今度はしっかりとした足取りで本田さん家に戻ると、額に汗をかいたルート君とフェリ君とロヴィーノ君の姿があった。 「三人で来てくれたんだ…」 「当たり前だろちくしょー!お前が心配で…」 「名前、大丈夫…?目ぇ赤いよ…」 駆け寄ってきたフェリ君が私の顔を覗き込み、親指で私の目元をそっと撫でた。 「心配かけてごめんね。大丈夫だよ」 困ったように笑って見せると、アーサーと同じように驚いたような表情を見せたロヴィーノ君が前触れもなく私の体を引き寄せて腕の中に閉じ込めた。 「え、ちょっと、何ロヴィーノ君…?」 「何してんだよテメェ…!」 「お前が辛そうなのに笑ってるからだろちくしょー…」 「ロヴィーノ君……」 「退いてくれロヴィーノ。名前と話がしたい」 ロヴィーノ君の体が離れて、目の前にルート君がやってくる。 まだ驚きが隠せないといった目をしたルート君が私を見つめた。 「大体の事はさっき本田から聞いた」 「うん」 「……おそらく兄さんは…。いや、間違いない…。父の言いつけで家に戻ったんだ…」 「お父さん、の…」 「俺も知らなかったんだ…父と兄さんがそんな約束をしていただなんて…。父がそこまで兄さんを跡継ぎにさせたがっているだなんて…。知っていたらもっと早くに…」 「どういう事なんですか、ルートヴィッヒさん」 「ルートの家はね、昔から政治家のお抱えの弁護士をやってるんだよ。古くからある名家としても有名で、色んな政治家をサポートしてきた優秀な一家なんだ」 「そして俺は…俺は…」 「ここからは私が説明するわ、ルートヴィッヒ。貴方の口から言うのは辛いでしょうから…」 「エリザ…!?」 「フェリちゃんから連絡を貰って今さっき来たの。名前…辛かったわね…大丈夫?」 「エリザ…」 エリザが私の手を取って優しく撫でる。 また涙が溢れそうになるのを必死に堪えて「大丈夫だよ」と呟くと、エリザが優しい笑みを見せてくれた。 「ルートヴィッヒとギルベルトはね…本当の兄弟じゃないのよ…」 「え…?」 「本当の兄弟じゃない、って言うのは言い方がおかしかったわね…。正しくは異母兄弟というやつよ。母親が違うの」 「……その通りだ」 苦しそうに顔を顰めたルート君が俯く。 ギルとルート君が異母兄弟って… 「ルートの母親はね、ギルベルトの父親の浮気相手だったのよ。ルートの母親はルートが生まれて女手一つで子供を育てて…元々体が弱かったから…病気で亡くなってしまったのよ」 「……」 「まだ小さなルートは父親の元、バイルシュミット家に引き取られる事になった」 「バイルシュミットって……」 「アーサーさん、ご存知なんですか?」 「あぁ…」 「政治家お抱えって事で沢山の資産もある。広い家に住んでいて使用人や彼の父親に従う者も居る。そんな家庭で育ったのよ、あいつは。広くて大きな屋敷。なのに暖かさをほんの少しも感じない冷たい家だったのをよく覚えているわ」 「俺がバイルシュミット家に引き取られたのには理由があったんだ…」 「有名な政治家お抱えの弁護士が浮気なんて不始末を起こすなんて大きな問題だったんでしょうね。外に漏れる前にルートヴィッヒを引き取りあたかも本妻の産んだ次男と言って突き通したのよ」 「そんなのって…」 「考えられないかもしれないけど、本当の事なのよ…」 信じられない…ギルとルート君の家にそんな事があっただなんて…。 そしてギルの家が、そんな家庭だっただなんて事が… 「父も母も引き取った俺に関心の一つも見せなかった。居ても居なくても同じだとな」 「そんなのって…」 「居場所が無くて本当に辛かった…けど、兄さんは違ったんだ。俺を本当の弟のように可愛がってくれて、遊んでくれて…。俺もそんな兄さんが大好きでいつも後をついて回っていた」 「ギルは産まれた時から父親の跡継ぎとして育てられたのよ。昔からある弁護士一家として有名だから、子供が生まれる度にそうやって来たのよ。けどギルベルトは…知っての通り反抗意欲の強い奴で家業を継ぐ気なんてなかったのよ」 「そんな兄さんが突然居なくなったは、兄さんが18歳の時だった。…叔父である、フリッツ親父が死んだ後に…」 「フリッツ、さん…?」 「ギルベルトの父親の兄でギルベルトを本当の息子のように可愛がっていた、とても優しい方だったわ…。あいつも本当の父親のように慕って…」 「弁護士になるための厳しい教育を受けていた兄さんと、誰からも興味を持たれない俺にとってフリッツ親父は心の支えだった。辛い事があっても苦しい事があっても、親父に話せば全て救われるような気がした…」 「そんな彼が亡くなってからしばらくして、ギルベルトはあの家を出て行ったのよ」 「俺にも何も言わず、一人で…」 「じゃあギルが25歳になったら戻るという約束だったって言ってたのは…」 「たぶん、お父さんとの約束だったんでしょうね。いつ、そんな約束をしたのかは分からないけど…」 「けど私、ギルを拾った日…あの時ギルは怪我をしていて…。