「気持ち悪い…」


胸のあたりがもやもやして頭がガンガンと傷む。
何度も体験したこの二日酔いに朝から仕事に行く気も起こらなかったが、今日は大事な会議がある日だ。投げ出す事はできないな。

昨日の夜は名前と飲んで…目が覚めたらあいつの家のソファーで寝ていた。
また記憶が無い。その上名前は機嫌悪いし…プー太郎には普通に接してるのに(むしろいつもより優しかった気がする)俺に対しては冷たい態度で…。
また酔ってる時に何かしかたのか、俺は…。


「なんだいアーサー。顔色が悪いな」

「夕べ少し飲みすぎて…」

「君が酔うなんて。また例の彼女と一緒だったのかな?じゃないと君はいつも酔う前にセーブしてるからね」


他の女性に対しても同じかな。にやりと笑う上司がエレベーターから下りたのを確認し、自分も後から続く。
自分の上司ながら食えない人だ。

それにしても…昨日の事が思い出せないけど、俺何したんだっけ…。
名前と飲み始めて…。薄暗い個室に加えて俺の話を聞いてくれる名前がいつもより…可愛いなんて思ってたらだんだん酒も進んで行って…。
確か…見合の話、とかしたよな。
それから飲んで飲んで飲んで飲んで…


「って…あああああああ!!!」


蘇ったとんでもない昨夜の記憶に思わず声をあげて立ち上がる。
ちょっと待て!!あの時あいつに…。
う、嘘だろオォオオイ!!!


「アーサー。今会議中だから叫ぶのは後にしようか」

「……あ」


我に返り周りを見渡すと、驚いた表情でこちらを見つめる業界の重鎮達が。
やべ…会議中って事すっかり忘れてた…。
と、ともかく後で名前に電話してみるか…。
でもなんて言うかな、あいつ…。朝もかなり怒ってたたし…
なんで酒の勢いなんかに任せてあんな一世一代のプロポーズしちまったんだよ俺は!!バカバカバカバカァア!!!!



「アーサー、この後どこかランチに「すみません、用があるので!!」


上司の誘いを断り全力失踪で会議室を立ち去る。
誰もいない場所を選び、震える手と嫌な汗が流れて爆発しそうな心臓を抑えて携帯の通話ボタンを押した。



『只今留守にしておりまぁーす。ご用のある酔っ払い変態紳士はピーという音の後にメッセージを残してくださーい。ピーーーー』

「いや、その…昨日は悪かったよ…」

『なんか用?』


明らかに機嫌の悪そうな名前の声に背筋の汗が流れ落ちる。


「あの…今日の帰り、時間あるか?」

『あるけど』

「じゃあ終わったら駅前のケーキ屋に…」

『ん、分かった』


それだけ伝えると一方的に通話を終了させられた。
う…やっぱり怒ってる、よな…。
呼び出したのはいいけど、あいつに会ってなんて言言えばいいんだよ…。



――――



「アーサーのやつ…」

「どうかしたんですか?名前さん」

「ううん、なんでもないよ」

「朝から様子が変だべ」

「だいじょぶです。あ。今日ちょっと早く上がらせてもらうねー」

「あ、はい。大丈夫ですよ!」


アーサーのやつ…いきなり電話かけてきたけど、もしかして昨日の事思い出さしたのかな…。
会って、何を言われるんだろう…。
まぁ行ってみるしかないか。

デンさんに押し付けられた仕事を手っ取り早く終わらせ、いつもより早く会社を出る。
アーサーと何度か行った駅前のケーキ屋さんに入り、店内を見回すとテーブル席に見覚えの少しぼさぼさとした金髪。
一度深呼吸をしてからテーブルに近づき、後ろからポンポンとアーサーの肩を叩くと彼の口から「うひゃ!?」と間の抜けた声が飛び出た。


「び、ビックリするだろバカ!!」

「普通に肩叩いただけじゃん」


アーサーの向かい側に座り、注文を聞きに来た店員さんに「モンブランと紅茶を」とお願いする。
コートを椅子の背に掛けほっと一息つけば、間髪入れずアーサーが言葉を投げかけた。


