08 嘘つきピエロも蜘蛛の脚
▽▽▽
 私を置いて出掛けて行ったフィンクスは、二日後の昼過ぎ、何事もなく飄々とした様子で帰宅した。
 ちょうどベランダで練の修行中だった私は、溢れた水で足をびしょびしょにさせながらフィンクスに駆け寄って、煙たい顔をされた。

「おかえりなさいフィンクス!」

「……おう、…………なんだその顔は」

 フィンクスはぐぐっと眉間の皺を深くして、私を見た。言われている意味がわからなくて、えーと、と考えていると、もういいもういい、とひらりと手を振って家の中へ入っていく。そんなに変な顔をしていただろうか。ベランダに戻るでなく、後について家に入ると、また煙たそうにする。
 
「ねえ、どんな顔してた、私? あ、汚れてる?」

「なんでもねえよ」

「気になるよ〜、教えてよ」

「うるせえな」

「教えてくれるまで離れないからね!」

 フィンクスは目に見えて苛々し始めたが、早々に諦めたのか、「犬」とだけぶっきらぼうに答えた。犬? ほとんど答えになっていないような気もする。

「あ、忠犬ハチ公?」

 閃いたとばかりに手を叩けば、やっといつもの顔で振り向いてくれた。嬉しくて、ないはずの尻尾をぶんぶん振ってしまう。

「なんだそりゃ」

「え、知らないの? あ、知らないか、日本のお話だし」

「……ニホン? お前の国か?」

「うん、多分。ジャパンって言ったらわかるかな」

「ジャパ……ジャポンか? 確かノブナガの出身だな」

「ノブナガって? 幻影旅団の仲間?」

「ああ」

「そっか……難しいのは分かってるけど、いつか会ってみたいなあ。会うっていうか、遠くからちらっと見るだけでも。ええと、あと9人?」

「期待すんな、ロクなもんじゃねえぞ」

「でもフィンクスの……パクやマチの仲間なんでしょう? あ、それに、ノブナガ? 私と国が同じなら、もしかしたら記憶を取り戻すきっかけになるかもしれないじゃない?」

「なあ、おい……お前、こんなお喋りだったか?」

 ぐたりとベッドに寝転がるフィンクスは、私の話を遮ると不思議そうに言った。ここ数分のやりとりを思い返して、確かに私にしてはよく喋ったなと自覚し、急に恥ずかしさに襲われる。多分、しばらく話し相手がいなかった反動だ。結局、自活できる程度の力をつけていた私は、なんとなく気が引けてパクノダのところに用もなく訪ねることが出来なかった。

「フィ、フィンクスがいないから、誰とも話してないし……寂しかったんだよ」

 素直にそう白状する私を、フィンクスは珍獣でも見るような目で見た。そして一度口を開き、閉じ、もごもごさせて、頭を掻いた。

「……何か言ってよ!」

「いや、悪かった……、のか?」

「し、知らないよ……もう、いいから、別に……ていうか、今度は私も連れて行ってよ。そろそろこの景色も飽きてきたし」

「……いや、それは無理だな」

「ええ? なんで?」

「お前がいたら出来ない事しに行ってるからだ」

「それは……」

 私が言葉を詰まらせる前に、フィンクスが珍しく少し慌てた様子で体を起き上がらせて、否定した。

「待て。あの問答はもう御免だ。違う、そういうことじゃない。つまり……お前と俺が初めて出会ったときに、俺がシテた事だ。……まだ聞きたいか?」

「……いえ、もういいです」

 ものすごい脱力感に襲われて、私はふらふらとベッドに近寄るとフィンクスには構わず突っ伏した。二日前のやり取りが蘇って、心配した自分のバカさ加減に怒りを通り越して悲しくなってくる。なんだ、そういうことだったのか。ナニをしに行っていたわけか。いや、ダメだ。やっぱり、腹が立つ。

「……最低」

 ぼそりと呟いた私の言葉に、案の定フィンクスが突っかかってくる。 

「お前は男、っていうか俺に何を夢見てんだ。仕方ねえだろ」

「……別にフィンクスに夢なんか見てないけど、よく私をほったらかしにしてソウイウ事しに行けるなと思って……なんだっけ? 『俺にとって一番アブナイコトはお前を一人にしておくこと』、だっけ?」

 笑っちゃうなあ、と嫌味たっぷりにつらつら述べていると、急に体が持ち上がった。気が付けば、フィンクスの腕の中に納まっている。見上げたフィンクスはかすかに笑っていた。怒っている。私は正論しか言っていないのに。

