book | ナノ




デッキからTHE FOOLのカードを抜き出して、警告のつもりでテーブルに置く。誰もいないアジトは耳が痛くなる程に静かだ。サテライトを制覇してから、各々で過ごす夜が増えた。今まで四六時中一緒だったのかといえば、そういう訳ではないけれど。私は紅一点だし、ノリの良いタイプではなかったから。それでもたまに全員揃って夕飯を食べたり、カードを片手に作戦会議したりする日常。それが崩れていくような、そんな気がしている。堪えきれなくなって、外に出た。
「こんな夜中にふらふらと、一体何をしている」
「それはこっちの台詞だよ」
サテライトの夜は、昏い。明かりの無い外灯にもたれて腕を組んだ。
「鬼柳がそんなに心配?」
「どういう意味だ?」
ジャックは露骨に顔を顰めた。背が高く、整った貌立ちをした彼には荒廃の夜がよく似合っている。
「そのままの意味だよ、少し妬けるね」
無意味な戯れ事ばかりが吐き出されて、つみ重なっていく。伝えなければならないのはこれではない。言わなければならないのはこんなことではない筈なのだ。わかっているのに確信をつく言葉をみつけられない己の拙さに、若さ故の傲慢さを見る。
「お前の言動も鬼柳の行動も俺には何一つ理解できん」
私を遥かに上回る驕慢さでジャックは言った。私はこの場にいない頭の空っぽな、或いは伽藍洞なふりをした私たちのリーダーの顔を思い描く。彼はどこまでも相互理解を、それを仲間の第一条件として執拗に求めていたけれども、大切な仲間の一人には微塵も伝わっていなかったらしい。ジャックは理解することも理解されることも等しく屈辱だと感じる類いの稀有な性質の持ち主だから、ある程度は仕方無いのだが、それにつけても私はほんの少し鬼柳に同情した。しかし、もし今目の前にいるのが鬼柳だったならば、私はジャックのほうに同情しただろう。どちらも私にとって同じくらい大事な仲間なのだ。
「戻るぞ」
ジャックは吐き捨てるように短くそう言って、当たり前みたいに私の肩を抱く。どこに戻るのかなんて今更問うまでもなかった。私たちに戻れる場所なんて、あの埃っぽい廃ビルしかないのだ。
「寝台を半分貸してやろう」
どうだ、と言わんばかりにジャックが甘く囁く。鬼柳と同じくらい、というのは訂正しよう。ただ大事な仲間と定義してしまうには、私とジャックの関係は些か不健全だろうから。
「あれ、お前等も今帰り?」
文字通りお先真っ暗なそこの路地を曲がってきたのはクロウだった。密着しかけていた私とジャックの体は、人の気配に気付いた時点で示し合わせたように離れている。仲間として不自然じゃない距離感。そう思っているのは私たちだけかもしれないが。
「デートなら昼間やれよ、僻まれて刺されるぜ?」
苦笑して派手な頭を振りながら、歩みを進めるクロウの背中。物騒なことを言いながら、いとも容易く晒される背中。そこにある油断は信頼なのか怠慢なのか、はたまた余裕の顕れか。穿った見解だと、自覚はあった。クロウは歩みを止めない。ジャックが後に続く。来た道が闇なら、行く先もまた闇だ。私たちの日常はいつだって暗闇の中だったのに、それをずっと忘れていた。私たちが光だと錯覚していたものは一体何だったのだろう。室内は私が外に出る前の状態に保たれていた。帰宅した私がジャックの部屋を訪れるまでにはかれこれ時間がかかったのだが、鬼柳と遊星はまだ戻らない。多分、違う場所で別々の朝を迎えるのだろう。何故だか、そう思った。
私たちが拠点にしているこの建物は、広さも雰囲気も申し分無いのだが、フロアによっては天井がごっそり欠けていて、雨ざらしになっている。アウトロー気取りの鬼柳がそこに机を置いた。以来、仕舞われることなくそこに鎮座している。作戦会議や決闘の際に幾度となく重宝されてきた代物だ。今はジャックと遊星が使っている。
「おはよう」
決闘の途中だというのに、入室してきた私の姿に気付いた遊星はカードから視線をあげた。私も軽く挨拶を返す。図らずも至福の時間を中断されるかたちとなったジャックが不快そうに眉を顰めた。
「俺のターン!」
叩きつけるようなジャックの低いけれどよく通る声をバックグラウンドミュージックにして、破れかけた革張りのソファーに凭れて、微睡むように軽く眼を閉じた。ついさっき目を覚ましたところなのに、もう眠たいなんて、なんだか可笑しい。このソファーはこの時間はアルバイトに勢を出しているであろうクロウが何処かから貰ってきたもので、佇まいから判断するに、なかなかの骨董品である。
「こんなところで寝るな」
そう言って私の肩を強く押したのがジャックであることに、目を開けるまでもなく、その声を耳にするより一拍だけ早く気づいてしまうこと以上の幸福が果たして存在し得るだろうかと、ジャックと知り合ってから、そんなことばかり考えている。この関係に名前はいらない。鬼柳は昨日から戻ってないのだろう。思い付いてしまえば、それは確認するまでもなく事実になった。
「何処か行くの?」
その問い掛けは答えず、ジャックは黙って私と目を合わせた。それはとても真摯なことのように思えた。奇妙なことに。


「おねえちゃん、チームサティスファクションの人でしょう?」
昨日までの棲処を出たところで、見知らぬ子供に声を掛けられた。持ち物はトランクだけ。あの変なジャケットはクローゼットに、デュエルディスクはジャックの部屋に、それぞれ置いてきた。私があのチームに所属していた物的証拠は何一つ無い。私は子供の記憶力の良さに素直に感心して、頭を撫でてやった。向こうのフェンスに寄りかかって私を待つジャックが苛立たしげにこちらに視線を寄越す。残念ながら、私たちはもうチームサティスファクションの人ではない。居場所と仲間を永劫に失って、それに伴う青春のすべてに終止符を打ったあの夜は土砂降りの雨だったのに、この馬鹿みたいに明るい陽射しは何事だろう。ジャックと二人きりの暮らしが始まるというのに、私の胸は荒涼と渇いていて、それが不思議に快かった。もう誰のことも同情しなくて済む。私は薄く微笑んで、テーブルに置きっぱなしにしてきた愚者のカードのことを思った。
「もう無いんだよ、そんなチーム」
ジャックの端整な顔が一瞬だけ、遠目でもわかる程にぐしゃりと歪んだ。

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