夏の風物詩といえば? そう聞かれれば、私は迷わず「蝉」と答える。毎年七夕が終わることになると、ミーンミーンという声があちらこちらの木から聞こえてくる。暑さを倍増させる鳴き声や、涼しさを生み出す鳴き声。そんな声を聞くと、夏が来たのだと思わされるのだ。私と同じ考えを持っている人は、多少なりともいるのではないだろうか。 だが、いくら風物詩といえど、日が沈んでからも鳴かれては迷惑極まりない。夏は夜が良いと、かの有名な清少納言が随筆として残していたが、現代の都会ではあまり当てはまらないのではないかと思う。 「あー、あちぃ」 迷惑な蝉の鳴き声に気を取られて、危うく高尾の呟きを聞き逃してしまうところだった。部活終わりの高尾は毎回この言葉を口に出す。もっといえば、これが聞こえれば、私が高尾の後ろに乗る合図なのだ。 「そういえば、夏の夜の何がいいんだっけ?」 「ん?なんの話?」 「あ、枕草子、清少納言の」 「唐突だな!あー、月と蛍じゃね?確か。あと、雨が降っても風情があるとか」 「ああ、そうだった」 夏は夜。月が出ているのは言うまでもない。闇夜であっても、蛍が多く飛び交っているのもいい。また、一匹二匹が飛んでいるのも趣がある。雨が降っているのも、いい。 ゆっくりと動き出す自転車に乗りながら、流れて行く景色に目をやる。一定の間隔で設置された街灯は、川沿いの道を照らしてくれる便利な代物だと思う。しかし、夜を昼のように変えてしまっているのも、その光で、こんな風に夜に蝉が鳴いてしまうのも、それのせいなのだ。そんな光をお世辞にも綺麗とは言い難い川が映す。風は生温く、汚れた川のなんともいえない臭いを運んでくる。ただ、乗っているだけだというのに、汗をかいてしまうようなジメジメした空気が、まとわりついて、気持ち悪い。 こんな、現代とは違い、清少納言の生きていた時代には、蛍がたくさんいたんだろう。川にはきっと、街灯の明かりじゃあなくて、蛍の光がほんのりと映っていたはずだ。蝉もこんな時間まで鳴いてないはずだし、旧暦だから、もう少し涼しいかもしれない。地球温暖化の地もない時代なのだからこそ、清少納言は夏は夜が良いと言えたのだと思う。 「夏の夜は、あんまり好きじゃないかなあ」 ぽつりとそう呟けば、高尾の少しバカにしたような声が聞こえて来た。 「どしたの、さっきから。なに、熱あんの?」 「バカにすんなよ、高尾!だって、蝉うるさいし、風は生温いし臭いし」 臭いを遮断するように、高尾の背中にぴたりとひっつく。すると、間髪入れずに、「うわ、珍し。明日台風くんねこれ」という、声が聞こえてきた気がするけど、気にしない。 「俺は別に、嫌いじゃねえけどな」 「え?なんで?」 「だって、清少納言の生きた時代をみてきたわけじゃないじゃん。蝉がうるさいのも、川が汚いのも臭いのも、風が生温いのも、全部普通っしょ?」 「あー」 「確かに、その時代と比べると、負けたような気はするけどなー。まあ、楽しければそれでいいでしょ!」 「ふっ!」 高尾らしいその答えに、思わず吹き出してしまう。 「え、ひどくね?せっかく、センチメンタルなお前に良いこと言って励ましてんのにー」 「ごめんごめん、ありがとー」 「うわ、棒読み」 ひっついた背中から、高尾の笑い声と、心音が響く。未だ鳴き続ける蝉と、明るい街灯と、生温くて臭い風も、高尾の言うとおり、全部普通だと思ってしまえば、心なしか、マシになった気がした。 「まあ、こんなのもいいかもねー」 高尾の背中に向かってそう言えば、ふっと、笑みが零れる。蝉の鳴き声も、明るい街灯も、生温い風も、何だか心地よく感じてしまう、そんな普通の帰り道。 おでこをくっつけ微笑んだ 素敵な企画愛人様に提出させていただきました。 130801 |