05 ゲンエイリョダンとクモ
▽▽▽
 私は子どもが好きだ、ったと思う。確か。
 広場に近づくたび僅かに緊張する胸を落ち着かせながら、私はそう自分に言い聞かせた。広場で遊んでいるのは、ここから見る限り、小学生くらいの子どもたちだった。ぽんぽん跳ねているのはボールだろう。  
昔の遊びに「ケマリ」とかいうのがあったような、それに似ているような、よく思い出せないけど、と考えていると、突然、ボールが大きく跳ねた。もう大分広場に近づいていたから、私はそれを見上げるために首を反らせた。あんなに高いところまでボールを蹴り上げられるなんて、子どものくせにどういった脚力なのだろうか。

「お姉さん、僕らに何の用?」

 ぱっと視線を戻すと、目の前に立った男の子がこちらを見ていた。黒髪の間から覗く青い瞳に、返事を忘れて思わず見惚れてしまう。男の子は構わず続ける。

「僕らのこと見ていたでしょう、さっきからずっと。別に、それは良いんだけど。こっちへ来るみたいだったから、何か用事があるのかと思って」

「よ、用事があるわけじゃなくて」

 私は子どもが好きだ、と心の中でもう一度だけ、頼りないおまじないを唱えた。

「ええと、散歩というか……私の家、が近くにあって、そこからここが見えて、だから、ちょっと気になって」

「何が?」

「遊んでいるみたいだったから、その、子どもが」

「そう。やっぱり僕たちに用事があったんじゃない」

「そうじゃなくて」

「え?」

「混ぜてもらえないかなと思って……暇だったから」

「まぜてもらえないかな?」

 繰り返されて、急に恥ずかしい気持ちになった。男の子は不思議そうに私を見ている。何か、そんなにおかしなことを言っただろうか。大の大人が、子どもの遊びに混ぜて欲しいと言うのは、ダメな事だったろうか。小学校の先生が一緒に遊んでくれた時は嬉しかった気がするけど、と顔や名前の思い出せない漠然とした担任の先生を思い浮かべて、私は冷や汗をかいた。少なくとも、この子は嬉しくないようだ。
 男の子はくるりと私に背を向けると、「一緒に遊びたいらしいよ」と、広場で成り行きを見守っていたらしい子どもたちに声をかけた。子どもたちは顔を見合わせると、しばらくして、こいこい、と手招きをした。

「じゃあ、行こうか」

 男の子が言って、歩き出す。
 私はその後を追いかけながら、子どもってこんな感じだっただろうか、と少し不安な気持ちになった。





▽▽▽
「フィンクスって、幻影旅団の?」

「ゲンエイリョダン?」

「幻影旅団。蜘蛛のことさ」

 逆に何を知っているの、というくらい何も知らない私に、子どもたちはボールで遊ぶのをやめて、代わりに色々な事を教えてくれた。初めは邪魔したみたいで申し訳ないと思ったが、どうやら「教える」ということが楽しい年頃だったようで、私も気兼ねなく色々なことを聞けた。
一段落ついた頃、子どもたちは私に興味を持ったらしく、今度は私の事を色々と聞いてきたため、つい、「フィンクスっていう人の家に一緒に住んでいるの」と口を滑らせた。別に口止めされていたわけではないけれど、勝手に話すと怒られるような気がした。

「蜘蛛って、虫の蜘蛛のこと?」

「そう。通称だよ、旅団の」

「え、待って、じゃあ、ハルカって、まさかフィンクスの彼女?」

 ボールを転がしていたロンが大袈裟に声を大きくした。広場に残っていた子の一人で、一番年長のようだった。ロンの隣で「うるさい」としかめ面をした女の子はマリーで、最初に私に話しかけてきた男の子はウィルだ。

「彼女って、恋人って意味でいい?」

「そうだよ。いちいちうるさいやつだな」

「ロンは声が大きいのよ」

「おい、なんだよマリー、お前、ウィルに似てきたな。良くないぞ」

「で、ハルカはフィンクスの恋人なの?」

 ルールでは確か、恋人のフリをしなければならないはずだ、と思って、それよりも重大な事を思い出した。家の中以外ではフィンクスの傍から離れないというルールは、もしかすると一番大切なやつじゃなかっただろうか。数十メートル離れた家の中でまだ寝ているだろうフィンクスを想像して、今の状況が危険かどうかはともかく、絶対に怒られる、と思った。是非、寝ているうちに何事も無かったように帰りたい、強くそう思った。
 私が突然立ち上がったので、子どもたちはきょとんとして私を見上げた。

「そう、えーと、恋人なの」

「やっぱりそうなの!? まさかフィンクスになあ……」

「フィンクスだってオトコよ」

「お前は何を知ってんだよ」

 ロンとマリーがにわかに盛り上がっている横で、ウィルだけは私をじっと見ていた。

「……どうかしたの?」

「あはは、ごめん、ちょっと用事を思い出したから帰るね。今日はありがとう。また遊んでくれると嬉しいな」

「それは構わないけど」

「それじゃ」

 私は別れの挨拶もそこそこに小走りで家に帰ろうとした。

「面白そうな話だね」

 凛とした突然の声に、嫌な予感がして足が止まる。

「マチ! おかえり!」

 マリーの嬉しそうな声でほっとしたのも束の間、振り返った私を真っ直ぐ見るその人の視線は、鈍い私にも分かるくらい冷たかった。美人なのが余計にいけないのかもしれない。どこか懐かしさを覚えるような格好をしたその人が微笑むと、背筋が寒くなる気がした。