「この問題を一気に解決する方法がある。分かるか?」

 耳の傍で囁かれて、ゾッ、とした。
 伝わってくる体温は私にとっては安心を覚えるもののはずなのに、その声は全力で私の警戒心を煽る。どちらを信じればいいのか分からずに、頭が混乱してくる。

「……わ、かんないです。ちょっと、とりあえず、痛いから離して」

「俺のこと好きだろ、お前」

「な、……は?!」

「心配すんな。自慢じゃねえがテクはそこそこ……」

 私の混乱は頂点に達していたが、体勢を変えようとしてほんの少し腕が緩んだ瞬間を見計らい、私は思い切りフィンクスの腕を噛んだ。思い切りだ。もちろん、その痛みが自分に返ってくるだろうことは覚悟しての事だったが、数秒経って感じたのは、思ったほどではないどころか、甘噛みレベルのちょっとした痛みだった。
 頭の上で鼻で笑う音が聞こえて、やられた、と思った。

「冗談だ馬鹿。誰がお前みたいなちんくしゃ」

「……冗談が悪趣味すぎる!」

「俺が悪趣味なのは冗談だけじゃねえけどな」

 してやったりといった様子で、かなり機嫌が良さそうだ。悔しくて胸の辺りをぽかぽか殴っていると、いとも簡単にその腕を捻られて、フィンクスの方を向かされる。泣き顔を見られたくなかったのに、変なところで目ざとい男だ。

「そんな怖かったか?」

「……うるさい馬鹿、馬鹿野郎。次したら死んでやるから」

「……それはズリィだろ」

 流石のフィンクスも、私の最大限の脅し文句を聞いて少し反省したらしかった。大きなてのひらが背を上下して撫でると、少しずつ気分が落ち着いてきて、涙も止まった。
 仕方ない、仲直りしよう。そう思って顔をあげると、まだ少し目の赤い私と目の合ったフィンクスは、おそらく何の気なしに、言い放った。

「お前、処女か?」





▽▽▽
 そもそも、デリカシーのないフィンクスが悪いのだ。
 私がある程度は一人でやれるだろうとつい先日判断したばかりのこともあり、しばらくすれば帰ってくるだろうと高を括っていたのだろう、フィンクスは私の後を追いかけては来なかった。勢いに任せて家を飛び出した私は、行く当てもなくかと言って帰る気も起きずゴミ山の上でぽつりと夕陽を眺めていたところに、陽気な男に声を掛けられ、のこのこ後について行ってしまった。理由は忘れた、というかぼうっと考え事をしていたので話をあまり聞いておらず、おいでと言われて特に何も考えず勝手に体が動いたのだ。
 これが運の尽きだった。結局、少しばかり念を身に着け修行をし強くなったとは言っても、私は頭の方がからきしの平和ボケだった。薄暗がりの路地に差し掛かったところで、私の意識は緩やかにフェードアウトした。
 次に目が覚めた時、そこがヤバいところだとすぐに分かった。何故なら、そこかしこから悲鳴や助けを求める声が聞こえてくるからだ。無我夢中で逃れようとしたが、しっかりと押さえつけられている状況ではあまり意味がなく、私は少し高級感のある、ホテルのロビーのような部屋の真ん中に置かれた。

「な、なんだお前、は」

 一瞬のことだった。扉からもう一人遅れて人が入ってきたかと思うと、部屋の状況は一変した。むっと充満する鉄の匂いは女である私には多少馴染みのあるものだが、状況を見れば匂いなど些末なことに思える。真っ赤に染め上げられた床、壁、天井は、元の色が分からない。床の血だまりに倒れ伏しているのは三人だ。ここまで私を連れてきた男が二人と、その上司らしき男が一人。ぶくぶくに太っていて、厭らしい笑い方をする男だった。しかし今は苦悶の表情のまま事切れていて、その面影はない。
 震えることしかできない私に、凶行に及んだ本人は何事もなかったような軽やかな足取りで近づいてきた。そのピエロのような外見は、恐怖でしかない。

「君、フィンクスの知り合い?」

「……!」

 私の反応を、男は肯と捉えたようだった。私の前にしゃがみ込み凶器のトランプを一振りすると、私を縛っていたロープを切断してくれた。まったく助けられた気がしないのは何故だろうか。

「このまま売られたらボロボロになるまで扱き使われてポイだったよ、多分◇」

 口調こそ軽いものの、纏わりつくような話し方や目線、何よりも念を覚えたからこそ、オーラがこの男の禍々しさを物語ってるのが分かった。

「この部屋に連れ込まれるとき、助けてって言ってフィンクスの名前を呼んでただろう? だから、代わりにね◇」

「……仲間、ですか?」

 私の震える声に、男はにいと笑んでほんの少し首を傾げた。

「仲間だよ◇」

 あまり信じたくはない話だった。


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