book | ナノ




「サテライトを制覇したら、どうなるのかな」
一体どれ程の間、その疑問を胸の内で持て余したのだろうか。連れ出した事でようやく吐露されたその声は、決して小さく無かったのに、ハッキリと自分の耳に届いたのに、穏やかな波の音にさえ掻き消されてしまいそうだったと遊星は感じた。
元々寡黙な遊星を補う様に、二人で並べば会話の大半を担ってくれたのはナマエだった。しかし此処最近、時折不自然に口数の減る彼女は考えるところがあるらしい。現に、あのアジトから連れ出してから今の今まで、遊星とナマエの間に会話と呼べるものは無かった。今更気まずい沈黙を感じる仲では無かったので気に留める事は無かったが、それさえも結局は連れ出された理由を察していたナマエによって破られることとなった。普段の明るさを含まないナマエの様子に遊星はゆっくりと振り返る。彼女は自分よりも二歩後ろで立ち止まっていた。

子供の頃に思い描いた色鮮やかで限りの無いものを抱き続けるには、このサテライトはあまりに荒れ果て過ぎていた。それでもそれを捨てる何てことは出来なかったし、味気の無く色褪せた現実と相反してより一層に眩しくなっていくそれとの間で葛藤していたオレたちに目標をくれたのは、鬼柳だった。
例えそれが相反する両方から目を逸らす一時のものであったとしても、「今日を生きる」以外の目的を得たオレたちは、自分たちの好きなデュエルで切り開くことの出来るそれに没頭した。ただ今が楽しくて、その先のことなど考えたことも無かった。――いや、もしかしたら考えないようにしていたのかもしれない。サテライト制覇に乗り出した直後なら、心配するにはまだ早いと笑い話になっただろう。けれど、手が届きそうになっている今なら。それはナマエだけではなく、口に出さずとも全員が一度は考えていても可笑しいことではないのだ。

サテライトを、限りのある狭い世界を制覇したら。あの地図を真っ黒に塗り潰しきってしまったら。次にオレたちはどうするのだろうか。それはきっと「もしも」の話では無いだろう。度々鬼柳とクロウが「制覇も夢じゃねえな!」と盛り上がり、ジャックが「当たり前だろう」と自信を持って、オレも「ああ!」と返した。それに対して応援してくれた笑顔の裏で、ナマエはいつからこの不安を抱えていたのだろうか。
「私さ、ずっと続けばいいのにって、思っちゃうんだ」
在り来たりな終わらない冒険の話みたいに。終わらなければいいのにって。
サテライトを制覇したら、また新しい土地が出現したり、新しいギャングが出現したりしてさ。……って、さすがに新しい土地は無いか。
そんなことがあったら元々悩んでなんかいないよね。あはは、と眉尻を下げながら力無く、それでも気丈そうに笑うナマエはきっとオレたちの中で誰よりも今が続くことを望んで、そして誰よりもそれが不可能だと分かっている。そんな彼女に遊星は何とも形容しがたい焦燥感にも似た感情を抱いた。

「ナマエ」
真っ直ぐ彼女を見つめても、諦めた様に海を眺める瞳と視線が交わることは無い。
「サテライトを制覇した後のオレたちが、どうなるかは分からない」
「…………」
オレも今が楽しいと感じる。けれど、だからと言ってナマエが願ってくれる様に永遠に続けることも出来ない。少しだけ視線を険しくした様に見えるナマエは、暗に「負けることも出来ない」と言ったことも分かってくれただろう。勝つことが制覇することに繋がるように、もしかしたらナマエの願う永遠は、負ければ訪れるかもしれないものだから。
「分かってるよ」
そんなの、分かってる。負けて欲しいだなんて思ってない。負ける遊星たちなんて見たくない。とうとう海からも視線を外して、古びたコンクリートの地面を見るように俯いたナマエに、言葉選びを誤っただろうかと思う。これが鬼柳やクロウなら持ち前の面倒見の良さでもっと上手く、ジャックなら回りくどく無くナマエを奮い立たせることが出来たのだろうか。俯く瞬間に垣間見られたナマエのくしゃりと歪められた表情に居たたまれなくなって伸ばしかけた手の平を、届かせるにはまだ早い。どうか最後まで聞いて欲しい。
「だから約束する」
此処から先は言い方も何も関係の無い、オレが君にする約束だから

「見えない未来の先でも、オレはずっとナマエの隣にいる」

想像できないほど長い未来の先も、ずっと隣にいるから。
だから何があっても最後には笑っていて欲しい、なんて思うのは我侭だって分かっているけど。弾かれる様に顔を上げて、ようやく目が合ったナマエが気恥ずかしそうに、それでも嬉しそうに笑った。

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