「詳しく聞かせてよ」





▽▽▽
 子どもたちと別れて、私はマチの一歩前を歩かされながら家へと帰った。帰りたいと思っていたのだからそう悪い展開ではないのかもしれないが、いや、どうかんがえても悪い、と頭の中のフィンクスが怒鳴った。私もそう思うから少し静かにして欲しい。

「フィンクスの恋人の……ええと」

「……ハルカです」

「そう、ハルカ。あんた、いいの? 今なら見逃してあげないこともないよ」

「え、何をですか?」

 突然の申し出に、逆に動揺してしまう。

「あんた、あいつの恋人なんかじゃないんだろ。何のつもりか知らないけど、でも、まあ、見た感じ害もなさそうだし、勘だけど。あたしも疲れてるからさ、逃げたら捕まえて連れてくのも面倒だし放っといてあげるよ」

 マチは本当に面倒くさそうに欠伸をした。私に害がないということを見抜いてくれてとても嬉しいけれど、残念なことに、結局今の私はあの家に帰る以外に道がないのだ。出そうになる溜息を、なんとか堪えた。

「マチさんって、フィンクスの仲間なんですよね。私は普段のフィンクスをよく知らないですけど、あの子たちも驚いていたし、きっと彼って恋人を作らないタイプの人なんですね。信じてもらえなくても、仕方ないです」

「……作らないタイプの人、っていうか……まあいいや」

 玄関の前について、私は一度深呼吸をした。どうかまだ寝ていますように、と祈りながらドアノブを回す。
フィンクスは気持ちよさそうに寝こけていた。怒鳴り散らしながら私の首根っこを捕まえに来ない時点でそんな気はしていたけれど、あれだけ私に傍から離れるなと言っておきながら呑気なものだ。
やっぱりかなり疲れていたのだろうか、と少し心配になってきて立ち止まった私をさっさと追い越し、マチはどすどすと床を踏みしめる。

「ったく、コイビト放ったらかして、何してんだかこいつは!」

 止める間もなく、マチの拳がフィンクスの仰向けになった腹にヒットした。途端、目の前がチカチカして、立っていられなくなった。膝をついて、床に蹲って、ようやく痛みが追い付いてくる。「何すんだてめえ!!」と寝起きのフィンクスの元気の良い声が聞こえてくるが、生理的に流れてくる涙で視界がにじんで何も見えない。迂闊だった、と後悔しても後の祭りだ。

「あ!? おい! ハルカ!」

「だ、大丈夫、私、あんまり痛みに慣れてないから、ちょっとしんどいだけ……」

「……本当か? 今、お前みたいなひ弱な人間からしたら死んでもおかしくないくらいの力で殴られたけどな」

 フィンクスの言っていることが本当だとしたら、念とやらを覚えてひ弱じゃなくなったのだろうか。突然だったのと、本当に暴力からは縁遠い生活を送ってきた私にとって、腹を殴られるというのはほぼ初めての経験だったからかなり驚きはしたけれど、冷静になってみればそこまでのダメージというわけでもないことに気が付いた。体を起こして、腹を撫でてみる。うん、大丈夫だ。後を引くような痛みもない。というか、普通の人なら死ぬかもしれない威力で殴るって、どういうことなのだろう。

「なるほどね」

 ハッとしてフィンクスと二人して振り向くと、腕組みをしたマチがこちらを見ていた。

「読めてきた」

「……誤魔化しても遅いか」

「最初から、あんたに恋人設定ってのが無理がありすぎるんだよ。裏があると思うに決まってるだろ。本気で騙せると思ってたのかい?」

「……どうだかな。建て前にはなるだろ」

「妥当なところだね」

「あ〜〜〜〜〜〜クソ、いきなりかよ……先が思いやられるな」

 今の一瞬のことで、全部バレてしまったのだろうか。少し前の自分の演技を思い出して、少しだけ恥ずかしい気分になる。
 マチは私に向き直るようにして立つと、私を上から下までじっと眺めた。

「特質系かい? まあ、念能力ってのは割となんでもアリだからね。どこでそんなヘマ踏んだのか知らないけど、除念師探すのは骨が折れるよ。手伝おうか、有料で」

 しかし、自分で自分の念をコントロールできないってのも厄介だね、そういう制約かい? とマチは締めくくった。最後のはよく意味が分からなかったけれど、なんて察しがいい人なのだろう。
 フィンクスは鼻を鳴らしてマチを睨んだ。

