「…ギル…?」


重いドアをゆっくりと開くと、窓から差し込む夕日のオレンジ色が壁に広がった空間が目に入る。

フルートの音色が止み、視線を部屋の隅に向ける。


「……名前…?」


そこに、居た。

約5日ぶりに会ったギルは相変わらずぽかんと口を開けたまぬけ面で私を見ていた。

ずっと会いたかったギルにやっと会えたという想いと、たった5日聞いていないだけなのになんだか懐かしく感じてしまったその声に、目に、表情に、体の奥底から嬉しさがこみ上げてくる。


「ギル…」

「え、あ……なんだこれ…幻覚か?やべーな俺、幻聴の次は幻覚かよ!とうとう俺様もあの眉毛と同じ幻覚追っかけバカみたいなやつになんのか…死にてえ…」

「誰が幻覚追っかけてるバカだ!!」

「あいつの幻覚も見えるとかマジで俺様やべーんじゃ…。病院行った方がいいのか…?いや、でもこの際幻覚でもいいか…」

「おーいギルさーん。現実見てー」

「うるせえよ幻覚。幻覚ならもっと胸でかくなれよお前。あとメイド服と猫耳な!あれすんげえ似合ってたから。そしてご主人様と呼べ!」

「誰が呼ぶかボケェエエエエ!!」

「ゴファッ!!!!」


ケセセセと高笑いをし私を指差すギルの顎の下から拳を振り上げるようにしてアッパーをくらわせる。

宙に浮いたギルの体が壁にぶつかり、後に立っていたアーサーが「K.O…」と小さく呟いた。


「何す…あれ、痛い……幻覚に殴られた…?」

「幻覚じゃ、ねえええええ!!!!」

「うおっ!?」


倒れているギルの胸倉を掴み、地面に膝をつく。
力が抜け落ちるような感覚に襲われ、必死に震える手でギルの服を握り締めた。


「馬鹿ギル…!私がどれだけ心配して、皆に沢山心配かけて…何がお前を守るためだよドアホが!!私とルート君に相談もなしに自分一人で抱え込んで…ギルの事忘れろなんて…」

「お前…本物の名前、か…?」

「そうだよ…。皆の力でやっとここまで来れたんだから…」

「なん、」

「一緒に帰ろうよ、ギル…。プー太郎でもいいから、ずっと一緒に居てよ。あの部屋で一人になるのは辛いよ…」

「……名前…」


ゆっくりと、ギルの手の平が私の頬に触れる直前、ピタリとその動きを止めた。



「俺は…」

「ギル…?」

「だめだ…。もう戻れない…」

「なん、で…」

「アーサー…こいつ連れて日本に帰れ。後の事は頼むぜ」

「……」


その言葉に体中の力が抜け落ち、服を掴んでいた手がだらんと重力に任せて床に落ちた。



「ギル…なんで…」

「俺は…この家を継がなきゃなんねーんだよ…」

「やだ。やだよ…」

「俺は弁護士になって、代々続いてきたこの家を継ぐ。お前は日本で…日本で…」

「ギル…」

「日本で、いい男捕まえて結婚して子供産んで幸せに暮らして年取れ!!俺の事は綺麗さっぱり忘れろ…!!」

「できるわけないじゃない……そんな事できると思ってんの!?」

「…俺は忘れられる」

「……」

「あんな思い出、忘れた方がよっぽど楽だ」

「……」

「どうでもいいんだよ、もう」


だから、お前は日本で幸せになってくれ。

床に転がったフルートを手に取り、ケースにしまったギルが私の隣を横切った。

どうでも、いい…?

あんなに沢山、ずっと、一緒に居た楽しい思いでも…ギルにとってはもう、どうでもいい事なの…?



「お前…いい加減分かれよ」

「んだよ…」

「気づけって言ってんだよ」


背中から聞える、アーサーの小さな声。

バキッ、と聞きなれない音が聞えて、咄嗟に首を後に回す。



「いってぇな…」

「アーサー…」

「お前なんだよ」


ギルを殴った右手で、床に尻餅をついたギルの胸倉を掴み持ち上げたアーサーが震えた。



「お前なんだよ!いつも名前を泣かせてんのはお前なんだよ!!いい加減わかんねーのかよ馬鹿!!あいつはお前が居ないと、幸せになんてなれねーんだよ…!!いつもあいつが泣いてる時に居ない奴が…何も分かってないのはお前だけなんだよ…!!!」

「…アーサー…」

「お前、こいつが泣いてるとこ見たことあるか…?いつか名前が夜道で痴漢に襲われた時…あいつはずっとお前の名前を呼んで泣いてたんだよ…!!普段絶対泣きやしないこいつが、小さな頃から人前で泣く事をしなかったこいつが泣いたのは、全部お前のせいなんだよ馬鹿!!」

「……」

「それが分かんねーくせにこいつの幸せを願うだと…?こいつの幸せを分かってやれないお前にそれができるかよ。言っとくけど、俺はお前が大嫌いだからな。本当ならここで殴り殺してやりたいぐらいだ…!けど、お前なんだよ……他の誰でもない、こいつが求めてんのはお前なんだ…!!」


殴られた左の頬が赤くなっているギルが大きく目を見開いた後に、ぎゅっとアーサーの胸倉を掴み返した。



「俺だって…お前みたいな眉毛にこいつの事任せるとか最悪すぎるんだよ…。でもなぁ、俺がこの家を継がないと…名前とルッツを不幸にする…。こいつら二人だけじゃねえ。名前の爺さんや婆さん…本田やトニーやエリザ…あいつら皆が辛くなんだよ…」

「それじゃあ今も同じだろーが!!」

「じゃあどーすりゃいいんだよ!?」

「やめるんだ二人とも!!」


今にも殴り合いを始めそうな二人の間を割って入ってきたルート君に二人の体が引き剥がされる。


「……ルッツ」

「兄さん、もう自分を犠牲にするのはやめてくれ…俺の事はもういいんだ…!!兄さんが幸せなら俺はそれでいい…!」

「だめだ。絶対にだめだ。約束したんだよ…フリッツ親父と…」

「約束って…」

「弟のお前を守れって…それから、いかなる時も自分の信念のままに生きろと…」

「…これが兄さんの信念だというのか…?俺にはそうは思えないな」

「…お前…」


パタ、と小さな足音と共に辺りが静まり返る。



「そこで何をしているんだ」










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