※第三者目線のお話です。
亡くなった恋人=ヒロインとなっておりますので嫌悪感を抱かれる方はご注意ください。















「このフィルムの映像を見られるようにしてほしいんだ」





まだ冬に入ったばかりにしては少し似合わない厚めのコートを羽織った男性がたずねて来た。



「これは…」



そっとカウンターの上に置かれた見るからにとても古く、ひょっとするとそれなりの価値のありそうな映像フィルム。
ロンドンにあるひっそりとした路地にあるこの写真館を営んでいる私でもまだこんな古いフィルムは見た事がなかった。



「こ、こんな古いフィルム修理した事がなくて…」

「無理、なのか…?」

「知識はあるのですが…」

「なら頼む。費用と時間はいくらかかってもいい」



正直これ以上ないほどに驚いた。
彼がこの店に足を踏み入れてからというもの、私は驚きっぱなしだったのだ。
こんな小さな写真館で、誰が見てもとてもじゃないけど古い形式ばった店だ。
こんな古くて価値のあるフィルムを直しに来るに値しない。
そもそも彼のような身なりもきちんとした、見るからにお金持ちのようなお客さんはこの店に立ち寄らないのだ。

彼が何故この店を選んだのかは分からないけど、こちらとしては是非やらせてもらいたい仕事だし、こんなチャンスまたとない。

聞こえないように小さく息を吐いて、「わかりました。お預かりいたします」と答えると彼は「ありがとう」と短く答えた。



「ではお名前をご連絡先をお教えいただけますか?」

「アーサー・カークランドだ」




その名前はどこかで聞いた事があるようで、懐かしくも感じた









∴ ∴ ∴







フィルムの修理は予想以上に時間がかかった。
ちゃんと保管していなかった為かあちこち古びている。
それでもなんとか作業は進み、あと少しで修理も終わりそうだった。



「よお、作業進んでるか?」

「アーサーさん!こんにちは」

「悪いな、勝手に入って」

「いえいえ、どうせお客さんも来ませんし。適当に座っててください」

「ああ」



アーサーさんは時々差し入れを持って来てくれるようになった。
やって来ては椅子に座って私が作業をしている姿をじっとみつめている。

よほど大事なフィルムなんだろうなぁ、と身が引き締まると共にちょっと緊張したりもするんだけど。



「なあ、ここは昔髭を蓄えた男が店頭にいなかったか?」

「ああ…私の祖父だと思います。何年か前に亡くなってしまったんですけど」

「…そうだったのか」

「アーサーさんは祖父と顔見知りなんですか?」

「……ああ、随分昔に何度か来た事があったから、な…」



アーサーさんは時々、とても悲しそうな顔をする。
悲しくて、今にも泣いてしまいそうなのに何故か笑っていて。
そんな彼の表情に、私はいつも何も言えないでいるのだ。

彼の苦しみを分かるには、まだ私は彼の事を知らなさすぎる。



「私、小さい頃すごくお爺ちゃん子だったんです。いつも祖父の後ろをついてまわっていて…。カメラの修理をしたり、フィルムを現像したりしている祖父の姿が大好きで…。だから祖父が亡くなった後、この店をたたんでしまおうと話が出たときも猛反対して…それで私が後を継ぐことになったんです」

「もしかしてお前…昔ずっとあの椅子に座っていつもアルバムを読んでなかったか…?」



店内にある木で作られた小さな椅子を指差すアーサーさんに驚きながらも「そうですよ」と答える。


「そっか、あの時の……」


懐かしそうに目を細めるアーサーさんの表情が変わった。
私を見る目がまるで、小さな子供を見ているかのように優しい眼差しだった。

彼って、本当に不思議な人。






∴ ∴ ∴








「できたのか?」

「ええ、できました」



電話をすればすぐに駆けつけてきたアーサーさんは、もう春先に似合う薄手のコート姿で現われた。

お待たせしてすみません、そう告げたけど返事は返ってこなかった。

薄暗い部屋に真っ白なスクリーンを天井から下ろし、祖父が使っていた映写機のスイッチを入れれば色あせたセピアカラーの映像が静かに映し出される。





『えー、本日3月22日。私名は只今アーサーの部屋の前に来ております…』
『ちょっとちょっと名!表情が硬すぎるよ!もっとナチュラルにできないのかい?』
『もう!だったらアルフレッドがやればいいじゃん!』
『俺は撮る方専門なのさ!さぁさぁ、折角のカメラなんだから続けて続けて!』
『お前ら……人の部屋の前で何やってんだこらぁああ!!』
『いぎゃぁああ!!アーサーに見つかったぁあああ!!』
『逃げろー!』
『ちょっ、待てこら!!!』



『ちょっと、なに撮ってんのアーサー!』
『お前の映像を残しておいてやろうと思ってな』
『自分を撮ってればいいじゃん』
『ばぁか、自分を撮っても楽しくないだろ?』
『撮られてる私も楽しくありませんが?』
『不機嫌になんなよ』
『誰のせいだ誰の』



『えーっと、私はすごくアーサーが好きです!料理は不味いし忘れっぽいし元ヤンですぐ拗ねるけど本当はすごく優しくてちょっぴり照れ屋で……そんなアーサーを世界で一番愛してる!』
『……お、ま…!!』
『アーサーは?』
『お、俺だって…俺だって名の事が、誰より一番……』
『誰より一番…?』
『うっ……言えるわけねーだろ馬鹿!!』
『ケチケチしないでよ〜。ね?』
『ちくしょ……!!好きだよ!愛してる!俺はもうお前しか愛せないんだよ!!』
『……アーサー』
『なんだよ…』
『……私ね、本当に幸せ』
『…俺も』





次々に替わっていく映像
映し出された、女性
そして、女性の隣に映し出された、今と全く変わらないアーサーさんの、姿

フィルムが終わり、白いスクリーンにはライトだけが取り残された。

動けなかった。とても不思議な感覚に襲われ、私はずっとこの空間に居座っていたかった




隣に座っているアーサーさんは静かに、泣いていた。









∴ ∴ ∴







「ありがとう。このフィルムを直してくれて」

「いえ…」

「ずっと目を背けてたんだ、これに。思い出すのが怖くて、また辛くなるのが嫌で倉庫の奥にしまってあったんだよ」

「ずいぶん古びていましたからね」

「あぁ……目を背けたって何も変わらないのにな。いつまでも自分の中に閉じこもって、そんな姿をじゃ彼女が哀しむぞって弟に叱られたんだ」



聞けなかった。私の口から聞いてはいけなかった。

代金を支払って、もう一度ありがとうと言った彼は映像の中の笑顔とは全く違う笑顔を見せる。
そう、アーサーさんの笑顔はいつも泣きそうな笑顔。


なぜ貴方の恋人は今貴方の傍に居ないのですか
なぜあんな古いフィルムに、今と変わらぬ姿で映っているのですか
映像の中の貴方は、あんなにも幸せそうなのに…どうして今はそんなに悲しそうなのですか

言葉はあれど喉から出ることは無い


入り口のドアが閉められる。
最後に振り向いた笑顔も、悲しい笑顔
彼が見ているのは私ではなく、彼の中にいつまでも居座り続ける彼女の思い出だけだったのかもしれない


きっと、彼はまた泣くのだろう


外には大粒の雨が降っていた









2010.7.31





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