教室の壁にかかっている時計と手元にある読みかけの小説を、目線だけが行ったり来たりする。私が登校してきてからまだ七、八分しか経っていないというのに、ちらちらと目線が行き来する回数は確実にその数字を上回っている。そのせいか、時計の針も小説のページも、なかなか先へは進んではくれない。
何故こんなにも落ち着かないのか。それはもう私の中で答えは弾き出されている。それは高尾の誕生日があと三日に迫っているということと、この間の授業中での出来事。誕生日に関してはもうプレゼントは用意してある。結局悩みに悩んだ末に、いつでも使えるであろうタオルと、高尾の好きそうなお菓子にしておいた。あとは三日後に渡すだけなのだが、少しいやかなり不安である。先の授業中の出来事があってから、私は確実に高尾を意識してしまうようになった。授業中はもちろん、仲の良い女子と昼食を取ったり喋ったりしている時もなのだから、きっともう意識しないなんてことは出来ないだろう。
十数度目に小説を見た時、教室の扉ががらりと開いた。そこから入って来た朝練を終えた二人が窓側の席の方へと向かう。すれ違うクラスメートに笑顔で挨拶を交わす高尾と、無愛想ながらもちゃんと返事をする緑間。ホームルームが始まる直前に来るものだから、その後ろからは出席簿を抱えた担任が二人に早く席に着くように促しながら、教卓の前に立つ。いつもと変わらない朝がきた。
連絡事項を伝え終わった担任が、教室から去るのを見計らって、私はいつも通り二人の席へと足を運ぶ。緑間の今日のラッキーアイテムは一体何だろうか。マスカラとかだったら笑ってやろう。緑間は元々睫毛が長いから、マスカラとかつけたら瞬きするたびにバサバサしそうだ。気を紛らわせるためにそんなことを考えてはみたけど、紛らわすどころか余計に緊張してしまう。一度意識してしまったものはもう元には戻らない。二人の席に近付くにつれて大きくなる心拍に、それを認めざるを得なかった。
平常心、平常心。必死に自分にそう言い聞かせながら、おはようと声をかける。声色も言葉遣いもいつも通り。だけど、まるで磁石が反発しあうように、私の目は高尾から逸らされる。
「よ、おはよー」
「……ああ」
ちゃんと返ってきた返事に、少しだけほっとすると同時に、それと同じくらいの痛みが胸を襲った。意識しているのには気付かれたくない。だけど、ほんの少しだけでも私の気持ちに気付いてほしい。でも、聡い高尾のことだから、もしかしたらもうすでに気付いているかもしれない。そんな矛盾と少しの期待と不安が胸に痛みを生みながら、ぐるぐるぐるぐる回っている。
「山本の星座は四位なのだよ」
高尾は八位だ。いつものように緑間が今日の運勢とラッキーアイテムを言う。それに相槌を打ちながらも、胸に渦巻くもののせいで通常のような受け答えが上手くできなくなった私は目を逸らすように辺りを見渡した。ぺたぺたと筆記用具を手に持ちながら教室を出ていく友人達が目に入る。次は移動教室だったっけ。
「次移動だわ」
口には出していないはずのその疑問に高尾が答える。行こーぜ。そうやって教科書を手に立ち上がった。
「俺は職員室に用がある。二人で先に行くのだよ」
教室を出たところで、緑間が一言告げて私達とは反対の方向へ向かった。わかったと返事をしたあとに、真ちゃん遅れんなよーという高尾の声が廊下に響く。二人。緑間の言葉を反芻する。なんで緑間どっか行くの。廊下には私たちが歩く音と大きく暴れ出した心臓が響いている。実際には後者は廊下に響くわけがないのだけど、それくらいバクバクと異常なスピードで動いているのだ。そのためか私は高尾の話にも集中することが出来ず、ただただこの焦る気持ちと緊張をどうやって抑えるかだけを考えていた。もう、周りだって見えていない。冷静さを欠いた私は、階段を数段降りたところで足を踏み外す。両手には筆記用具。上手く働かない思考回路。あ、落ちる。ようやく冷静さを取り戻した時には、体はもう傾いていた。
「おい!山本!!」
大きな声と腕を思いっきり引かれるのはほぼ同時だった。がしゃんと筆記用具が落ちた音がし、落ちる瞬間に反射的に瞑った目を開ける。私の目は黒いもので覆われていた。
「あっぶね……」
頭上から焦ったようなしかしほっとしたような高尾の声が聞こえる。私の目を覆っているのは学ランで、私が今高尾の胸に飛び込んでいると気付くのに、そう時間はかからなかった。
「ご、めん……!」
階段から落ちかけたということも相俟って、心臓がものすごい速さで動いているのがよくわかる。
「……なあ」
不意に吐息混じりの声が吐き出された。
「目、合わせてくんねーの」
普段とは違う低い声に、思わず顔を上げる。周りをよく見ることができるその目が、今だけは怖かった。

「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -