大勢で行ってきたんだけどゲレンデの注目の的になってたなぁ…」

「す、すごいですね…!そういえば先輩はティノさん達と仲良いですよね」

「同期だしね。それに二人ともすごく友達想いの良い人なんだよ」

「あの…デンさんと先輩ってすごく仲良いですよね…」

「仲が良いってわけじゃないんだけどなぁ…あの人すぐ私に仕事押し付けてくるし、やたら腕を頭に乗せられて”おめぇの頭は良い腕置きだっぺ!”とかほざきやがるし」

「…へ、へぇ…」

「でもまぁすぐにノルさんが助けてくれたりするんだけどね。私が新人だった頃からうちの部署って女性の正社員がが殆どいなくってさぁ…。まぁ色々あってデンさん面倒見てもらうことになったんだよ」

「あ、あの人が教育係だったんですか…!?」

「うん」

「せ、先輩って見かけによらず…その…タフなんですね…」

「デンさんの下で働くにはタフでないとやってけないのだよ…」

「俺…この先大丈夫なのかな…」


動かしていた橋を止めて、少し俯く新人君。
ここで心配しなくて大丈夫、なんて言ってもまだ何も分からない新人だ。不安になるのも無理はないよね…。


「私も昔ね、仕事を辞めたいなぁって落ち込んだこともあるんだよ」

「……」

「その時デンさんにすっごく厳しい事言われてさぁ。更に落ち込んだよ」

「ど、どんな事を言われたんですか…?」

「”こんな事で諦めんのけ?まぁおめぇ以外も変わりは何人でも居んだからおめぇが辞めてもすぐ他の奴がお前の席に入ってくるっぺな”ってね」

「う、うわぁ…」

「言われた時は本当に落ち込んだなぁ…」

「俺ならそのまま辞めてしまいそうですね…」

「私もショックで辞めたくなったよ…言われた直後はね。だけど家に帰って一人で言われた言葉を思い返すとさ、言われた時には無かった悔しさがだんだん込み上げてきてね。そこまで言われて引き下がっちゃなんだか負けみたいな気分になっちゃってさぁ。絶対にデンさんを見返してやるんだ、って…。それまでは絶対に仕事を辞めないって決めたんだよ」


まぁ未だに「おめぇもまだまだだっぺな!」なんて言われちゃうけどね。


「デンさんも他の皆も期待してくれてるんだよ。厳しい入社試験を合格して入ってきた新人達がどう育っていくのかってね。失敗する事は誰にでもあるよ。私もそうだし、デンさんはよく目上の人たちとの会議で余計な事言って”あの企画却下されたっぺ!”なんて帰ってきたこともあったし…その後は全員で企画を一からやり直してなんとか上にも許可をもらえたんだけどね。そうやって誰かの失敗を皆でフォローしていくのが働くって事じゃないのかな。こんな大きな会社に沢山の社員が居るんだもん…一人で働いているなんて事は無いんだよ。皆で協力して、分け合って働いてるの」


俯いたままの新人君がしばらく黙り込んだ。
しばらくして顔を上げた彼の表情はさっきとはまるで別人のような顔つきで、急に立ち上がったかと思えば深く頭を下げた。


「先輩、ありがとうございます…!明日からまたご指導宜しくお願いします!」

「うん!こっちこそ宜しくね。私も明日からは厳しく指導するから覚悟しておいてね!」

「…はい!」


ちゃんと彼に私の想いが伝えられて良かった。
そうとなれば私も甘い事は言ってられないよね…!
明日からは心を鬼にして指導してあげよう。


「あいやー、話は終わったあるか?」

「耀さん…聞いてたんですか…!?」

「聞いてたんじゃなくて聞こえたあるよ。まぁ人生色々あるあるよ!細かい事にいちいち気にして生きてたら長生きはできねーある!頑張るあるよ新人!」

「え、あ、はい…」

「耀さんは気にしなさすぎだと思うんですけど…」

「一言多いあるよ名。昨日も我を置いて帰ったあるね!悪い子にはデザートはやらんある!」

「えええ!?う、嘘です!嘘ですからデザートを…!」

「ダメある」

「そ、そんなぁああ…!!」


私と耀さんのやり取りを見て楽しそうに笑う新人君が「俺のを分けてあげますよ」とからかうように言った。
この子…あなどれない…!!

結局耀さんではなく香君からのサービスということで食べきれないほどのデザートを頂いてしまった。
残った分は買えってギルとアーサーに食べさせてあげよう。

お店の前で新人君と別る際にまた深々と頭を下げられてしまった。
そんなにたいそれた事はしてないんだけどなぁ…。


「さて、私も帰るとするか。帰ってくるのが遅いってギルに怒られそうだなぁ…」

「ちょっと待つある名」

「なんですか?耀さん」

「お前の上司も連れて帰ってもらいたいあるよ

「……は…?」

「知らなかったあるか?お前らの座ってたテーブルから仕切りを挟んで隣にデンが居たあるよ。料理の食いすぎて今テーブルにうな垂れてるある」

「……」


デンさん…新人君の事が気になって後をつけてきてたのか…。
まったく、しょうがない上司だなぁ…。



「デンさーん」

「ん?おぉ…名ー…」

「ついて来るなら私にくらい連絡してくれれば良かったじゃないですか」

「コッソリ聞き耳立てておめぇがどんな指導をすっか見てみたかったんだっぺ。あーでも食いすぎた…中華料理は脂っこすぎんべ…」

「はいはい。帰りましょう、タクシー拾ってあげますから」

「んおー…」


お酒も入って足元がおぼつかないデンさんに肩を貸し、耀さん達にお礼を言って店を後にした。
タクシーの後部座席でどさくさに紛れて私の膝に頭を乗せてきたデンさんを何発か殴ってやろうかと思ったが…まぁ今回は大目に見ることにしよう。
デンさんが別れ際に小さく呟いた「おめぇの成長っぷりが見れて良かったっペ」という言葉はしっかり私の耳に届いた。


柄にも無く、「この人が上司でよかったなぁ」なんて思ってしまった。





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