「父、さん……」


入り口の前に立っていた人物にその場に居た全員の視線が集まった。

父さんって…ギルとルート君の…


「こんな所で何をしている、ルートヴィッヒ」

「父さん…」

「もうこの家には戻らない約束だったんじゃないのか?」

「……っ」

「そんな小さな約束も守れないのか、お前は」


冷たくルートヴィッヒ君に視線を送る、二人にソックリな顔をしている男の人…
どうやらこの人がギルとルート君のお父さんという事らしい



「そこの二人は?いったい誰なんだ」

「この二人は…」

「私は…この一年間ギルと一緒に暮らしてきた、苗字名前です」

「あぁ…」


冷たい目…。まるで何の感情も篭っていないような目だ。


「ここへな何をしに?手切れ金として小切手を渡したはずだが」

「ギルを迎えに来ました」

「はっ。笑わせてくれるな…。わざわざ遠く離れた日本から迎えに来ただと…?」

「はい」

「悪いが私は貴様らのようなやつらに構っている暇はない。ギルベルト、こんな場所に居ないで部屋に戻って与えた課題をこなせ。お前には早く私のような弁護士になってもらわないといけないからな」

「……」

「父さん…俺は…」

「貴様とはもう縁は切れたはずだが?自分から出て行くと言ってまた戻ってくるとはな……本当にお前にはガッカリだ」


鼻で笑って立ち去ろうとする二人の父親にルート君の体が小刻みに震える。


「待ってください。私は…ギルと一緒にまた日本で暮らせるようになるまで絶対に日本には帰りません」

「……それで、君はいったいどうすると?私を脅すか?まったく、我が家には問題だらけだ…。ある日逃走した息子に、浮気相手の子供。こんな事が世間に知れ渡ったらこの家の名が汚れる。そうならない為なら私は金や権力をどれほど使ってでも苦ではない」

「その為なら、子供の自由を奪ってもいいのですか?幸せになってほしいとは、思わないんですか…」

「残念だがそんな感情は持ち合わせていない」

「…嘘です…子供の幸せを願わない親なんて…」

「そう言いきれるか?世界には子供を愛せない親なんて数え切れないほど居ると思うが。でなければ虐待問題などで悩まされる事もなくなるだろうさ」

「それでも貴方は二人をここまで育ててきたんでしょう…?愛が無いなんて、絶対にありません」

「何を根拠に…」

「広間にあった、写真…」

「写真…?」

「ギルとルート君が小さい頃の写真が飾ってありました。二人が満面の笑みで写っている古い写真…。この家から出て行った二人が忘れられなくてあそこに飾っているんじゃないんですか…?」

「違う。あれは…」


なにも感情の篭っていないような冷たい瞳が、ほんの少しの動揺で揺らいだ。


「あれは、あそこに飾ったままにしてあるだけだ。深い意味などない」

「父さん…俺は…」

「煩い…!これ以上何かをしようと言うのなら…本当にこの先の人生を不幸にさせる事だって私にはできるんだぞ…?」

「ギルが居ないのなら……同じ事です。お好きにしてください」

「……っ」

「おい親父…。俺はフリッツ親父が死んで、全てを失ったような気がした。冷たい親。弁護士になると決められた人生。そんな運命が嫌で、フリッツ親父の影を追うようにして世界中を旅して回った…。最後に行き着いたのが、フリッツ親父が好きだった日本…。あそこに居れば、何かが変るんじゃないかと思っていた…。25歳になろうがこんな家、絶対に戻ってやる物かと思っていた。どんな事があっても自由を選ぶってな。けど、今は……名前を…名前とルッツを守ってやりてえと心から思っている。俺がこの家を継ぐならこの二人には絶対に何もしないと言うなら、俺はちゃんとした弁護士になってこの家を継ぐ」

「だめだ兄さん…そんな事許さない…」

「ルートヴィッヒ、お前は親父の不祥事を隠すためにこの家に来たが、俺にとっては大事な家族なんだ」

「兄さんっ…!」

「いい加減にしろ…!!これ以上私の手を煩わせるな…!」

「父さん、聞いてくれ…一度でいいから、俺の話をちゃんと聞いてくれっ…!!!」


ルート君の泣き叫ぶような声に、父親の肩がビクりと揺れた。



「俺は、俺は…父さんに……父さんに俺の事を見て欲しかったんだ…。俺はずっと、貴方に愛されたかった…!!実の父である貴方に、少しでも自分を見てもらいたかった…。どんなに冷酷だとしても、父さんの背中をずっと見つめていた…。ずっと父さんに俺の存在を認めて欲しかったんだ!!」



ルート君の瞳から流れる涙が頬をつたり、床へと落ちてゆく。




「お前は……ずっと私の事を恨んでいるものだと思っていたがな…」

「恨んださ…。実の母親を裏切って、ただの浮気だと手の平を返すように追い払って…。けど、それでも貴方は俺の父なんだ…たった一人の、血のつながった親だ」

「……」

「父さんに認めてもらいたくて、父さんに愛されたくて弁護士になろうと夢見た。それはこの家を出て行った後も変らない……もうこの家に関われないとしても、俺は弁護士になりたいんだ…」

「大学で、弁護士になる為の勉強をしているのか」

「あぁ…日本で兄さんを探す傍ら、弁護士の資格を取ろうと日本の大学に入った…」

「……」



ルート君は、ずっとお父さんに愛してもらいたかったんだね…。
過去の問題を隠すためにこの家に居る存在じゃなくて、この家の家族として認めてもらいたかったんだ…。




「私が……お前の母親を忘れた日は一度も無い」

「…なん、」

「愛していた。今の妻と結婚する前から、ずっと」

「なら、どうして…」

「決められた事だ。名家に生まれたのなら後を継ぐために名のある家の娘と結婚する…古い習わしに捕らえられたままのこの家のやり方に、私も自分自身を犠牲にした」

「……」

「それでも、愛していた。お前の母親を。彼女を亡くした時、お前をこの家に引き取った時、私は全てを捨てた。感情。愛。同情。情け。悲しみ。……その全て捨ててこの古臭い家の習わしのままに生きようと決心した。そう、そのつもりだったんだがな……」


あの日、ギルが私の元を去った時と同じような悲しい笑顔で笑い、涙を流しているルート君の傍までゆっくりと、ゆっくりと歩み寄った。



「お前がそんな風に思っていたなんて少しも思わなかった……」

「…俺も父さんが、母さんの事を今も想っているなんて…知らなかった…」

「……ルートヴィッヒ、ギルベルト…」

「なんだよ」

「……すまなかった」

「……とう、さん」

「小さな頃のお前らをちゃんと愛してやれなくて。お前らの幸せを奪ってしまって…」

「………」



片手をルート君の背中に回し、ぎこちなく引き寄せるだけの抱擁をした父の姿に、ギルの瞳から涙が零れ落ちた。




「兄貴…兄さんも…この事が分かって居たのだろうか…」

「フリッツ親父の事か…?」

「あぁ…あの人はよく私に言っていた…。全てを抑え付ける事はできないんだと…真面目すぎると早死にすると、いつも冗談交じりに私に言っていた…。結局私より先に死んでしまったがな…」

「フリッツ親父は……両親からの愛が無かった分だけ俺たちを愛してくれたんだ」

「……私は…幾つになっても兄さんには敵わない……」


どこかで聞いた事のあるような台詞だなぁ、なんてルート君の顔をチラりと横目で覗いてみると、父親の背中にしっかりと腕を回していた。


二十年間の想いが、やっと伝わったんだね…










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