「その金を用意するのも怠い状況になってんだよ。どうせぼったくるつもりなんだろうが」

「あっそ」

「あの……」

「あ?」

「何?」

 マチを見て、フィンクスを見て、どこまで話していいのか迷っていると、「もういい」とフィンクスが不本意そうに言った。

「どうせ遅かれ早かれバレることだ。なら、隠しても意味ないだろ」

「あんたたちの事情はなんとなく把握したから、あたしのことはもう気にしないで良いよ。関係ないし」

「ええと、じゃあ……さっきのことなんだけど。もしかして、私たちのダメージの共有って、本当に感じたそのまま共有されるんじゃないかなと思って」

「つまり?」

「もし私がマチさんのパンチを直接受けていたら、フィンクスが言うようにタダじゃ済まなかったのかもしれないけど、実際は平気だったでしょ? それは、フィンクスにとってのダメージが私に影響してるってことで、だから、例えばフィンクスが私ではとても耐えられないようなダメージを受けても、フィンクスにとっては痛くも痒くもないとしたら、私が感じるダメージも痛くも痒くもない、っていう……伝わる?」

 不安になって窺うと、目から鱗、という感じでフィンクスが「そういうことか」とこぼした。

「お前を担いだ時、俺だったらその程度で痛いはずがないのに、ひ弱なお前にとっては結構痛かったから、俺も痛く感じたってことか」

「そう! そういうこと!」

 ひとつ状況が明らかになって顔を輝かせたものの、すぐにフィンクスは苦い顔になる。

「それ、俺にとってはデメリットでしかないな」

「ま、まあ、そうだね……」

「中々厄介な状況みたいだね」

 マチは私とフィンクスを交互に見ながら、ひとつ欠伸をした。

「今の話で大体わかったよ。あんたたちはハルカの念能力でお互いのダメージを共有する羽目になってて、それを解決する方法が現時点でない、ってことでいい? まあ、フィンクスは中々くたばらないだろうけど、ハルカなんてすぐ死んじゃいそうだから、あんたにとっては死活問題だよねえ」

「ちっ、どいつもこいつも、他人事だと思いやがって……」

「ああ、パクに確認したんだ? それが確実だろうしね」

「あの、決して望んでこうなったわけじゃないんです。敵意みたいなものも一切ないし、できれば一刻も早く解放されたいんです、お互いに」

「でも無理なんだろ。なんでそうなったか知らないけど、ハルカに敵意があってわざと能力をかけてる状況ならあんたたちこんなのほほんとしてないだろうから、そのくらいのことは分かるし、パクのお墨付きなら皆信じるよ」

「皆、って話すつもりなのか!?」

「話さないでどうするのさ。あんた、本気で一人でこの子を守りきるつもりなのかい?」

「危なっかしくて話せるか馬鹿! あいつら、面白がるに決まってる!」

「でも実際問題、フェイタンあたりには話しておいた方が安全だと思うけどね。あいつ、すぐ拷問したがるから」

「……それは一理あるな」

「だろ。まあ、ヒソカは論外だけど」

 ぽんぽん飛び出す名前は他の仲間だろうか。穏やかじゃない言葉が聞こえたのがかなり不安だ。
 フィンクスはうんうん唸りながら渋い顔をしている。そういえば、仲間というくらいなのだから、特殊な状況であればこそ尚更きちんと話しておいた方が良い気もするのに、フィンクスは「他言無用」とそこに仲間も含めた。隠すために、わざわざ恋人設定なんていう不本意極まりないだろうことまで言ったのだ。相当知られたくないのだろうことが伺えるが、それは何故なのだろうか。仲間、なのに。

「そういえば……フィンクスたちって、幻影旅団、の仲間なんだよね。それって、どんなことしてるの? さっき、子どもたちに教えてもらったんだけど」

 マチが、今まで半目だった目を見開いて、信じられない、という顔でフィンクスに詰め寄った。

「……え、知らないのかい? どこのお嬢様だい……ていうか、あんた、そういう重要なことは最初に話しなよ。自分の立ち位置ってものが、この子、まったく分かって無いって事じゃないか」

「え?」

「いや、ちょっと面倒くさくてな」

「そんなこと言ってる場合かい」

 相変わらず、フィンクスと仲間の会話は私には分からないことが多すぎて理解しづらい。それだけ、フィンクスが私に隠しごとをしているということになるわけだけど。
 マチはひとつ溜息をついて、頭を掻いた。

「まあ、簡単に言えば、盗賊団さ」

「はあ……物を盗むってことですか?」

「そうだね」

 想定の範囲内だった。どう見ても堅気ではないし、フィンクスが人を殺したことがある、と言われても、納得出来るくらいの覚悟はしてきたつもりだ。

「そうですか。なるほど」

「あと、結構殺しなんかもするから、恨みを買ってるんだよね、私たちは。A級首の賞金首だから、狙われることもあるかもね。だから、あんたみたいな一般人が行動を共にするには、かなり危険な相手だってことは覚えておいて。人質に取られるのが一番面倒だからさ」

「なるほど……え?」

「何?」

「私たち?」

「私たち、だよ」

 ちなみに団員は全部で13人だよ、というマチの言葉は右から左だった。



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