「あの!!き、昨日は悪かった、な…。その、俺すっごい酔っ払ってて色々忘れてて…」

「思い出したの?」

「えっと…まぁ…うん」


思い出したのか。
良かったのか悪かったのか分からないなぁ…。
確かに昨日お酒の勢いに任せて「結婚しよう」、だとか言われたのは事実なんだけど…。


「もういいよ。許す。飲みに行くのつきあうって言ったの私だし」

「ごめん。それでその、昨日俺が言った事なんだが…」

「それも許す。凄いこと言われちゃったけど、酔っていった事だし。水に流して忘れるし…」


そう。真に受ける事じゃないんだよね。
アーサーの酔っ払い癖は何時もの事なんだし。
「結婚しよう」だなんて本気でいうわけがない。
だけどこの行き場のないもやもやとした気持ちはいったいどうすれば取り除くことができるんだろうか。

早々と店員さんが持ってきてくれたモンブランと紅茶を受け取り、ティーカップに入れるべくテーブルの上の砂糖に手を伸ばす。
するといきなりアーサーの手が私の手首を掴み、少し痛いぐらいにぎゅっと力を込めた。
本当にこいつは手を掴むのが好きだな。
少し睨みを利かせて顔を上げると、昨夜と同じ…
違っている所といえば今の彼には全くお酒が入っていないというところだろうか。
そう、昨夜と同じ真剣な表情でこちらをみつめるアーサーの顔がそこにあった。


「流すなよ」

「あの、アーサー」

「流すな。もう流されるのは嫌なんだ」


それは…どういう意味でしょうか…


「お前は俺の事どう思ってるんだ?」

「どうって…信頼のできる友達でお隣さんで…」

「それだけか?本当に、それだけなのか?」

「…」


苦しそうな表情をするアーサーに言葉が詰まった。
それだけじゃない。それだけじゃない感情がある事を自分でも少しずつ認めつつあるのは事実だ。
だけどこれがいったいどういうのもなのかは分からない。
いや、認められないのかもしれない。
自分の中で、何かが引っかかってしまう。
あぁ、頭がぐるぐるしてきた…。
日も暮れてきたし…。帰ったらギル、帰りが遅いって怒るかな…。


「ねえ、アーサー」

「なんだよ」

「私もまた分からないんだよね」

「は…?」

「この間さ、トニーさんに告白されたの」

「はぁ…って、はぁああああああ!?」

「好きだって。それで私フランシスさんに相談に乗ってもらって…素直な気持ち言ったんだ。トニーさんに。今はこの現状が幸せで。でもトニーさんに告白してもらって本当に嬉しかったし、トニーさんの事大好きだって」

「お前…」

「だから、また素直に言うんだけどね。まだ分からないんだ。自分でもなんだか理解できないんだけど…変るのが怖いって言うのかな…。ギルが私の家に居て、アーサーが隣の家に居て。近所に本田さんが居てアンダンテにエリザやローデさん、遊びに来てくれるトニーさんやフランシスさんが居て…。こんなに毎日が幸せなことって私、今まで感じなかった事だから。だから、変る事が怖いんだと思う」


そう、全てはギルが来たことから始まった。
毎日が幸せなんだって感じることは今までなかったから。
自分には両親が居なくて小さい頃から祖父母に育てられて。何一つ不自由のない生活を送らせてもらった。
それももちろん幸せなことなんだって、今になっては思える事だけど

こうやって毎日、皆と居れる幸せだとか、大切な人が傍に居てくれる幸せを感じた事が無かったんだ。


「だから今はまだ、分からない、です」

「……」

「だけどなんていうのかな…自分の中でアーサーに対する気持ちというか…そんなものが少しずつ変っていると言いますか…。ごめん、上手く言えないけど」


それから一言も言葉を発しなかったアーサーは、黙ってケーキと紅茶二つ分の支払いを済まし外に出る。
自分も後に続くように外に出てみれば、空はもう真っ黒に染まっていた。

少し距離を空けて、アーサーが数歩先を歩いているのを追いかけるように下を向きながら歩いた。

いきなり視界にアーサーの靴が現れたかと思うと、顔を上げる前にきつく体を抱きしめられ、今彼がどんな顔をして居るのか伺う事ができなかった。


だけどきっと、アーサーの事だから



「やっぱり、好きだ」

「泣くなよバカ…」






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