それにも何か事情があるんだと思ってたんだけど…」 「少し手荒な真似をしてでも連れ戻そうとするのが父だ…考えられない事もない」 「じゃああのギルを迎えに来た人は…」 「恐らく父に雇われた人間だろう…。名前、そいつに小切手か何かを渡されなかったか?」 「あ…うん。その男の人から好きな額を書けって…その代わりギルの事を誰かに話せば先の人生無い物と思えみたいな事を言っていたような…」 「金と権力で名前を引き離そうとしたのか…。俺の時と同じやり方だな」 「ルート君と同じ…?」 「俺は今一生暮らすに充分すぎる金だけを渡されて生活をしている。金を渡す代わりに、絶対に自分の母親の事は誰にも言うなとな」 「ギルが自ら家に戻る理由もそれね…。…拒めば、名前とルートにも手が及ぶって…」 私と…ルート君を守るために…。 「ごめんなさいね、名前…。あいつの家の事知っていたのに話さなくて。まさかそんな約束していたなんて知らなかったの…ううん、この事はできるなら私も話したくなかった。自分の過去を思い出す事になるからね…」 「エリザ…。…ギル、私を守りたいからって…俺の事は忘れろって…それから、ルート君の事頼むって」 「…兄さん…っ」 「勝手すぎるだろ…だったら最初から名前の家で住まなかったら良かった事だろうが…!」 「最初は約束なんて守る気は無かったって…自分の為なら自由を選ぶつもりだったって…」 「お前と一緒に暮らして、守りたいと思ったからこその選択だったんだな…」 俯いていたルート君が泣きそうな顔で顔を上げた。 ゆっくりと頷けば、「兄さんらしいな」と悲しそうに笑みを浮かべる。 「ルートは家に連絡はできないの?ギルが今どこに居るかとか…もうドイツに帰っていたとしてももう一度会って殴ってやらないと気がすまないわ。名前をこんなに泣かせて…どんな理由があろうとも私の大事な名前を泣かせたなんて許せない…!」 「エリザ…」 「やってはみるが無理だろうな…。父は俺の意見なんて聞かないからな」 「俺も何かできないか調べてみる。もしかするとこっちの会社の名前を使えば出来る事があるかもしれないからな」 「ありがとう、アーサー」 「……あぁ」 「名前、俺ギルベルトが帰ってくるまでずっと名前の傍に居るからね」 「…帰って来る、かな」 「大丈夫だよ。絶対に帰って来る。じゃないと誰が名前をいつもの笑顔に戻してくれるの?きっとそれは俺にも他の誰にもできない。ギルベルトにしかできないんだよ。もしこのまま名前がいつもの名前に戻らなかったら、俺怒ってギルベルトの家に乗り込みに行くからね!」 「……ありがとう、フェリ君…」 「いいとこ取りやがって…でもよく言ったな、フェリシアーノ」 「えへへ」 「もうこんな時間ですね…。日も暮れてきましたし夕飯の準備をしましょう。皆さん今日はここで食べて行ってくださいね」 「私も手伝いますね、菊さん」 「ありがとうございます」 「ねー菊、今日泊まっていってもいいよね?だって俺名前の傍離れたくないし」 「しょうがないですね…。名前さんも泊まって行ってください。一人であの家に居るのは辛いでしょうから」 「はい。そうさせてもらいます」 「名前……」 「ルート君…?」 「絶対に、絶対に兄さんをお前の所に連れ戻すと約束する。だから悲しみで泣くのはもう止めてくれ。…絶対に、俺がなんとかしてみせる。約束だ」 「ルート君…っ!」 堪えきれずルート君に体にしがみつく様に飛びつくと、力強く背に腕を回された。 大丈夫。きっとギルは戻ってきてくれる。 こんなにも沢山の皆が私とギルの為に力を尽くしてくれて… 皆が居なかったら私、ずっとあの一人ぼっちの家で涙が枯れても泣き続けていただろう。 暗い闇の深い場所で、ただギルの名前を呼び続けいた。 「あいつが帰ってきたら皆で一発づつ殴ってやりましょう」 「賛成!再起不能になるまで殴ったればええねんあんなアホ!」 「そうですね、私も一つ爺の本気を見せてやりましょうか…。私が本気になればカメハメ波や霊丸の一つや二つ簡単な事です」 「なんや菊ならほんまに指先からビーム出そうやなぁ」 「菊さんは漫画家の神様ですもの。それぐらいきっとできるわ」 「菊すっげぇー!」 「さぁ、フェリシアーノ君もロヴィーノ君も手伝ってください。今夜は名前さんを元気づけられるような美味しい夕飯を作りますよ」 「ヴァ・ベーネ〜!じゃあパスタとかピッツァだよねー!」 「パスタもピッツァも家にはありませんよ」 「俺も何か手伝えることは…」 「アーサーさんは台所に入らないでください」 「え……」 重い空気を変えようとしてくれている皆のやり取りに、ルート君と二人顔を見合わせて笑った。 大丈夫。絶対に、ギルを連れ戻す。 それまで、もう涙を流すのはお預けだ。 次に泣く時はギルとまた一緒にあの家で暮らす事ができた時。 また皆で一緒に笑いあって、いつものように「幸せだなぁ」なんて思える時になるまでもう泣かないよ、私は。 「やっぱり私も手伝うよ」と台所に入れば本田さんが「ではじゃが芋の皮を剥いていただけますか?」と嬉しそうに笑う。 台所の隅で「何で俺はダメなんだよ」とアーサーが少し涙混じりに呟いた。 . ←|→ |